黒古一夫BLOG

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辻井喬の文学

2009-04-22 09:06:12 | 文学
 ずっとこのところ「辻井喬」を読んでいる(読み直している)。30~40枚の「辻井喬の文学」について書くためである。このことは、僕の批評を読んできた人にとっては、たぶん「異質な行為」と感じられるのではないかと思うが、そもそも「辻井喬の文学」について書くことになったのは、僕の中国版「大江健三郎伝説」と「村上春樹論」が刊行されるきっかけになった中国社会科学院の日本文学研究所の研究員許金龍氏と話をしていて、現代文学の風潮とはその方法・主題が異なる作家として辻井喬を紹介し、来日中の彼が読売新聞文化部の尾崎真理子さん(彼女が大江健三郎に聞き書きした「作家に聞く」は名著である)と一緒に辻井氏に会いに行ったことから、中国(北京)で「辻井喬の文学・シンポジウム」を開くことになり、そこに向けて僕が「辻井喬の文学」を書き・話すということが決まったからであった。
 当初「シンポジウム」は、5月28日に行われるはずであったが、現在進行中の中国語訳「辻井喬選集」の刊行が遅れているので延期が決定し、実施はこの分では秋口になるのではないか、と言われている。そういう意味では急ぐことはないのだが、やり始めた仕事なので今月中にケリを付けて、次の仕事にかかろうと思っている(現に「村上龍論」の著者校が出てきて、今月中に版元に返すという約束になっている。因みに「村上龍論」は6月中旬刊行予定です。)
 ところで、恐らく年齢とは関係ないと思うのだが、最近の若い「純文学」作家たちの「自分一人」への関心に辟易していた僕にしてみれば、日本の現代文学の伝統と化していると言っていい「私小説」的方法から逸脱することなく、82歳になる今日まで愚直に「おのれとは何か」「生きるとは何か」を問い続けてきた辻井喬の文学は、この1年間ずっと関わってきた「村上龍」の文学とはまた別な意味で、「日本」や「現在」を考えさせるもので、あまり批評のされることのない文学者であるが、今や貴重な存在なのではないか、と思っている。
 今は読みながら(読み直しながら)論文の構想を立てているのだが、一つだけはっきりしているのは、辻井喬の文学の原点は、まだ東大の学生だった時代に経験した「転向」だということである。西武グループの創始者堤康次郎の長男(次男)として生まれ、後にセゾングループの総帥になった堤清二が若き日に経験した「革命運動」とそこからの撤退=転向、このこと抜きに「辻井喬の文学」は語れないこと、そのことだけは確実に言えるのではないか、と思う。そして、そのことは僕が彼の文学について論じようとした最大の動機でもある、ということである。
 先般、「辻井喬―創造と純化」(小川和佑著)という本を書評したが(「図書新聞)、この本は見事にその「原点」を外しており、論の展開そのものに違和感を持った、ということがある。僕は小川氏の轍は踏まない、と決意しているのだが……。果たしてどうなるか。

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