黒古一夫BLOG

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金融資本主義―野間宏の「さいころの空」

2007-08-18 06:10:38 | 文学
 この間、時間を見つけてはずっと野間宏の『さいころの空』(1958年)を読み直している。『経済・労働・格差』(仮題)という分かるようで分かりにくい単行本に収録される予定の論文を書くために、である。たぶん、僕に『野間宏―人と文学』という著書があるということから依頼が来たのだろうと推測しているが、前に読んだときはそうでもなかったのだが、今度単独でこの長編作品について書くために読み直しつつある現在、この長編は果たして「小説」として出来がいいのか悪いのか、そんなことをずっと考えている。
 どうも野間宏の表現方法(文章全体が何かの「比喩」になっているような、象徴主義的な表現)に対して、僕の想像力がついていかず、もっと直截的に対象に迫っていくような書き方をすれば、この3分の一の分量で済むのではないか、と思い続けている為に、小説を読む「楽しさ」をどこかに置き忘れてしまっているのかも知れない。
 そんな『さいころの空』再読なのであるが、それとは別に、この長編を読みながら、僕らが今生きているこの資本制社会が、この『さいころの空』で描かれているような株式・証券・商品取引といった、まさに「金融」資本主義と言うべきものを中核に成り立っている社会であることを改めて知り、愕然とせざるを得なかった。
折しも世界経済(為替相場)はアメリカの株暴落を受けて、ロンドン市場を始め日本、香港など軒並み暴落し、浮き足立っていると報じられた。元より「株」や「為替」の世界については全く関心も興味もない僕であるが、資本主義の原理である物作り=生産を中心とする「利潤追求」が、今やそれこそ「ヴァーチャル」としか言いようがない「株」や「証券」「為替」の取引(売買)、あるいは先物取引と言われる「商品」取引によってその根幹がしめられていることを知ると、世界経済をリードするアメリカ合衆国及び高度経済成長の真っ最中である中国が、なぜ「地球温暖化」問題などの環境問題に不熱心であるかが分かるような気がする。
 ひたすらバーチャルな「金融」取引によって「金儲け」を追求する人々にとって、「金儲け」の足を引っ張るような環境問題など基本的には議論する余地なく(そのことは、最大の環境破壊と言われる「戦争」をアメリカ主導の元、アフガンでイラクで、ソマリアで「多国籍軍」が行っていることから理解できるだろう)、そうであるが故に来年のサミット(北海道洞爺湖湖畔で開かれる)も、そこでは環境問題が議論されると鳴り物入りで報じられているが、あまりにも世界中から「先進国」の環境問題への取り組みが遅れていることを批判されていることに対して、アリバイを作ろうとする意図が見え見えで、「冗談じゃない」と言いたくなる。
 2,3年前まで「ホリエモン」とか「村上某」が時代の寵児ともてはやされていたことを思い出して欲しい。彼らは何を生産していたのか。譲歩か社会の波に乗って「情報」を操作し、莫大な利益を生み出しただけではないのか。
 彼らの存在と食糧自給率が40パーセントを割ったというニュースを、僕らはどのように有機的に考えればいいのか。それと、アメリカの石油資本の意のままになっている(と僕は思っている)アフガンやイラクの戦争とガソリンの高騰、「イラク特措法」延長を目論む日米の戦略でなければ幸いである(つまり、イラク特措法は日本の安定した石油輸入に貢献しているという論理)。
 そういう意味では、冷戦構造の中で考え出された「オルタナティヴ」(もう一つの生き方・選択)ということを、もう一度真剣に考えなければいけないのではないか、と猛暑にあえぎながらずっと考え続けている。今回は余り面白く感じられない「さいころの空」を読みながら、である。
 

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