黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

バランス感覚?!

2008-05-16 15:02:55 | 近況
 中国四川省の地震災害、その実態が徐々に明らかにされつつあるが、6万人を超す死者と1000万人を超す被災者、地震災害としては未曾有のものになるのではないかと思うが、それにしても新聞やテレビの報道を見ていて、チベット問題や「毒餃子事件」などと同じように、ある「コメント」(報道)が気になって仕方がない。
 それは、瓦礫の山を指差して「おから構造」「手抜き建設工事」などと中国の地震対策がいかにも「ずさん」であるかのように指摘、日本は耐震対策は万全であるかのごとく、コメント(報道)するものである。それらのコメント(報道)に違和感があるのは、彼らが13年前の「阪神淡路大震災」のことを忘れたかのような態度でコメントしているからである。あの13年前に、多くの人々(建築家たち)が言っていたのは、阪神地方は何百年も大地震がなく「安全」地帯だったから、在来工法(日本家屋)にしても「はすかい・筋交い」を入れなかったから、それが原因で大災害になったということで、その点に関してはコンクリート建築も同じであった。
 手抜き工事にしても、高速道路の崩落が象徴するように、公共土木事業における「手抜き」が関西では当たり前であったことが、指摘された。そのようなことを考えれば、今回の中国四川省の地震における「耐震構造になっていない・遅れている」と言った類の非難、あるいは役所が「手抜き工事」をしていたという指摘、など、13年前の「阪神淡路大震災」があたかもなかったかのごとく、声高に日本人が中国人を批判できた義理ではないと僕は思うのだが、いかがだろうか。このように中国を「色眼鏡」で見るのは、「反中国」の心情で凝り固まっている石原慎太郎ら「右派」に任せて、僕らはもっと冷静に、リアリズムの心できちんと対応する必要があるのではないか。
 どうも、その点で僕らは中国のこととなると「浮き足立って」しまっているのではないか。地震の災害は、地震国日本では「他人事」ではないのに、今度の四川省の大地震に際しては、日中の「政治」「歴史」関係が前面に出て、冷静な判断ができない、と僕には思えてならない。「友好」ということの真の意味を、今こそ考えなければいけないのではないか。僕は、そう思う。