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日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

太安万侶ゆかりの神社を訪ねて その1

2018-06-04 01:08:28 | 旅行
授業で使うこともあるだろうと詳しめにやってきた韓国シリーズもどうにか終わりました。これでやっと、奈良の話題に戻ります。しかも2年前の。

奈良大博物館学芸員資格課程を2016年から受講し始めました。まだチンタラやっております。やはり、今の職場の仕事が忙しくて、普段の日は時間が取れません。今日書くのは、2016年9月から10月にかけて毎週のように奈良大に学内実習に行った、その旅について、その1回目です。

9月25日(日)が学内実習の1回目(計3回)でした。この実習は、いつものスクーリングのように10時始まりではなく、9時開始のため、朝、東京から来たのでは間に合わないので、前泊することになります。そのために、土曜日はまるまる気楽な観光に使えるので、とても楽しい秋でした。

気候のよい季節に奈良に行くのは新鮮です。だいたい、スクーリングでは酷暑か厳寒の季節ですから。しかも、ほとんど前泊も後泊もしませんでしたので、観光らしい観光もできませんでした。
それが、この時は、朝から観光のために時間が使えました。本当にうきうきして奈良に向かいました。

今回は、以前から行きたかった、多神社(おおじんじゃ)を選びました。地理的に、スクーリング中には行きづらい場所でした。

正式には「多坐弥志理都比古(おおにますみしりつひこ)神社」といいます。この地域を拠点としていた多氏の祖神である神八井耳命(かみやいみみのみこと)を祀ったとされています。多氏は、『古事記』を筆録した太安万侶(おおのやすまろ)もその一族になります。「多」と「太」で違いますが、「おお」という音が一緒ですね。

この神社については、とにかく、立地に興味津々で、一度現地に!という思いがずっとありました。どういう場所なのかというと、真東に三輪山、真西に二上山が見えて、私の思いとしては、弥生・古墳時代の奈良・大和の、ど真ん中にある重要地点なのです。

ちょうど、9月24日といえば、ほぼお彼岸であり、真東の三輪山から日が昇って真西の二上山に沈む頃ですから、その様子が見られるか、という期待も以前からしていたのですが、お天気が悪かったので、無理かとあきらめ、夕方などの時間はやめて、昼間に訪れました。

多神社へは、近鉄橿原線の笠縫駅から歩いて行きます。この「笠縫」という名前も興味深いものがあります。

『日本書紀』崇神天皇6年に、「笠縫邑」が出てきます。

崇神天皇が、天照大神と倭大国魂(やまとのおおくにたま)の二神を、天皇の御殿の内にお祀りしたが、その神の勢いを畏れて、共に住むには不安があった。そこで天照大神を豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命に託し、大和の笠縫邑に祀った。よって堅固な石の神籬(ひもろぎ)を造った・・・(以上、宇治谷孟『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫 を参照)

この『日本書紀』の記述だけでも、興味深い点はたくさんあります。天照大神が卑弥呼ではないかと私は考えるのですが、魏志倭人伝に出てくる卑弥呼の後、中国との外交に出てくる女性が、卑弥呼の宗女・壱与(台与 トヨ)ということになっています。こちらは自信はありませんが、トヨは豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)ではないかとも私は考えています。トヨスキイリヒメの墓は、ホケノ山古墳ではないかという説もあります。ホケノ山古墳は、箸墓古墳のすぐ近くにあります。以前この古墳についての記事を書きましたのでそちらもご覧ください。

「トヨの墓なのか?―ホケノ山古墳(学外授業から)」

豊鍬入姫が天照大神を祀った笠縫邑がどこか、ということについては、諸説あるようです。
檜原神社、多神社、笠縫神社、笠山荒神社、多神社摂社の姫皇子神社、志貴御県坐神社、小夫天神社、穴師坐兵主神社、飛鳥坐神社、長谷山口坐神社、がWikipediaに挙げられています。安易にWikipediaから引いてきてすみません。

このうち、私が興味深く思っているのは、多神社の他、志貴御県坐神社、穴師坐兵主神社です。
笠縫神社というものがあるならば、そこで決まり、という考え方もあると思いますが、この地において、駅名にわざわざ笠縫という文字を使っているのは、それなりに考えられて、由縁があってつけられているのだろうと思います。ちょっとそこまで調べられませんでした。

笠縫駅から少し歩くと、コメダ珈琲店があることをリサーチしていましたので、そこで腹ごしらえをしてから多神社に向かうことにしました。コメダ珈琲店に入ったのはここが初でした。シロノワールを食べてみたかったのですが、大きいのと小さいのがあるんですね。よく知らずに大きい方を頼んでしまって、やや苦労しながら食べました(笑)。一人で食べるなら、小さい方で大丈夫だったんですね。
繁華街では全然ないこんな場所にコメダ珈琲店があるのは不思議でしたが、空いていてちょうどよかったです。



川のほとりの、多神社に続く一直線の道に、趣のある鳥居が建っていました。そこを透かして、ちょうど二上山が見えるような向きに建っているようでした。



そこの鳥居にかかっている額の文字

「正一位勲一等多大明神」とあります。この上ない「エライ」神社のようですね。

夜も更けて参りました。今日はこのへんでストップさせていただきます。また次回。

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