黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

「盗作・盗用」問題と現代社会

2008-05-21 12:26:08 | 文学
 昨日、ある新聞社の文化部記者と久し振りに会って、僕にしては珍しく夕食をかねて一杯やったのだが、そこで話題の中心になったのは、最近新聞やテレビでも報道された直木賞作家熊谷達也の「盗作」問題についてであった(ここで注釈:僕もその新聞記者も熊谷達也が近来まれに見る才能の持ち主だと評価する点で一致している)。その記者が熊谷氏にインタビューした直後に「盗作」問題が発覚したということもあって、過去の盗作・盗用問題にまで話題は広がっていったのだが、「盗作・盗用」と「引用」とはどう違うのか? また、原作品(小説の場合もあれば、日記、エッセイ、記録の類もある)からヒントを得たり、無意識のうちに部分的に表現が似てしまう場合について、どう考えればいいのか? はたまた、インターネット時代の現代にあって、「資料」として利用したものが実は「二次資料」「三次資料」で、「原資料」を提供した者から見れば、その「二次資料」「三次資料」を利用した者は、果たして「盗作・盗用」したことになるのか。
 例えば、今もなお広島のエキセントリックな歌人から「盗作だ」と言われている井伏鱒二の「黒い雨」、これなど井伏本人も「ある人の日記を下敷きにした」と公言しているにもかかわらず、多くの場面が「資料」として使用した「重松日記」(すでに筑摩書房から公刊されている)の記述と似ているということで、「重松日記」と「黒い雨」を照合せず、件の歌人の「デタラメ」な言葉に惑わされて、あの猪瀬直樹や谷沢栄一までが「黒い雨」は盗作だ、決めつけているということがある。
 また、90年代のはじめに立松和平が連合赤軍事件を描いた「光の雨」で、資料として使った「あさま山荘1972」(上下 彩流社刊)の著者である連合赤軍事件の死刑囚坂口弘から訴えられる、ということがあり、彩流社から僕も3冊本を出していたということもあり、また立松とも親しいということもあって、この「盗作」問題には深くコミットメントすることになったのだが、結論的に言うと、誰しも作家は「意図的」に盗作・盗用などせず、ついうっかり、それが「盗作・盗用」行為とは知らずに、やってしまうというケースが一番多い、ということである。
 もちろん、確信犯的に「盗作・盗用」を行う作家がいないでもない。名前は伏せるが、戦後文学をリードしたある作家は、「盗作・盗用」しても(ある長編などの場合、一字一句までその作家の元に送られてきた原作品と同じということもあった)、「(有名な)俺が世に出してやったのだ」と嘯いていて、全く悪びれることがなかった(さすがに「盗作・盗用」が指摘されたその時は、「印税」をその無名な素人作家にやったということだが)。その作家については、評論の一部をそっくり「盗用」された別の作家から直接聞いたことがあるのだが、その時も全く悪びれることなく「同じ事を考えていたから、君の文章を使わせて貰った」と豪語し、それで終わりだったという。
 というように、「本歌取り」の文化が発達している日本における「盗作・盗用」問題は、微妙な問題を孕んでいて、そう簡単には解決できないのではないか、と思う。特に、ネット上に公開されている「資料」を組み合わせて「論文」(まがいのもの)を作り上げるのに巧みな昨今の学生(院生)たちを見ていると、表現=創造することの難しさを痛切に感じる。いつ何時、僕がオリジナルと思っている論文(エッセイ・書評、など)が「盗作・盗用」と槍玉に挙がるかわからない昨今、「学問=知」の在り様自体が変わってくるのかも知れない。変な世の中である。