黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

どこかおかしい。

2008-05-28 13:26:43 | 近況
 昨日、非常勤講師として出講している大学院の授業が終わった後、何ヶ月かぶりに僕の関与してきた出版物の進捗状況を聞くために、長い付き合いのある出版社に寄った。誰もが知っている大出版社を退社した後、自分の好きな本を出したくてたった一人(他に週3日出勤のアルバイトの女性が一人)で始めた出版社との付き合いは、もう4,5年になるが、その社長は営業畑が長かったということもあって、出版界の「裏事情(特に流通に関して)」に通じている人なので、雑談の中で教えられることが多く、今回もここにはまだ書けない「ビッグ・ニュース」があった。近いうちに公になるとのことだが、もし公になれば出版流通の世界に大きな波紋を広げるのではないか、と思った。
 3時間ほどの雑談の後(僕が関係する出版物は、様々な問題が生じたため、残念ながら刊行が8月にずれ込むとのことであった)、食事をしようということで近くにある「行列のできる」中華料理の店(ラーメン屋)に行った。これまでにも何度か行ったことのある店だが、昨夜も40人ぐらいは入れる店はほぼ満席で、二人分の席を空けて貰って、僕は手羽先2本と高菜ラーメンを食べた。久し振りにおいしいラーメンを食べたという気持ちになったが、それとは別にサラリーマンやOL,学生たちで埋まった席では、ビール瓶や紹興酒の瓶が林立し、テーブルの上には青菜炒めやその他諸々の料理が所狭しと並べられている様子を見て、確かに値段表を見ると一品一品の値段は高くないのだが、ある種の「豊かさ」を感じざるを得なかった。
 しかし、その日の朝のニュースでは、燃料が異常に値上がり(3倍ほど)したために、まぐろ・かつお漁船(遠洋漁業漁船)の20パーセントを削減せざるを得ない、そのため日本人が好きなマグロの値段が上がるだろう、と伝えていた。パンやカップ麺など週の半分以上単身生活をしている僕にとっての必需品が次々と値上がりしている昨今、投機筋(ファンド)によって作られた「原油高」によってマグロも値上がりする状況、何とかならないのか。帰宅して夜のニュースを見ていたら、ガソリンが160円台を突破して170円台になるという。あの「道路特定財源=暫定税率」が廃止されていたときの1リットル120円台だった時から比べれば、50円ほどの値上がり、この現実に対して誰も何も言わないというのは、どうなっているのか。
それと同じ事だが、支持率が20パーセント(80パーセント以上の国民が「もうあなたは辞めなさい」と言っているのを意味するのだが)を切ったというのに、数を頼りにのらりくらりと居座っている首相は、国民の多くが望んでいる「解散・総選挙」は行われる気配すらない。目先のことしか考えない刹那主義及びニヒリズムの蔓延と、このこととは関係しているのかも知れないが、何とも世知辛い世の中になったな、という実感を持つ。
なお、このことに関連して、自分のミスを弁解するようで、少々自己嫌悪に陥るのであるが、小林多喜二の「蟹工船」が流行していることについて触れた僕の文章の「間違い」について、「内藤亜朗」氏からコメント欄で指摘されたが、その指摘の仕方について今の時代を反映しているな、と思ったことを記しておきたい。「内藤」氏は、まず僕が小林多喜二は「32歳の若さで虐殺された」と書いたことに関して、「32歳まで生きていたのですかね」というような言い方で僕の間違い(明らかに僕の計算間違いで、当時に倣い「数え年」で数えようとして数え間違った)を指摘し、次に「小樽高専を卒業した後」と書いた間違い(傍点部に関して正しくは「高商」-「高等商業学校」の略)を指摘し、そのことについては完全に僕の間違いだったと伝えたところ、次のコメントでは、これも僕の入力ミスである「1927年3月15日」(正しくは「1929年」という小林多喜二の作品について、「そんな作品、ありましたっけ」と揶揄してきた。
「内藤」氏のご指摘はもっともなことで(何故僕がこのような間違いを続けたのか、今もってわからない)、それはそれでいいのだが、何故人の文章の間違いを指摘するのに「ねちねち」と小姑が嫁をいびるような仕方をするのか。僕はこのような「内藤」氏の批判が象徴するような、「視野狭窄」しか思えない人々の批判姿勢こそ「ジコチュウ」の現れではないのか、そのような現在の状況における「蟹工船」ブームとは何であるのか、と疑問を呈したつもりだったのだが、そのことにつては「じこちゅう、けっこう」というだけで、その理由も言わず、他者の間違いに対して厳しく「断罪する」、これも「2ちゃんねる」や「学校裏サイト」などに代表されるネット社会の「暗部=マイナス面」なのか、とも思うが、悲しいね。だからというわけではないが(自己弁護にもなるので本当は言いたくないのだが)、もっと人に「優しく」なろうよ、「ミス」も認め合おうよ、と僕は言いたい(また、甘えるじゃねー、と言われそうだが)。