黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

レキシントン便り(5)

2008-03-22 15:02:25 | 仕事
 昨日は、その前夜の立松和平氏の基調講演を受けたシンポジウム「環境問題と社会正義」が終日開かれたが、午前中の発表と議論については全てが「英語」で行われ、通訳がつかないということで、内容的にも「ちょっと」と首をかしげるようなものとわかっていたので、主催者側の配慮もあって、僕と立松氏は郊外の「農家」へ取材に行った。
 約60ヘクタールの農地で、牛の「子取り」(子供を繁殖させ、ある程度の大きさにまで育てたら、育牛農家に売却する)と「タバコ栽培」、それに「ラピネス」という花を育て市場に売ることで生計を保っているレキシントンでは平均的な農家であったが、典型的な「農婦」といった人が立松氏の取材に応じ、立松氏がこれはは「毎日新聞」という日本の大きな新聞の「世界探訪」という写真入の1ページ記事に使用すると言ったら、はにかみながら喜んで、いろいろなことを教えてくれた。レキシントンの平均的な農家である彼女の家では、生活が苦しいということではないが、決して豊かではなく、毎日毎日「可もなく不可もなく」労働し生活しているとのこと。たぶんそれが「幸せ」ということなのだろうと思ったのは、立松氏の取材に答える彼女の笑顔にまったく屈託がなかったこと、による。
 午後は、沖縄出身の大学院生(30代はじめの女性)が沖縄の環境問題に対するNGOの取り組みについて話し、またこれも中国からの留学生(大学院生)が中国における「グリーン・ピース」の活動体験について話しをした。沖縄のNGO活動については、「法律」による環境保護に可能性があるかのように「幻想」を抱いているように見えた若き活動家(activist)の発表に苛立ち(終わった後のレセプションでそのことを言ったのだが、彼女には僕の苛立ちが理解できなかったようである)、中国の「グリーン・ピース」活動家は、もうこれで中国に帰れないのではないかと心配し、彼に今回の発表を促したと思われる彼の指導教授らしき女性の「してやったり」という態度に、これまた苛立ち、そのことがあって、最後の自由討議のときに、アジアにおける「環境問題」を考えるならば、最大の環境破壊であった太平洋戦争末期のアメリカが引き起こした「ヒロシマ・ナガサキ」(つまり原爆の実戦使用)と、これまたアメリカの「罪悪」であるベトナム戦争における「枯葉剤作戦=ダイオキシン問題」を不問に付することはできないのではないか、と発言した(もちろん、そんな難しいことは日本語で)。「戦争」のもたらす環境破壊について考えるべきだということをいいたかったのだが、不意の発言にどう対応していいのかわからなかったのか、発表者たちは口を閉ざし、僕の発言に反応してくれたのは、会議が終わってから握手を求めてきた女性研究者一人だけであった。日本語が堪能なアイヌ民族について研究してきた人も、沖縄出身の女性も「法」で何とかなるということを繰り返すばかりで、例えば普天間基地の移転問題に絡んだ環境問題について何も言わなかった。
 学会という場所の「中立性。客観性」もわからなくはないが、アメリカという「安全な場所」で中国や日本の環境問題を論じ合うことの「後ろめたさ」が、彼らに全くないように見えたのは、僕の英語が理解できないという「僻み」のせいだろうか?もちろん、主催者や発表者の「熱意」は感じられたのだが、僕個人の感想としては「空回り」しているのではないか、と思った。
 今日は朝から「フィールド・ワーク」で郊外の農家とバーボン・ウイスキー製造所に行くことになっている。楽しみである。

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