黒古一夫BLOG

文学と徒然なる日常を綴ったBLOG

厚顔無恥の横行(その3)

2007-08-03 05:59:21 | 近況
 大学における「研究」や論文執筆における厚顔無恥ぶりについて書いた前回の文章は分かりにくかったようで、申し訳ない。具体的に論文名や著者名を出せないので、隔靴掻痒の感が会ったのかも知れないが、要するに「自分が一番」と思っている輩が多いということであり、彼らの頭には「賢人は市中にあり」というような発想は全くなく、たいしたことない研究しかしていないのに、「自分が…」「自分が…」と思っているジコチュウ的思考に凝り固まっている、ということである。
 僕らが学生時代、大学が「象牙の塔」になっていることを学生たちから批判されて、大学教師たちの多くがそのことを認め反省するということがあったが、今やかつてより質の悪い「象牙の塔」が復活しているのではないか、と思える節がある。質が悪いというのは、自分が学生だった時は、指導者たちが「象牙の塔」に立てこもっていたことを激しく批判していた人間が、自分が大学教師になるや否や、かつての言動などかなぐり捨てて、研究も放り出し「学内政治」に奔走し、見事執行部入りを果たすなどという曲芸を披露している人間などもいる、ということである。厚顔無恥とは、まさにその大学教師のような人間のことを言うのだが、度し難いのは、安倍政権と同じように、面と向かって彼を批判する人間がいないということである。権力の中枢に上り詰めた人間に近づいて「おこぼれ」に預かろうとしているのだろうか。どちらにしても、「醜い」。
 その「醜さ」を超えるために、何よりも必要なのは、「謙虚さ」である。「市中に賢人在り」の認識(思想)と相通じるところのある「謙虚さ」、この「美徳」が急速に失われつつあるように思えてならない。特に若い研究者たちの在り方を見ていると、そのように思えてならない。自分が今あるのは、多くの人の手助けがあった結果である、というような発想をほとんど感じられないのである。全て自分の才能と研鑽の結果が、今日の自分の地位を保証したのだ、というような全く「反省」が感じられない態度に接していると、その人の人格のみならず、「研究」さえ信用できなくなってくる。
 それは、安倍首相が選挙で大敗北しても、「自分の改革路線は間違っていない。敗北の原因は別の処にある」と言い続けていることに似ている。安倍首相の「改革路線」とは何か? 教育の国家統制を強めること、また憲法(9条)を改悪して戦争のできる国にすること、在りもしない「美しい国・日本」を夢想すること、なのか。全部自分が「夢想」し続けてきたことで、全く現実的でない。だからこそ、今度の参議院選挙で「否定」されたのに、そのことを理解しようとしない「お坊ちゃん」、と誰一人「猫に鈴を付ける」ことをしない状況は全く相似である。
 嫌われたくないから「苦言」など呈しない学内事情、そうであるが故に、おのれの力量を過大評価して恬として恥じない若手は、ますます増長する。
 あーあ、また意味のよく分からないことを書いてしまった。分かる人は分かると思っているのだが。