黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

殺伐としていませんか?

2008-05-26 09:51:43 | 近況
 最初「そんなの関係ねー」と言って登場した小島よしお(?)という芸人を見たとき、よくぞこのような時代を反映した言葉を「お笑い」にしたな、と感心したのだが、二人の孫が何かというと「そんなの関係ねー」と言うに及んで、彼らは無邪気に「流行語」を使っているだけなのだろうが、この「そんなの関係ねー」が蔓延する社会は、やはりどこか「異常」なのではないか、と思い始めた。
 何故なら、私たちの存在は自分以外の全ての存在との「関係」によって成り立っているはずなのに、「そんなの関係ねー」の一言はそれらとの「関係」を全て断ち切ってしまう意志を示しているからである。そんな大げさな、と言うなかれ。先週半ばに森鴎外の故郷「津和野」で起こった「祖父母惨殺事件」は、まさに「そんなの関係ねー」の言葉が含意するこの時代を象徴する事件だったのではないか。両親が中2のときに離婚し、以後祖父母に育てられ、近隣では「優等生」として見なされ、大学に進学しながら4年で「中退」せざるを得なかった事実を故郷ではひた隠しにせざるを得なかった殺人者の孫、彼の行為は紛れもなく自己の存在を「否定」するものと言っていいが、それ以上に自分を育ててくれた最も大切な人間を「殺す」という行為によって、「全ての関係」を断ち切りたいという衝動に突き動かされてのことであった、と思われる。
 というのも、その後の報道に拠れば、その孫(殺人者)は津和野から相当離れた出雲市の警察署にスーツ姿で出頭するのだが、その前に温泉で「身を清める」というようなこともしている。彼は自分が祖父母を殺害したという「事実」も、しかもそれが大罪であることも全て承知しながら、祖父母を殺害したものと思われる。一部の報道では、彼の一連の行為は「不可解」と報じていたが、全くそんなことはなく、日々この事件の容疑者(孫)と同じくらいの年齢である学生(院生)たちと接していると、「不可解」どころか、全く「さもありなん」と思わず納得してしまうような事件であった。
 他者との「煩わしい関係」(僕自身は決して煩わしいと思ったことはないのだが)は、とりあえず避ける。友達(その中に「彼氏」「彼女」も含まれるように思えてならない)とは表層的にしか付き合わず、「関係」は何かと利害が生じる大学時代に限定し、それ以上の「関係」は結ばない。これは教師との「関係」でも変わらない(前に書いたことがあるかも知れないが、最近の結婚披露宴に出て驚くのは、その席上に新郎新婦の教師が皆無だということである。何年か前までは「恩師の挨拶」に象徴されるように、必ず何人か教師が出席していたものである)。卒業すれば「ハイ、それまでよ」とばかりに「関係」を断ち切る。面倒臭くなくて結構だ、という思いもあるが、やはりそれでは「淋しすぎる」のではないか。
 余りに「関係」が殺伐としすぎている、と僕には思えてならないのである。だからその結果として、津和野で起こった祖父母殺害事件のような「関係」を根底から切断するような事件が起こるのだろう。「内部」で何かが「壊れ」始めているのだろう。早急に手当てしないと、この社会はとんでもないものに変身してしまうのではないかと思うが、どうだろうか。
 それにしても、「だまし絵」で有名な安野光雅の美術館があり、町中を流れる疎水(清流)には、僕が子供の頃日本中の河に生息していた(今は絶滅種の)僕らが「そうげんぼう」と呼んでいた魚が何匹も泳ぐ、静かな津和野で、何故あのような惨劇が起こったのか。これはもう、日本中の全ての地域で「そんなの関係ねー」という関係の切断が起こっている、ということを意味する何ものでもないということなのだろう。本当に「嫌な世の中になったものだ」(確か、時代劇のヒーローが事件を解決した後に漏らす一言だったように思うのだが……)。