黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「蟹工船」ブームに

2008-05-24 10:44:32 | 文学
 この格差社会(ワーキング・プアの増大する社会)を反映してか、小林多喜二の「蟹工船」が若者の間でブームになっているという。この「超資本主義社会」(吉本隆明)でのブーム、作者の小林多喜二もさぞかし草葉の陰で驚いているのではないだろうか。
 もう6,7年前になるが、虐殺された直後にとったと言われる小林多喜二のデスマスク(本物)が故郷の小樽文学館が手に入れたのを知って、見せてもらいに行ったことがある。小林多喜二のデスマスクのレプリカ(青銅製)は前から同館が展示していたので知っていたのだが、「本物」(石膏)が所蔵されるようになったというので旧知の学芸員に頼んで見せてもらったのである。写真などで知られるように端正な顔のまつげや鼻毛の1本1本がはっきりしているデスマスクを見たとき思ったのは、30歳の若さで官憲による拷問によって死ななければならなかった小林多喜二の「無念」についてであった。
 小樽高商を出て北海道拓殖銀行に勤めるようになった「エリート」の小林多喜二が、生きている証としてプロレタリア文学運動に身を投じ(日本共産党にも入党し革命運動にも加わる)、ついには天皇制国家にとって最も「憎き敵」となったために虐殺されなければならなかった昭和戦前期(1930年代初め)、小林多喜二の「蟹工船」がブームだということだが、それはそれで大変結構なことと思いながら、年を取って疑い深くなっている僕としては、果たして小林多喜二が生きた時代に対して、現代の若者たちはどれだけ想像力を働かせているのか、そんなことをつい言いたくなってしまう。
 「蟹工船」ブームが格差社会を反映したものであるということを僕なりに解釈してみれば、もしかしたら過酷な船上での労働を強いられ、人間以下の扱いしか受けない蟹工船で働く労働者たちに、ワーキング・プアたちは自分たちの姿を投影して、その上でさらに「自己慰撫(憐憫)」を行っているのではないか、とも思う。もちろん、そうではなく純粋に小林多喜二や彼の「蟹工船」に文学としての魅力を感じて愛読者になっている人もいることだろう。しかし、「蟹工船」がどのような労働運動や革命運動を背景に生み出されたのか、「反権力」を標榜する文学運動や市民運動が「蟹工船」の時代ではどのようなものであったのか、そのようなことに思いを巡らせない「蟹工船」ブームは所詮「徒花」なのではないか、とも思うのである。
 何故なら、もし本気で「蟹工船」を理解しようとし、その作品に惚れたならば、「道路特定財源=暫定税率」維持を衆院の「三分の二条項」を使って再議決したり、後期高齢者医療を平気で実施するような現政権に対してどうして「叛旗=異議申し立ての旗」を飜さないのか、その辺のことを考えると、どうも昨今の「蟹工船」ブームは、やはり「ジコチュウ」の変種と思えて仕方がないのだが、いかがなものだろうか。僕としたら、もし「蟹工船」ブームが本物であれば、当然、日本共産党や労働運動に対して官憲が大弾圧を行った「3・15事件」を扱った「1929年3月15日」もブームとなってしかるべきだと思うのだが、残念ながらそのことについてはまだ僕の耳に届いてこない。
 もう少し、「蟹工船」ブームについては、推移を見ていようと思う。
 *訂正しました。
    (1)小林多喜二の年齢:32歳→30歳
    (2)小樽高専→小樽高商
    (3)「1027年3月15日」→「1929年3月15日」