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日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

太安万侶ゆかりの神社 多神社を訪ねて その2

2018-06-24 15:19:39 | 旅行
前回の続きです。2016年の9月25日に多神社を訪れた記録です。


ほぼお彼岸の時期でしたので、ヒガンバナがあちこちで咲いていて、趣がありました。


多神社のあたりは、条里制の田んぼの区画も残っていて、まっすぐな昔の道の、交差点表示がありました。私の感覚では、ディープな奈良・大和の心臓部のような気がするのです。これといって派手な、見て面白いものがあるわけではないのですが。奈良観光でここまで来る人は、ごくまれでしょう。

多神社までの道すがら、田んぼに大きく実って垂れている稲穂を見るのは久しぶりで、とても和みました。


私が多神社に来たかったのは、そこから見える風景がどんなものか、自分の目で確かめたかったからです。真東に三輪山、真西に二上山。そして、現地で南の方にも印象的な山があることに気が付きました。畝傍山でした。地図上で見ると、多神社の真南です。

私は、ここ数年、神社に興味を持ち始めたといっても、建物にはほとんど興味がなく、その立地に興味があります。そこから太陽がどのあたりに昇って沈むのか、どんな山があって、現地ではどう見えるのか・・・古代の人々が、その土地を選んだ理由は・・・?
奈良大通信教育の「現地主義」の実践です。


多神社の入り口です。


「多坐弥志理都比古(おおにますみしりつひこ)神社」の標柱。


説明の看板に、興味深いことが書いてありました。

社領古くは方六町を占める。現在も条里小字名に現境内地より
北8町(約864m)の田原本町大字新木に小字「大鳥居」
南7町(約756m)の橿原市大字新堂に小字「トリイ」
東7町(約756m)の田原本町大字多に小字「北鳥井」
西7町(約756m)の橿原市大字飯高に小字「下鳥井」がありこの範囲は
南北17町、東西15町に及び 面積255町歩。


とのこと。東西南北に鳥居があったのでしょう。
1町はおおよそ1haとして、かなり広大な面積です。東京ドーム5,6個分くらいあるかな?私の適当な推算です。古代のみならず、中世の頃そうであったようです。その神威の大きさといいますか、この地域の人々がこの神社をとても大切にしてきたことが想像されます。






またここの鳥居にも「正一位勲一等多大明神」の文字。


多神社の建物自体は、古いものではありません。


太安万侶にちなんだ「まろちゃん」ですか。

今日はこのへんまでとさせていただきます。続きはまた。


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