黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

心配です。

2008-05-14 06:46:07 | 近況
 中国四川省の大地震、第2の都市綿陽が大きな被害(死者が18000人を超えるという報道)を出したという報道に接して、そこに日本人の知り合いがいるので本当に心配です。
 僕より5歳ほど年上の彼は、筑摩書房の編集者時代に知り合い、筑摩書房を社長職を最後に退いた後、2年ほど大学で非常勤講師(出版論担当)をしていたのだが、ある時知り合いに頼まれたと言って中国の大学で「日本語・日本文学」の教師となって奥さんを同道して赴任していった人である。彼は最初、縁辺朝鮮族が多く住む延吉の大学で教えていたのだが、3年経って、今度は暖かい地方がよいと、南の四川省綿陽市の大学に移ったのである。第二の人生を外国(中国)で過ごすということは考えていなかったという彼が綿陽市の大学に転任して行ってから、まだ1年も経っていない。
 彼と知り合ったのは、小田実経由である。僕らが学生の頃筑摩書房が出していた「人間として」という季刊雑誌(中心的な人物は、小田実、高橋和巳、柴田翔、真継伸彦)の平編集者として出発した彼は、戦後派の作家たちの本を出す仕事を続けながら、先にも書いたように最後は社長にまでなった人であるが、親しくなったのは、彼が編集長時代に「原爆文学の全集を出したいのだが、相談に乗ってくれ」と言われてからである。企画は結局社内の「原爆タブー」に在って実現しなかったのだが、それ以後も(小田さんを交えてということが多かったが)よく食事をするようになって、出版状況や現代文学についてよく話をした。彼が中国で大学教師になってからは。帰国する度にお茶を飲みながらより親しく話をするようになった。
 そんな彼が赴任先で未だ日本とは連絡が取れていないという。かつて1995年の阪神・淡路大震災に際しては、西宮に住んでいた小田実を見舞うべくすぐに神戸まで行った彼が、小田実が亡くなって1年目の今日、中国で地震に遭うとは、何とも皮肉な巡り合わせである。無事でいてくれることを祈るばかりだが、本当に心配である。
 折しも、というか、昨日は読売新聞文化部次長(彼女は大江健三郎にインタビューした「大江健三郎 作家自身を語る」の著者である)と来日中の中国社会科学院の人と、件のインタビューの中国語訳(訳者はその社会科学院の人)が出たのと僕の「大江健三郎伝説」が出たということもあって、「大江健三郎」と中国の関係について話し、夕方は明治大学へ昨年僕が寄稿した遼寧大学の「日本研究」という学会誌を取りに、その雑誌を預かっていた中国人研究者(明治大学政経学部の教授・行く場大学大学院出身者だという)に会いにいき、「中国」一色になっていたのだが、その時は綿陽市の被害についての報道を知らなかったので、もしかしたらと思いながらも全く「のんき」にしていたのだが、新聞やテレビで報道されたがれきの山になっている綿陽市の光景を目の当たりにして、本当に彼の安否が心配になってきた。日本にいる彼の教え子(留学生)たちも心配しているという。
 無事でいて欲しい、と願うばかりである。このブログを書いている今、痛切にそう思う。