黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

閉塞感から無力感へ

2009-03-27 09:43:01 | 近況
 これが「加齢」ということなのか、あるいは先週のジャガイモ植えの時汗を掻いたのがたたって風邪気味になったのが原因なのか、ジャガイモ植えをした翌日(日曜日)の夕方から猛烈な歯痛に襲われ(1月にも経験しているので歯槽膿漏が悪化したのだろうと見当はついたのだが)、翌日友人の歯科医の下に飛び込んで「何とかしてくれ」と頼んだのだが、件の悪化した歯槽膿漏の奥歯(1本)を抜くかどうかで彼を悩まし、結局「もう少し様子を見よう。鎮痛剤と消炎剤(抗生物質)を出しておくから、2,3日で何とかなるだろう」という結論を得て、卒業式(25日)に出向いていったのが24日。しかし、24,25日は一向に痛みが取れず、右の奥歯で噛むことが全くできない状態が続くことになった。食欲は全くなし、ただし、薬を飲むために何かを口にしなければ、とパンを食べて凌いだ2日間だった(25日の祝賀会で空腹に耐えられず寿司を痛みをこらえながら少し食べることができたのが幸いだった)。
 当然、思考力も鈍り、何かを書く意欲も全く沸かず、という状態に陥ってしまった。「村上龍論」は停滞し、北朝鮮の「人工衛星打ち上げ実験」(弾道ミサイル発射実験)や小沢投手を巡る民主党のごたごたについても私見を述べたいと思っていたのだが、それらのことに対する思いよりも、歯痛を何とかしたいという気持の方が勝り、身体と精神(思考)がバラバラになったことによる何とも不可思議な気持を持て余した1週間であった。それが、昨夜遅く、「あれ」と思えるほど劇的に歯痛が消えたのだが、それまでの睡眠不足がたたって昨夜はダウン。今朝起きたら、やはり歯痛は消滅していたので、一安心して机に向かっているという次第です。
 
 さて、書きたいと思っていた北朝鮮による「人工衛星打ち上げ実験」(弾道ミサイル発射実験)であるが、まずこれほど現在の世界情勢(世界・アジアにおける力関係)を体現している事柄はないのではないか、という思いがある。具体的に言うと、北朝鮮は国際的に認められている(日本を含む多くの国が実施している)「人工衛星打ち上げ実験」を明言している(建前ではあるが)にもかかわらず、何故日本もアメリカ、韓国もそれを認めず、「弾道ミサイル実験は許さない」という大合唱をマスコミを巻き込んで続けているのか、それがわからない。アメリカは、「スパイ衛星」を含めて世界で一番(?)人工衛星を打ち上げている国だし、日本も種子島の宇宙開発センター(ロケット発射実験場)で多くの人工衛星を打ち上げている(これだって、見方を変えれば「ミサイル発射実験」である。2000年に半年ほどアメリカで生活していた折に訪れた「NATIONAL ATOMIC MUSEUM」で、アポロ計画に使われた「タイタン型ロケット」の実物を見たが、その説明には「ICBM](大陸間弾道弾)としても使われている、と明記してあった。宇宙開発と兵器開発は裏表の関係にあるのだと、この時実感したのを思い出す)。
 もちろん、核開発疑惑を払拭できない北朝鮮による「人工衛星打ち上げ実験」(実は「弾道ミサイル発射実験」)は、それが「核弾頭」開発に繋がるものである以上、許されないことである。ただし、それはアメリカや日本における「ミサイル発射実験」も兵器開発に繋がるものであるから許されるべきではない、という立場を保持しての論理でなければならない。アメリカと日本(北朝鮮以外の他の国も含めて)の「ミサイル発射事件」は認めて、北朝鮮のだけ認められないというのは、単なる「好き・嫌い」のレベルの問題でしかなく、思想(反戦・反核思想)の問題として十分ではない。
 ましてや、今度の「弾道ミサイル発射実験」問題に関して、体制(自衛隊マニア)的な人は別にして多くの軍事評論家や「政府筋」が指摘しているように(本音を漏らしてしまったように)、もし北朝鮮のミサイルが日本本土に何らかの影響を与えるようなことが生じた場合、「ミサイル防衛システム」として準備してきたはずのイージス艦(SM3ミサイル)やパトリオット(PAC3)による「迎撃」は(機能・装備から考えて、つまりSM3の射程は100キロほどで、PAC3に至ってはその射程が20キロであり、何百キロの高々度を飛ぶ北朝鮮が実験するとされている「テポドン2」の本体はもちろん、切り離されてふらふらしながら落ちてくる第1段ロケットのブースターなど、当てることさえできないと言われている)何の役に立たず、それでも大騒ぎするのは、防衛省や防衛(軍需)産業(日本だけでなくアメリカの)が「これではダメだ。もっと性能のよい装備が必要だ。だから、予算をよこせ」という魂胆があるからに他ならない、というのである。もしそうであるならば、今の大騒ぎは先のアジア・太平洋戦争時の「大本営発表」と何ら変わらず、戦後の日本(日本人)はそのような付和雷同方の在り方を反省するところから出発したはずなのに、どうなってしまったのか、と思わざるを得ない。
 なお、ここで思い出すのは、中東戦争でイスラエル側(アメリカ)が用意したパトリオット迎撃ミサイルの命中率が非常に悪く、ほとんどのミサイル(北朝鮮開発のスカッド・ミサイルやロドン・ミサイル)を打ち落とすことができなかったということ(という説と結構成果を上げたという説がある)と、イージス艦搭載のSM3という迎撃ミサイルも、何度か実験しているのについ先日初めて打ち落としに成功した、と報じられたばかりであるということがある。政府は、日本海にイージス艦を2隻出し、パトリオットを秋田や山形に用意すると言っているが、どうも国民にやたら「見えない恐怖」を煽って行うデモンストレーション、と考えられなくはない。
 穿った言い方をすれば、WBCで燃えあがった「ナショナリズム」を利用して(我が娘が好きなイチロー選手が優勝祝賀会で「日本のために戦いました」と大声を上げていたのに、異様さと嫌悪感を感じたのは僕だけだったのか)、この際膨大な予算が必要な「ミサイル防衛システム」に対する国民的合意を画策しているのではないか、ということもある。マスコミ・ジャーナリズムの対応(迎撃態勢の準備など意味がないという軍事評論家がテレビに一人も出ないという奇妙さ)を見ていると、やはりおかしい、と思わざるを得ない。
 ここまで書いてきて、急用ができた。
 小沢民主党党首の問題(金と政治の関係)については、またあとで。