日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

驚き・不思議の宗教都市・天理

2015-11-01 20:28:54 | 旅行
日が経ってしまいましたが、8月の5~10日まで5泊6日で奈良のウィークリーマンションに滞在していた時のことを書きましょう。大学通信教育のスクーリングはいつも前泊などもせず観光する暇がないので、今夏こそは、いや、今夏しかできないのではないか(こんなにゆとりのある夏休みは今年だけではないか)と考え、ウィークリーマンションを使っての長期滞在を決行しました。

その滞在中に見た、
京都の伏見稲荷大社・三十三間堂
秋篠寺・薬師寺
なら燈花会
の記事は以前にアップしました。

今回は、最終日、8月10日に訪れた石上神宮について書きます。
何しろこの旅の期間は近畿地方も東京も猛暑の絶頂期で、近畿地方の寺社観光には適しない時期だと実感しました。暑さで消耗してあまり動き回ることができません。

今までスクーリングが終わればその日のうちに東京に帰っていましたが、今回は贅沢にもう一泊、後泊したわけです。しかし、暑すぎてあちこち動き回る元気はありませんので、観光も一点に絞って、余力を残して東京に帰ることにしました。
当初は、天理大学附属の天理参考館という大きな博物館も見るつもりでしたが、やめて、石上神宮だけにしました。

8月10日もうんざりするほど暑くてよいお天気でした。JR奈良駅からJR線を乗り継いでJR天理駅へ。ホームにあるコインロッカーに荷物を預け、駅の裏手にあるレンタサイクルのお店へ。とても和やかなご夫婦が営んでいるお店でした。私の他に、リクルートスーツを着た女性(学生さん?)も自転車を借りるところでした。その格好で自転車に乗ってどこへ??
私が石上神宮に行くとお店のお母さんに言ったら、今日はなんだか多いねえ、とのこと。

旅先で、レンタサイクルで街を走るのはわくわくします。そんな気持ちでいざ天理の街を走り出しました。

今回の奈良のウィークリーマンションには、オプションで自転車がついていて、無料で使用することができました。暑くて自転車を乗り回す元気もありませんでしたが、一度、なら燈花会を見に、夜、奈良の街を走りました。自転車に乗っていたので地元民と思われたのか、観光客に東大寺はどっちの方ですか?と道を聞かれたりもしました(笑)。

やはり、真夏ではなくて、春や秋など気候がいい時に自転車で走るならよさそうです。
そういえば、私が自転車で奈良県を走るのは通算3回。一度は桜井で借りて山の辺の道を走り、2回目が奈良市内、3回目が天理です。7月に宿泊した大和郡山のホテルでは、無料で使用できるレンタサイクルがあって使いたかったのですが、やはり昼間の学外学習(考古学特殊講義)で疲れ果てて、朝も夕も自転車に乗る元気はなく、残念でした。

さて、天理の街のサイクリングに話を戻します。
石上神宮への道は、まっすぐ伸びる商店街を行きます。この商店街がすごい。とてもゆったりとした空間のアーケードが、延々と続きます。天理市はいうまでもなく天理教の本部のある宗教都市です。

日本史の教科書にも、幕末に生まれた教派神道の一つとして、金光教や黒住教とともに天理教は記述されています。教祖は中山みき。「陽気ぐらし」が大切な教義だそうで、私は天理教をくわしく知りませんが、この「陽気ぐらし」というのは、なかなかすてきなことではないかなという印象を持っています。授業でこうしたことに触れたところ、うちは天理教だよと教えてくれた生徒がいました。東京にも少ないですが信者の方がいらっしゃいますね。


信者が雨に濡れないでお参りできるようにということなのでしょうか、アーケードは非常に長いです。天理教の関係の神具を売っているお店も多いし、高校野球では強豪でおなじみの天理高校のユニフォームは紫色であることを私も知っていますが、この商店街も紫色で彩られています。「ようこそ おかえり」の文字が目につきます。

天理教ホームページによると、

「天理教信仰の中心である『ぢば』の一帯は、もとは大和の国の庄屋敷村(しょやしきむら)(現在の天理市三島町)という小さな村でしたが、やがて多くの人々が寄り来るようになり、『親里(おやさと)』と呼び親しまれるようになりました。親里・天理は、子供である人間の“里帰り”をお待ちくださる“親なる神様”がいます、人類のふるさとなのです。」

こういうことから、「ようこそ おかえり」になるのでしょうか。私は天理教信者ではありませんが、そういう言葉を目にして、なんとなくあたたかい気持ちになりましたし、この商店街も、夏休みの平日で、人通りも少なめでしたが、「陽気ぐらし」をしている人々が営むお店が並んでいるのかなと思うと、いい所なんだろうなと思いました。そもそも暑い・熱い夏の太陽を遮ってくれているだけでもありがたいのですが、このアーケードの空間は、穏やかですがすがしい空気が流れているように感じられました。


アーケードの出口には大きく「陽気は幸せの種」という横断幕。実際、陽気ぐらしを実践できたら、幸せだろうと思います。「陽気」って、いい言葉ですね。

さて、石上神宮に行く途中にあるものですから、この天理教の本部にも立ち寄ってみることにしました。


自転車をとめて、広大な敷地に建つ大きな神殿に向かって、砂利を踏みしめながら歩いて行きました。和やかな友人連れのおばさまたちなどが三々五々神殿に向かっていました。一応、事前にネットで天理についての情報を見て、信者でなくても中に入ってお参りしていいらしいということを知っていたので、上がらせてもらいました。高校生くらいの少年が、神殿の前で案内係なのか、立っていて、靴を脱いで上がる時にあいさつされ、私もあいさつを返しました。陽気ぐらしなので、信者のみなさんは、朗らかなのだろうと思いながら。

畳敷きの広間のような所があって、さらに奥の方にも人が集っている場所がありました。ネットで見たある人の話では、信者でなくてもお祈りしている横で座っていても何も言われないというので、私もちょっと畳に座って、周囲を観察しました。家族がおじいさんから子どもまで、連れ立って訪れ、座って、不思議な手の動き=手の平をひらひらくるくるさせる、をしながら、何かを唱えています。
怪しいというよりは、のどかな感じがしました。
その広間の窓際などに、お兄さんが立っていて、御用係なのかよくわかりませんが、監視しているわけでは決してないでしょうが、お祈りするわけでもないのに何となく長居するのも悪いかなと思って、少しだけで退出しました。

靴を履こうとすると、先ほども書いた、神殿の前で立っていた少年が、近寄って来て、「靴べらどうぞ。」と言うのでした。そのために立っていたんですね。なんか、遠目に見て、短い棒をひらひら振っていると思ったのは靴べらでした。私は靴べらはいらないので、いや、大丈夫です、ありがとうございます。と断ったのですが、なんだか天理教の方々は親切なんですね、と思ったことでした。
その後、神殿からのびる参道のような所をちょっと行ってみようかと思って歩いていたら、すれ違った若い大学生くらいの女性が「こんにちは。」と明るくあいさつしてきました。私ももちろん返しましたが、道端を歩いているだけの人にもあいさつするのか・・・天理教の方は・・・となにやら感心しました。あいさつの感じは、怪しいどころか、明るく、自然で、感じのよいものでした。


その神殿の参道の、普通の神社だったら鳥居にあたるような門、のつくりがこの写真です。ものすごく巨大で、おそらく祝日などには巨大な日の丸が掲げられるのだろうかというような大きな黒白のポールが印象的で圧倒されました。

この鳥居だけでなく、天理教関係の建物が周囲に至る所にあるのですが、とても独特な外観をもつ建物群です。各都道府県等から来る信者の宿泊所が多いようでした。


天理大学もやはり同じようなデザインで威容を誇っていました。

神殿は、365日・24時間お参りが可能だそうで、信者にとってはとてもよいですね。
江戸時代においては新興宗教であったわけですが、すでに180年ほど経過しても残っている宗教ですから、立派なものですね。市の名前に宗教団体名が使われているのは日本でここだけのようです。
「おぢばがえり」とか「ひのきしん」といった独特の言葉もホームページなどで目にとまりました。一応記録しておきます。

人にとって、信仰は大切なものであり、他の人に危害を加えたりするようなものでなければ、それぞれ自由な信仰があっていいと思います。
どんな宗教でも、人が集まる組織というのは、いろいろな問題を抱えているのでしょうが・・・

以上、紫に染まる、不思議な宗教都市・天理について、通りすがりの印象として書きました。

・・・というわけで、すでに長くなってしまって石上神宮にたどりつかなかったので、次回にします。

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