夫婦舟ふたりの息の合わぬ秋
( みょうとぶねふたりのいきのあわぬあき )
島の西側の海岸から小豆島が、見えます
冬など、バスが走っているところも見えるくらいです
すぐ隣の島なのに、訪れるには、四国か本州に渡ってからでないと行けません
午後、海岸線を走っていると小豆島の左の方に富士山のような山影を見つけました
今まで、こんな山見たことあったっけ
連れ合いも ??? って
偶然です
前回記事に書いたミサゴの写真をupなさる方も絵画風に編集した
この島(山?)の写真を、今日upなさってます
2艘は、ずっとスピードを揃えて行きました
余り見かけたことの無い方法の漁です
底引き網ってのでしょうか ?
パジャマのズボンを、他人に上げる夢を見た朝
起きたら、パジャマのズボンを穿かずに寝ていたって記事をupしました
帰省した時、母にその話をしました
そしたら、母が、言うのです
「15年前に亡くなった父の夢など見たことも無いのに、最近、2度も続けて見た」って
「 迎えに来・た・なぁ 」って思ったんだそうです
丁度 20日は、父の命日
仏壇にお経を上げた後、父の位牌に向かって「迎えにきたやろ」
「未だ、行きません」って申し渡していました
父は、母に「直ぐあの世に来なかったら、三途の川に迎えに行っても
母が年老いてから来たのでは、顔が、分からなくて逢えんぞ !!」って言ってました
姑も舅が、生存中は、「お父ちゃんが、死んだら、薬を飲んで直ぐ後を追う」って
言ってましたけど
舅の死後、直ぐ 何かの折 「 死にたくない~~ 」って叫んでました
妻なんてそんなもんです
ブルーメさんへのお土産(写真だけど)
鬼瓦では、ありませんが、「玉青館」の門柱の上に狛犬のごとくに置かれていた獅子です
左右の対になっています
瓦の土を使った焼き物 たぶん ね
向かって左:
向かって右:
わが家も息が合わず秋ならぬ飽きがきてしまいます。
我が家の姑は舅が亡くなったころ「夢にも出てくれない・・」とか言ってましたが、意外に夫を送った妻は立ち直りが早く元気ではつらつです。
舅63歳姑100歳の大往生。遺影の夫はどう見ても息子です。あの世でどんな再会を果たしたのか心配な嫁です。
お菓子なら食べてお終いですが写真ならいつまでも残ります。画像を頂いても(画像をコピーする)もよろしいでしょうか。夏に岡崎に行った時、やはり最近夫が夢に出てきてくれませんと。あっけらかんと言うので毎日が楽しそうで、夫のことは隅っこにしかないと思いました。
夫婦で仲良く逝かれてしまったら残された親戚でも大変です。毎年のように法事があって喜ぶのは坊主だけです。
10年20年とこの世を生き抜かねばなりません。
いない人に未練を捧げるのは3回忌までで結構です。
後は自由に気楽にかつたくましく生きればいいんです。
その逆は困るんですね。
男の女々しさがでます。
理想どうりいくよう願っております。
うふふ 我が家を船に例えるなら、舵を右寄り左寄り
なかなか真っ直ぐには、進みません
さすが、 はい ”秋”と”飽き” かけてありました
姑さん 40年近く、おひとりで頑張られたのですね
実家の母は、三途の川の渡し場で、「私が、お父さんを探すから」って言ってます
お土産お気に召して頂けたかしら
どうぞ、ご自由になさってくださいませ
私も、最近、鬼瓦など気をつけて見るようになりました
亡くなられた後が、大変です
2年間程は、法事が、続きます
同級生のお母さんは、おとうさん(夫)のお葬式の最中に
倒れて、そのまま逝かれたそうです
せつないお話です
3度3度食事、材料を揃えて、調理して、食べた後も食器を洗って、食器棚にしまって、
「洗濯物をする」って一言ですが、干して、畳んで、それぞれの引き出しにしまって
必要ならアイロンを当てて・・・
晴耕雨読なくらしさんなら、そんなことは、ご理解なさっているでしょうが、わが連れ合いは、
単語一つで片付けます
そんな短時間で出来ません
我が家も、残された後、エンジョイする口ですわね
最近は、しっかり家事を手伝う男性が、多いそうですが・・・
以前は、頼りになる人と半年くらい暮らしたいと思っておりましたが
今更ね
いっそ一人の方が、楽しいかと思い始めました