私は昨夜に酔っ払い堕落して悲観的にネガティブになり、自分の人生について考えてしまい、「こんなオレが生きていていいのだろうか?」と迷いながら眠りにおちました。
そして憂鬱な夢を見て、朝起きたらたまらなく私の座右の本である「真面目な人は長生きする」(八十年にわたる寿命研究が解き明かす驚愕の真実)を読み返したくなり、必死で熟読しました。
基本的にはこの本は慎重で勤勉で誠実な努力家が一番長生きするという内容なのですが、私が今回特に響いたのは、自殺してしまった人達の共通項についての言及です。
そういう人達は、1平静を失いやすい動揺性、2死への意図を事前にほのめかす、そして3つ目が自分の人生があるべき姿から程遠い現実で、自分で達成できたことがあったとしても、それには目がいかない状態にあることです。
私は無意識に衝動的に、3つ目の正社員、結婚、子供などの「あるべき姿」にははるかかけ離れた、さらにもっと課題の多い自分の現実の人生の状態に、自己肯定感を失いかけていました。
しかしこちらの本であるべき姿や理想論ではなく、無条件にありのままの自分を受け入れる大切さを学び直しました。
またレジリエンス(回復力)で言われるブリコラージュ力(必要なツールや素材が手元になくとも、手近なものを即効で間に合わせる能力)のあり方の重要性を学びました。
私は20代後半の頃は一時期、働けなくて昼夜完全に逆転した生活を送り、ずっと喫茶店で自己啓発本を読みふけって生きていました。
その時に比べれば、今は朝に起きる生活になったし、一人暮らしを始めて、わりとかなり働ける時もある様になってきたし、社会的な活動をそれなりに精一杯頑張ってきたし、実は私なりにはかなり成長や改善していました。
そしてレジリエンスで指摘されることですが、完璧主義ではなく最善主義の大切さをいわれます。
その意味とは、「完璧主義のあるべき論や理想像とは遠く離れた今の現実の結果より、様々な制約のある不公平で理不尽な現実を素直に受け入れ、そんな状況の中でベストを尽くすプロセスをより大切にしよう。」という姿勢の重要さです。
私は世間的には相変わらず落第点が来そうな自分の人生の状況です。しかしなるべくありのままの自分にイエスを言い、できなかったあるべき理想より自分なりに成長してきた事実に目を向けたいです。そしてこれからも最善主義を心がけて、自分の人生を逆境の中でも最善を尽くしていると自分なりに受け入れられる様に頑張りたいです。