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日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

三・一独立運動発生の地を訪ねる・・・韓国焼肉ツアー?その4

2018-04-30 19:55:37 | 旅行
4月も終わってしまいますね。私にとってはあっという間でした。いろいろイベントが盛りだくさんの1ヵ月でした。
5月に入っても5月病など吹き飛ばして、元気にいきましょう!
ここを書かないでいると広告が余計に出てしまいますので、簡単にですが、書きます。

韓国焼肉ツアー?その3の続き、タプッコル公園でのことです。

タプコル公園、という表記がネットでは一般的なようですが、山川の日本史教科書ではタプッコル公園、またはパゴダ公園と記述されています。ここは、第一次世界大戦後の1919年3月1日に起こった、三・一独立運動の宣言書が読み上げられた場所です。日本史の教科書等にも出てくる、三・一独立運動で活躍した柳寛順(ユ・ガンスン)のレリーフがあります。

1910年の韓国併合の後、日本の植民地支配を受けていた朝鮮の人々が、第一次大戦後、民族自決の国際世論の高まりを背景に、学生や宗教団体を中心に独立を求める運動が盛り上がり、タプッコル公園で独立宣言書朗読会がおこなわれたのを機に、朝鮮全土で独立を求める大衆運動が展開されたのを三・一独立運動といいます。


おじいさん・おじさんたちが、公園でたくさん休んでいました。平日の昼間に、何をしていたのでしょうか?


独立宣言書の碑です。




日本兵と戦う人々のレリーフがいくつもありました。


日本史教科書や図説等でよく見る柳寛順(ユ・ガンスン)のレリーフも。これかー、と感慨深く見させてもらいました。「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と称えられる、16歳で獄死した少女です。

高校生くらいの年代で、独立運動を先導したわけですから驚きです。先に見たように、日本大使館前で熱心にデモを行うような韓国の若者が多いのも、こうした英雄的な少女が存在していたという、その影響もあるのかもしれません。


レリーフの説明文中に、一九一九という文字や、私もハングルはちょっとしか読めないのですが、ユガンスンの名前も読みとれました。上から4行目の最初です。


タプッコル公園を後にして、その近くに韓国のスターバックス1号店がありました。韓国にはスターバックスがとても多いです。スタバは東アジアに多く展開しているとどこかで見ました。
ホテルの近くのスタバに夜入ってみましたが、とてもにぎわっていて、友人との語らい、パソコンをする人、カードゲームに興じる人など、さまざまでした。日本よりにぎやかな雰囲気でした。

韓国訪問記は、まだまだ続きそうです。今日はこのへんで。


日本大使館前デモを見る・・・韓国焼肉ツアー?その3

2018-03-25 18:55:05 | 旅行
東京は桜が満開になってしまいました!通勤経路にあまり桜がなく、ちょっとしか見ていません。人の少ない穴場の桜はどこかにないでしょうか? 

今日は、休みでしたので、ややゆっくり起きて、奈良のコーヒー店・ロココ(ロクメイコーヒー)の豆、サルサワブレンドをいれてみました。とてもよい香りが、部屋中に広がりました。おいしいです。香りを楽しむのによいかもしれません。これは、今月上旬に科目修得試験のために奈良へ行った時に買って来たものです。

さて、前回の続きで、2016年夏に行った韓国焼肉ツアー、いやお勉強の旅二日目です。
日本大使館前の慰安婦像の所で毎週水曜日にデモをやっているのでそれを見る、というのも、今回の旅をお世話してくださった韓国通のS先生としては、我々初ソウルの者に見せたかったものの一つだったのでしょう。

景福宮から歩いて行ったと思います。


やってました。黄色と紫色の目立つデモの集団、若い人が多いです。


そして、よく見ると、いわゆる従軍慰安婦の像と言われるものがありました。あれか。なるほど。

その周囲で、団扇のようなものやビラを配る若者がいました。私も手を出して、そのビラをもらいました。書いてあることはほとんど読めないのですが。彼らには、私達が日本人だということはわかったでしょうか?わかったかもしれないし、わからなかったかもしれないし。

ステージのバックに、12.28云々と書いてあるので、あの日韓合意について反対している内容なのだろうと思いました。

それにしても、こういったデモを毎週やっている、しかも平日なのに若者が多い、というのに驚かされます。若者は学校に行っていないのか?大学生か?
いずれにせよ、若い人たちが、過去の出来事に強い関心を持って、熱い思いで行動している、ということに、日本の若者との違いを強く感じました。

話題の慰安婦像を見ることができて、感慨深いものがありました。しかし、これはもともと、慰安婦像として作られたものではないような話も見たことがあります。慰安婦というより普通の少女であるように見えますし、戦時中のことがモチーフではなくて、もともとは、近年、米軍が起こした事件が基になって作られ、一つだけでなくて各地に増殖しているというような話をどこかで知りました。それも本当かわかりませんが、単純にぱっと見た印象では、慰安婦のイメージは感じられません。実際どうなのでしょうか。

そこからさらに歩いて、お昼ご飯のお店を目指しました。


途中、甲申事変(1884)の舞台となったという郵便局跡を通りました。

暑くて暑くて、また私は風邪で不調のため、歩くのがつらかったのですが、他の方々は元気で健脚で、いくらでも歩けるようでした。

昼食は、昨夜の居酒屋のおばさんから聞いた、サムゲタンのおいしいお店。もらったメモを見ながら探して、やっと、なんともマイナーな目立たない雰囲気のお店を発見。ここも日本人は行かなそうなロケーション。しかし、お昼時で現地のお客さんはたくさん並んでいました。日本人はゼロだったかな。

混んでいましたが、少し待って、なんとか我々5人も一緒の席に座ることができました。

私はお酒は飲むと体調が悪くなることがあるので、ほとんど飲まないのですが、この時、ちょっとビールを注いでもらって飲んだら、冷たくてすごくおいしかった!お酒は好きではないのに、思わず、いやーおいしいですねえ!と口をついて出てきました。
炎天下、延々と歩いて来て、くたくたな体に、しみわたる感じでした。
ソウルのお店では、コップをキンキンに冷やしてあるお店が多かったです。そういったことも、ビールの一口がおいしく感じた要因だったかなと思いました。日本では、意外とコップを冷やしていないお店の方が多いのではないでしょうか。


サムゲタンは、鶏が丸ごと1羽、鍋に入っていて、すごい迫力。重くて熱い鍋を、おばさんたちは両手に一つずつ持って、器用に運んで来ます。薬膳料理と言っていいと思います。鶏の中に餅米が入っているのはわかりました。その他、一般的には高麗人参なども入っているようです。日本における土用ウナギのような、夏の滋養強壮の食べ物らしいです。
私は疲れ切って、全部は食べられませんでした。100%口に合うかというと、そうは言えないかな。夏バテには効きそうです。

食後は、おみやげ屋さんの並ぶ道を歩きながら、タプッコル公園に向かいました。ここには、日本史の教科書等にも出てくる、三・一独立運動で活躍した柳寛順(ユ・ガンスン)のレリーフがあります。これについては、次回としましょう。細切れにしてでも、少しでも前に進めないと。と思っております。

学校は春休みに入り、授業の準備は一休みですので、こちらをできるだけ更新していきたいと思います。

風水思想・ソウルの古宮・・・韓国焼肉ツアー?その2

2018-03-18 03:37:40 | 旅行
前回の続きです。
韓国焼肉ツアーというより一応お勉強メインの旅二日目です。
韓国は車のサイズがバスも乗用車も全体的に日本より一回り大きいです。排気ガスも日本より強く臭います。

道を歩く人々の中には背の高い体格のいい女性も多く、日本人とはやはり違うな、韓国は大陸の一部なんだな、ずっと歩いていけばヨーロッパまで行けちゃうんだな、と、文化のつながりのようなものまでふとイメージしました。

体調がいまいちながら、朝から景福宮(キョンボックン)を目指して出かけました。ソウル市庁近くのホテルに宿泊していたので、歩いて行くことができました。

途中の道に、文禄・慶長の役において豊臣秀吉の軍を撃退した英雄・李舜臣と亀甲船の銅像。


そして世宗大王(セジョンデワン)の大きな銅像が続きます。ハングルを作った王様で、韓国の10000ウォンのお札の顔でもあります。

アメリカ大使館の前まで来ました。ものものしい警備がたくさんいて、写真を撮るな、と注意してきます。アメリカ大使館は撮影してはいけないようでした。何かイベントがあるとかいうことには関係なく、ここは常に警備が厳しいようです。


ねこじゃらしもなぜか日本のよりぶっとい・大きい。


光化門に到着。
ここから先、景福宮は日本人観光客のためのガイドさんについて見学しました。
それを待っている間、同行していた以前の同僚の先生(韓国に長期滞在をよくしている)が、体が大きくてよく鍛えられている様子が何か怪しまれたらしく、警備の人に、カバンの中を見せろ、と言われて、何も怪しいものはないよ、とアピールしていました。ちょっとスナイパーとかスパイみたいに見えたのでしょうか(笑)。その先生は韓国語がペラペラで、道中もいろいろ助かりました。


この地に来て、建物の配置と山の関係が印象的でした。景福宮の北の背景に、北岳山(プガッサン)が見えて、それを絶対的に意識して建物が作られたのがわかります。ちょうど、藤原京における大和三山と同じようで、驚きました。藤原京では耳成山にあたるのが北岳山になるでしょうか。同じ思想(風水)に基づいて宮が作られているようです。


ちなみにこれは藤原京跡の北に見える耳成山。2016年10月に見に行きました。コスモス畑がメインで悪しからず。

景福宮は李氏朝鮮(1392~)の王宮なので、日本の藤原京(694)の方がずっと古いわけですが、中国も含めた、こうした風水思想を元にした都の建設という、文化の共通性を実感しました。風水思想についても勉強したくなりましたが、先を急ぎます。

私はとにかく夏風邪で咳が出たり何やかやで体力がなく、ソウルの猛烈な炎天下で説明もやや上の空で聞いておりました。


北に玄武、南に朱雀、といった四神も彫刻や絵画に表されていました。日本と同じです。



とにかく全体的に規模が大きいです。平城京の大極殿と比較するならば、圧倒的に景福宮の方が大きい・広いと思います。大極殿みたいなのがいくつもいくつもあります。


景福宮の奥の方から横に抜けて北の方に行くと、大統領官邸・青瓦台(せいがだい)がありました。この頃は女性の朴槿恵大統領がその主でありました。多くの観光客がその官邸を見つめ、写真を撮ったりしていました。


景福宮観光が一通り終わって、次は、毎週水曜日に行われている、日本大使館前の反日デモを見に行きます。あの従軍慰安婦像のある日本大使館前です。
つづく。

ソウルの空気は・・・

2018-03-12 02:46:13 | 旅行
3日は奈良大に科目修得試験を受けに行き、なんとか博物館経営論の答案を書いて来ました。今年度はこれだけしか試験を受けられませんでした。

これに合格すれば、博物館学芸員課程の実習(二)を受けられますが、日程的に、受けられるかどうか、わかりませんね。学校の夏休み中で何も行事がない時に当たれば大丈夫なのですが。

久しぶりの奈良は、穏やかな空気の中でのんびり歩くことができて、とてもリフレッシュできました。この季節ならではのものでこれまで見たことのない「鹿寄せ」なども見て来たのですが、この1泊旅行の話は、またいつか、書くことにしましょう。

古い話がたまっていて恐縮です。今回から何回かに分けて、2016年の夏に行った韓国旅行の話題を書きたいと思います。

そもそも韓国旅行は、以前の学校の社会科の先生達と焼き肉ツアーに行きましょう、という話があって、数年経ってやっと実現したものです。結局、いろいろな都合で行けない先生もいらっしゃる一方で、私達のそれぞれの「教え子」も一緒に行くことになりました。

企画してくださった先生は、韓国と日本の歴史教育に関して造詣が深く、韓国へは年に何度も行って精力的に活動されている韓国通です。私は最初の学校で同じ日本史教員の先輩としてたいへんお世話になりました。この旅行も、焼肉ツアーとはいいながら、実際にはかなり真面目な社会科見学的な旅になりました。

8月9日~11日までの2泊3日の旅でした。

羽田空港から大韓航空で2時間20分。金浦空港着。韓国は近いですね。ちなみに写真はまだ羽田空港です。出発前の大韓航空機です。

着陸して見えた空は、地平線近くが薄茶色くモヤっていました。ソウルは空気がよくありません。排気ガスの臭いも日本より強いです。私は夏風邪を引いていて、咳もひどく、余計に悪化しました。

到着して地下鉄に乗ると、車内のテレビ画面に、1894という年号とともに、おそらく日清戦争?の頃のことを取り上げた反日的なキャンペーンのCMが流れたり、発車のベルというかファンファーレがなんか勇ましいメロディーだなと思ったり、なんとなく重たい雰囲気が。迷彩服を着た兵隊さんも時々います。韓国はいつも戦争モード下にあるように感じられました。

さて、ホテルに着いて、荷物を置いて散策へ。

徳寿宮だったと思います。とても広大な宮殿がソウルにはいくつかあります。

ドラマの撮影でよく使われるという道。

夕食は、これまた超韓国通で長期休暇中は何週間も韓国に滞在しているかつての同僚の先生と合流して、現地の人しか入らないような居酒屋へ。



辛い料理がやっぱり多くて、喉が痛い私は、もともと辛いものがまあまあ好きだけど、残念ながら辛いものは控えめに選んで食べていました。
ソウルのサラリーマン的な人々が集う居酒屋で、やはり日本とは違う異空間のような感じが味わえました。


もう夜も更けて参りました。明日に備えて今日はここまで。
つづく

長谷寺の観音様のおみあしをさする

2017-12-24 02:58:20 | 旅行
世の中はクリスマスとお正月準備の季節ですが、ここでは前回の続きで、去年の紅葉の季節(2016年11月23日)に長谷寺を訪ねた話題です。
前回までが吉野の記事でした。その夜は大和八木のホテルに宿泊しました。翌日の朝食は『飛鳥・藤原の朝ごはん』とのことで、古代米か何か出てきて(もう記憶がない)ちょっと工夫されたごはんでした。

朝のやや早い時間に長谷寺に向かいました。長谷寺来訪は、私は2回目でした。
少し早め(と言っても9~10時台くらい)だったので、観光客の出足はまだ少なめでした。参道を歩いていると、あちこちのお店から「おはようございます。」と声がかかりました。あるお店では、おばさまが小走りで駆け寄って来て、つくりたての温かい草餅をサービスで手渡してくれたりもしました。とにかくそんな感じで、町の雰囲気が朗らかで温かいのです。おはようございますとの声が多かったのは、朝早かったから、というより、そのように声かけをしましょう、と励行されているのかもしれません。しかし自然な感じで、明るい挨拶で、よい人たちの多い町なのだなと思わされました。
以前、長谷寺については記事を書きました。
「奈良県桜井市への移住はいかが?」
昨年2月、「桜井市魅力満喫セミナー」に参加した時の記事です。
そのイベントでは、この長谷寺界隈への移住も促進しているようでしたので、そういう取組みとのかねあいもあって、地域が一体となって、意識を高く持っていらっしゃるのかもしれません。
実際に移住するのは大変なことも多いと思いますが、よい所だと思います。


この登廊の雰囲気がとても好きです。紅葉も見えてまた格別でした。

長谷寺は、真言宗豊山派の総本山。わらしべ長者の話が私は好きですし、万葉集にも「初瀬」という言葉がたくさん出て来ますし、三輪山の真東にあり、さらに東に室生寺があり、さらに東に伊勢神宮の元伊勢?斎宮跡?があり、この位置関係について個人的に興味があります。

上記の「桜井市魅力満喫セミナー」における長谷寺の東京出張所の所長さん(お坊さま)のお話から再掲しますと、

「伊勢神宮ができる前に、アマテラスは長谷寺の建つ前の土地に住んでいた。そこに観音様を造った。」

という話が興味深かったです。
長谷寺と近くの與喜天満神社には共通点があり、太陽信仰と関わりがある記事を読んだことがあります。ここではあまり掘り下げないことにします。

ちょうど、「長谷寺大観音特別拝観」というのをやっていて、観音様の足をさわって、お願い事をすることができるとのことでした。せっかくですので入ってみました。

入口で、手を出してください、と言われ、ごく少量の、香りのする粉を手のひらにいただきました。塗香(ずこう)といって、それを両手に塗り広げることで、体を清めるらしいです。後で売店で買ってみましたが、独特の香りがします。伽羅、白檀、鬱金などが調合されているそうです。また、五色の紐を撚り合わせた太さ5mmくらいの紐を手首につけられます。これで観音様とのご縁が結ばれるとか。ネットで改めて確認すると、「結縁の証」の五色線というようです。長谷寺HPによると「せっかく結縁しましたので近くに付けて頂けると有難いです。」左腕につけるそうで、「毎日腕につけて頂いても良いのですが、根付にして鞄や車につけて頂いても良いでしょう。」とのこと。机の引き出しの取っ手に縛り付けていましたが、もうちょっと場所を考えましょうか。

中に入ると、やがて薄暗い中にすっくと立つ大きな観音様の足元に到着します。願い事をしながら観音様の足をさすってください、と言われたような気がします(1年前なのでもうあまり覚えていない)。見上げれば、観音様のお顔も見えます。観音様の背の高さは10m18cm。大きいです。
観音様の足はつやつやしていました。あまりごしごしさすってがつがつお願い事をするのもなんかな、と思って、控え目に足をさわらせていただきました。
http://nara.jr-central.co.jp/campaign/hasedera/special/sp_jyu.html
(うましうるわし奈良HP)
観音様は、座っているのではなくて、立っていらっしゃるのですね。長谷寺では、観音様の足元は一般の拝観ルートからは見えません。
その一般の拝観ルートに戻って、正面から観音様を拝見させていただいたり、広いお堂の中を見回したりしてきました。私はこのお堂の雰囲気も好きです。



お堂の天井にこんな方角を示す盤が吊り下げられていました。

撮影不可の像の中で、雨宝童子(赤精童子)というものがあって、初瀬山を守る八大童子の一人とあり、解説の最後に「伊勢神宮の御神体である天照皇大神(あまてらすおおみかみ)としても崇められる。」と書いてあったことに私は反応しました。そういった太陽信仰、アマテラスとの関係など、今後も考えていくうえでこうした像の存在も心にとどめておきたいと思いました。
上記のリンク先の記事にも、「本尊は天照大神の本地仏」との文言があり、そもそも観音様がアマテラスであったりするようです。観音様は磐座の上に立っている、というのも興味深いです。

紅葉も、盛りは過ぎていたようですが、きれいでした。清水の舞台のような張り出したスペースがあって、いい眺めです。


以前来た時は6月でした。また違う季節に来てみたいと思います。ちょっと奈良市内からは遠いので、なかなか来れませんけれども。

まだまだ昨年の出来事で書いていないものがたくさんあります。やっと仕事も年内は一段落しましたので、こちらの更新と、学芸員資格課程のレポート作成に精を出したいと思います。
ある生徒に、「先生冬休み何するんですか?」と尋ねられ、「うーん、勉強。」と返事しました。学芸員資格を取るためのレポート書かなくちゃ、と生徒にも言いましたので、有言実行です。2本くらい書ける??さてどうなるでしょうか。