黒古一夫BLOG

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いよいよ、海外派兵が本格化か?

2009-03-14 09:08:16 | 近況
 いつでも「野望」は、美名を伴って「袖の下に鎧を隠し」ながら私たちの前にその姿を現す。
 昨年の秋頃からマスコミ・ジャーナリズムの表舞台にしばしば登場するようになった「ソマリアの海賊」にどう対応するかという論議は、予測されていたこととは言え、「自国船舶の保護」という名目=大義名分を得て、海上自衛隊(日本海軍)の艦船2隻が出動するということで結論を得たような形になった。アフガン戦争において「反テロ戦争」に参加している艦船への「給油」という形で海上自衛隊が出動し、イラク戦争にあっては陸上部隊だけでなく航空自衛隊も米軍の空輸作戦に参加したことから、「憲法」の「前文」や「第9条」等は無視して(等閑にして)今後は次々と自衛隊が海外へ出て行くだろうと予測していたのだが、今度の「ソマリアの海賊」対策のために自衛艦が出動するというのは、軍事大国化を願う人々にとっては願ったり適ったりのことで、憲法の「垣根」はいよいよ低くなったと思わざるを得ない。
 誰かが言っていたことだが、このようなアフガン戦争への参加から始まる(それ以前の「シーレーン防衛」や「PKO]への参加論議の時代に遡るという考えもあり、僕はそうだなと思っている)自衛隊の「海外派兵」は、戦前の日本(軍)による中国侵略の軌跡と似ている面が多分にある。最大の相似点は、軍隊の海外進出(侵略)論を下支えする議論として、そこに「ナショナリズム」が前面に押し出されていることである。「満州は日本の生命線」という言葉と「ソマリア沖を通過する日本の船舶は、日本の産業や生活に必要な物を積載している」という言い分の何と似ていることか。さらにそれに加えて「邦人保護」という大義名分を掲げれば、国民に軍隊の海外派兵を認めさせるのに十分だろう。
 折しも、北朝鮮が「衛星打ち上げ」(ミサイル発射実験)を声明した。「拉致問題」をきっかけにナショナリズムを刺激し続けてきた保守勢力(自衛隊の海外派兵を目論んできた勢力)にとって、渡りに舟であった。北朝鮮のミサイルが日本の上空を通過するような事態になったら、(日米が共同して)そのミサイルを撃墜するという。恐ろしい事態になったな、と思うだけでなく、この「北のミサイル撃墜」宣言には、二つの意味が隠されているように、僕には思える。一つは、小泉元首相・安倍元首相時代から顕著になってきていた「ネオ・ナショナリズム(ネオ・ナショナリスト)」を刺激し、そのような形で「挙国一致」体制を形成できないか、という狙いであり、もう一つは日本の防衛力は、(アメリカの協力を得て)北朝鮮のミサイルを打ち落とすだけの能力を持っている、ということを内外に宣言するという狙いである。海外(アジア)へ行くとよく分かるのだが、アジアの人々がいかに日本の軍事力(武力)を、中国のそれと並べて脅威に感じているか、肌で感じることがあるのだが、今も日米の間で着々と進められている「ミサイル防衛計画」の実態が、もし北朝鮮のミサイルが日本上空に迫ってきたら明らかになるのではないか。「軍事大国・日本」の脅威、これは絵空事ではない。
 「100年に一度」と言われる大不況にもかかわらず、今年度の予算でもアメリカ軍への「思いやり予算」はほとんど削減されていないし、防衛予算も他の予算と比べてそんなに減額されていない。
 それやこれやを考え合わせると、何でこれほどまでに権力の座にしがみついているのか理解に苦しむ「支持率1割台の首相」の下に繰り広げられた「特別給付金」狂想曲が巷に流れる間に、この国の「未来」を左右するような法案が、ろくに論議されないまま国会を通過してしまい、またまた次世代に大きなツケを残すような事態になったことを、僕らはどのように考えればいいのか。
 この不況の時代、公務員への就職を望む者が異常に多くなっているという。その公務員の中には「自衛官」も含まれる。先頃、田母神某とかいう航空自衛隊のトップにあった人間が、「先の戦争は侵略戦争ではなかった」と言って物議を醸したが、その自衛隊を退官した人物が講演で引っ張りだこだという。そんなご時世である。偏狭な「ナショナリズム」が跋扈するのに都合のいい土壌が出来ている、といったら言い過ぎか。
 かつて勝新太郎が演じた「座頭市」の名台詞に「嫌な時代になったなあ」というのがあったと記憶しているが、毎日の生活の中でふと頭に浮かぶのは、この座頭市の台詞である。

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