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仙台市若林区荒浜地区を訪問。

8月29日午前中は、10メートルの津波に飲み込まれ、多くの犠牲者を出すことになった荒浜地区をたずねた。

仙台駅からバスで25分ほどかけ、仮設住宅に到着。そこで今回お世話になる仮設住宅管理者のO氏と町内会長M様にお目にかかる。

M様にチャーターしたバスに同乗していただき、説明していただく。

現場に到着後、慰霊碑に手を合わせる。ゼミ長の声により、一同黙祷。

 

町内会長のM様のご実家が荒浜にあったが、今回の津波で全て流された。コンクリートの基礎の一部だけがかろうじて残る。

全面松林で出来ていた6メートルの防潮堤も、無残な状態。ほとんどの松は流され、ごみと化した。

 

東京から来た私達に、津波の恐ろしさを実感してもらおうと、本当に熱心に語ってくださった。

M様のお父様は漁師をなさっている。私達が訪問した時は、お母様と一緒に、畑仕事をなさっていた。

津波で流されたご実家のそばで、畑を耕し、茄子、胡瓜、トマトを栽培なさっている。

津波で全て流され、あたり一面住宅も何もない大きな砂の面で、健気にニコニコされながら、ご夫婦仲良く畑仕事をなさっている姿を見て、胸が熱くなる。

テレビ映像とは異なり、現実が突き刺さる感覚だ。

海岸線から少し内陸に入ったところには、不思議なことに2つだけ建物が残っている。

 

<荒浜小学校と体育館> 4階建てで、1、2階は、大きく破壊されている。屋上に上がった320名だけが命を守ることが出来た。極寒の中1昼夜後、自衛隊のヘリで救出された。

残念ながら200名近くが命を奪われた。

校庭には、瓦礫となったバイクが数多く横たわっている。

 

仮設住宅に戻る途中、倒れた墓石の数々。

またガソリンスタンドが残っているが、屋根がひん曲がっている。

 

私もゼミ生達も気分がさすがに重くなる。

無念にも冷たい海水の塊の犠牲になってしまった子ども達、先生達、住民の方々の事を思えば、当然である。

犠牲者の方々に心を寄せながら、午後は仮設住宅へ。

 

 

 

 

 

 

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