周知のように、村上春樹が建国以来=半世紀以上にわたってイスラム勢力(就中パレスチナ)と「戦争」をし続けてきたイスラエルが、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に与えてきた賞である「エルサレム賞」を受賞し、その賞を受けるのか否か、また受けるとして授賞式に出席するのかどうか、またこの「エルサレム賞」受賞はノーベル文学賞受賞へのステップなのではないか、等々、喧しい論議が起こったが、村上春樹についていささかの著作を持つ僕が沈黙していたのには、理由があった。
理由は単純である。どのような美名(「社会における個人の自由」に貢献した文学者)の下であろうが、いささかなりとも「戦争」を正当化するような行為に個人としては決して加担してはならない、と思ってきたからに他ならない。つまり、この「エルサレム賞」が発表される少し前まで圧倒的な武力でもってパレスチナ・ガザ地区の「無辜の民」を1500人以上殺したイスラエルに対して、どんな些細なことでも「加担」するような言動には賛成できない、ということである。
もちろん、これは近代文学評価の一種のアポリア(難問)にもなっていることだが、「政治=戦争」と「文学」は別なものだ、それを一緒に取り扱うのはかつてのプロレタリア文学運動時と同じではないか、いかにも政治主義的であり過ぎる、芸術(文学)の自立性を理解しない議論である、等々の意見があることは百も承知である。しかし、先のアジア・太平洋戦争に「無名兵士」の一人として参加した父親を持ち、かつ学生時代に「殺すな!」の論理と倫理を生き方の根底に置いてきた僕としては、いかなる理由があろうとも、繰り返すが「戦争」に加担する行為は現に慎まなければならない、と考えてきたということがある。
というようなことで、村上春樹の「エルサレム賞」受賞については何も語らなかったのだが、何人かの人からこの件について「どう思いますか」と問われたということもあり、また既に去る「2月15日」の授賞式に村上春樹が出席し「スピーチ」(英語で)も行い、そのスピーチの内容も明らかになった現在、僕自身の考えを述べるてもいいのではないか、と思い、簡単に記すことにする。
まず、この賞の受賞及び授賞式出席については、今でも村上春樹の選択は間違っていたのではないか、と思っている。理由は、僕の見るところ村上春樹は結果的にイスラエルのガザ攻撃の正当化に手を貸してしまったのではないか、と思うからである。もし、多くの論者(具体的に僕がその文章に接した物書きは、『週刊朝日』に載った内田樹と清水良典)が「高く評価した・認めた」比喩の多い「スピーチ」で明らかにした、(戦争を行ったイスラエル、あるいは国家・システムと言っていい)「高い壁」に対して、自分はその壁にぶつけられれば簡単に割れる「卵」に比せられる「人間」の側にたつ者である、という村上春樹の論理に賛成であっても、あるいは賛成であるが故に、やはり授賞式には出席せず(受賞を拒否して)、この「スピーチ」と同じものを「受賞拒否」の理由として発表すればよかったのではないか、と思う。
また、「スピーチ」で語られた父親と戦争(アジア・太平洋戦争)とのこと――村上春樹は、これまでく父親のことやその父親が兵士として参加させられた中国大陸での戦争(戦死者)を語ってこなかったので、このスピーチにはびっくりさせられた――にしても、そうであればこそ建国以来続いてきた「イスラエルの戦争」について「批判」すべきだったのではないか、と思う。
大雑把な言い方になるが(詳しくは拙著『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』07年6月 勉誠出版刊を参照してください)、村上春樹は自ら河合隼雄との対談で、1995年に起こった阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、それまでの「デタッチメント」(社会的なことへの「無関心」)から「コミットメント」(社会的なものとの関わり)へ「転換」した、と言ってきたはずである――しかし、それが確固たる路線にならず「迷走」しているのではないか、というのが拙著の主張である――。にもかかわらず、「エルサレム賞」を受賞してしまった。
以上は、大方の批評家とは見解を相違することを承知で書いたが、一言書いておく必要を感じた結果である。もしこのブログの読者に「村上春樹フリーク」の人がいたら、ごめんなさい。でも、よく考えてね、とだけ言っておきたい。
理由は単純である。どのような美名(「社会における個人の自由」に貢献した文学者)の下であろうが、いささかなりとも「戦争」を正当化するような行為に個人としては決して加担してはならない、と思ってきたからに他ならない。つまり、この「エルサレム賞」が発表される少し前まで圧倒的な武力でもってパレスチナ・ガザ地区の「無辜の民」を1500人以上殺したイスラエルに対して、どんな些細なことでも「加担」するような言動には賛成できない、ということである。
もちろん、これは近代文学評価の一種のアポリア(難問)にもなっていることだが、「政治=戦争」と「文学」は別なものだ、それを一緒に取り扱うのはかつてのプロレタリア文学運動時と同じではないか、いかにも政治主義的であり過ぎる、芸術(文学)の自立性を理解しない議論である、等々の意見があることは百も承知である。しかし、先のアジア・太平洋戦争に「無名兵士」の一人として参加した父親を持ち、かつ学生時代に「殺すな!」の論理と倫理を生き方の根底に置いてきた僕としては、いかなる理由があろうとも、繰り返すが「戦争」に加担する行為は現に慎まなければならない、と考えてきたということがある。
というようなことで、村上春樹の「エルサレム賞」受賞については何も語らなかったのだが、何人かの人からこの件について「どう思いますか」と問われたということもあり、また既に去る「2月15日」の授賞式に村上春樹が出席し「スピーチ」(英語で)も行い、そのスピーチの内容も明らかになった現在、僕自身の考えを述べるてもいいのではないか、と思い、簡単に記すことにする。
まず、この賞の受賞及び授賞式出席については、今でも村上春樹の選択は間違っていたのではないか、と思っている。理由は、僕の見るところ村上春樹は結果的にイスラエルのガザ攻撃の正当化に手を貸してしまったのではないか、と思うからである。もし、多くの論者(具体的に僕がその文章に接した物書きは、『週刊朝日』に載った内田樹と清水良典)が「高く評価した・認めた」比喩の多い「スピーチ」で明らかにした、(戦争を行ったイスラエル、あるいは国家・システムと言っていい)「高い壁」に対して、自分はその壁にぶつけられれば簡単に割れる「卵」に比せられる「人間」の側にたつ者である、という村上春樹の論理に賛成であっても、あるいは賛成であるが故に、やはり授賞式には出席せず(受賞を拒否して)、この「スピーチ」と同じものを「受賞拒否」の理由として発表すればよかったのではないか、と思う。
また、「スピーチ」で語られた父親と戦争(アジア・太平洋戦争)とのこと――村上春樹は、これまでく父親のことやその父親が兵士として参加させられた中国大陸での戦争(戦死者)を語ってこなかったので、このスピーチにはびっくりさせられた――にしても、そうであればこそ建国以来続いてきた「イスラエルの戦争」について「批判」すべきだったのではないか、と思う。
大雑把な言い方になるが(詳しくは拙著『村上春樹―「喪失」の物語から「転換」の物語へ』07年6月 勉誠出版刊を参照してください)、村上春樹は自ら河合隼雄との対談で、1995年に起こった阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、それまでの「デタッチメント」(社会的なことへの「無関心」)から「コミットメント」(社会的なものとの関わり)へ「転換」した、と言ってきたはずである――しかし、それが確固たる路線にならず「迷走」しているのではないか、というのが拙著の主張である――。にもかかわらず、「エルサレム賞」を受賞してしまった。
以上は、大方の批評家とは見解を相違することを承知で書いたが、一言書いておく必要を感じた結果である。もしこのブログの読者に「村上春樹フリーク」の人がいたら、ごめんなさい。でも、よく考えてね、とだけ言っておきたい。
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