エコなニコニコ日記 社会企業エコフェアネットワークのブログ

厳しい時代を生き抜き、よい社会を作るために環境問題や格差問題の代替案である私の事業や参考になるだろう情報を書いています。

コロナの脅威から動揺して、時にゴロツキみたいに乱れてしまった私を、再び真っ当にしてくれた教育者の安岡正篤の教えについて。

2020-04-22 11:54:36 | 生き方





私は一昨日から登録制アルバイトを開始しましたが、東京都の週末の外出自粛の方針から昨日に仕事に行くのは出勤すべきか迷ってしまい、ついには心を整えられず仕事を休んでしまいました。
そして日中は自棄的に寝てしまい、夜に非常に不快な思いで散歩して多少気持ちを整えて、ファミレスで人生を立て直す読書しましたが、周りから悪口言われた気がして、罵詈雑言を言い返したり、かなり乱れていました。
そんな今朝に起きてかなり冷静になり、昨夜は一時はこれからは合理的なエゴイストとして生きてやろうかと思いましたが、朝に安岡正篤の本を読み直しこちらの文章がすごく響きました。
「知識、見識、胆識
「いつも申しますように、識にもいろいろあって、単なる大脳皮質の作用に過ぎぬ薄っぺらな識は「知識」と言って、これは本を読むだけでも、学校へのらりくらり行っておるだけでも、出来る。
しかしこの人生、人間生活とはどういうものであるか、或いはどういう風に生くべきであるか、というような思慮、分別、判断というようなものは、単なる知識では出て来ない。
そういう識を「見識」という。しかし如何に見識があっても、実行力、断行力がなければ何にもならない。
その見識を具体化させる識のことを「胆識」と申します。けれども見識というものは、本当に学問、先哲、先賢の学問をしないと、出て来ない。更にそれを実際生活の場に於いて練らなければ、胆力になりません。
今、名士と言われる人達は、みな知識人なのだけれども、どうも見識を持った人が少ない。また見識を持った人は時折りあるが、胆識の士に至ってはまことに寥々たるものです。これが現代日本の大きな悩みの一つであります。」
周りに合わせることが多い集団主義の日本社会で、今の時代に多い現実主義からある意味で私一人だけ理想を持つ様な「見識」を持つ場合に、時に周りから浮いたり仮に世間から心ない悪口を言われても、それらの逆境に負けずに逆に「胆識」を培う機会にしたいと思います。
大変な時ですし、周りの方達などとなるべく助け合いながら。
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