ジャズとレコードとオーディオと

音楽を聴く。人によって好みが分かれるでしょうが、このブログでは主に女性ジャズボーカルを紹介させていただきます。

SUE THOMPSON

2006年03月31日 | 女性ボーカルT
HICKORY盤でSUE THOMPSONの“with STRINGS ATTACHED”です。録音年はわかりませんが英国録音のようです。英国録音は音が良いという認識があるのですが如何でしょうか。スートンプソンという歌手は1925年にネバダ州生まれ。7歳ぐらいからギターを弾きながらカウガールソングを歌っていました。10代に家族と共にサンノゼへ引越ししてからは田舎のTVショウに出演していました。戦争中は軍需工場で働き戦後に20才で結婚し女児に恵まれましたが結婚生活は3年で破綻し、再び彼女はノースカリフォルニアのクラブで歌の仕事をするようになりました。バンドリーダーでもありラジオテレビの司会もしていたDude Martinのスカウトショウで認められ Martinのバンドに招かれたのです。彼女の声はリトルガールシンギングと言われていました。という元来からのカントリーシンガーのようで、本アルバムもカントリーソングのアルバムとなっています。オーケストラ伴奏でアレンジはJIM HALLが主として腕を奮っており他にBILL McELHINEYやANITA KERRも名を連ねています。カントリーソングによく見受けられるような粘りがあり高音の声質で歌っています。

MARGARET WHITING

2006年03月31日 | 女性ボーカルW,Y,Z
CAPITOL盤MARGARET WHITINGの“song for the STARRY EYED”オーケストラ伴奏で指揮アレンジはFRANK DEVOLとなっています。彼女は1924年ミシガン州デトロイト生まれという事ですが、デトロイトには数度行ったことがあるので、その理由だけで親しみを感じます。“Till We Meet Again また逢う日まで”で有名な作曲家リチャードAホワイティングの娘として生まれ小さい頃から父について歌やピアノを学び歌手である叔母のマーガレットヤングにも指導を受けたということです。 父の友人で作詞作曲家そして歌手でもあったジョニー・マーサーのNBCラジオショウに出演したのが芸能界へのデビューとなりました。その後フレディ・スラック楽団で歌った“ザット・オールド・ブラック・マジック”やビリー・バタフィールド楽団で歌って45年にミリオンセラーを記録した“ヴァーモントの月”(1954年に再録音している)やポールウェストン楽団で歌った“It Might As Well Be Spring 春の如く”等の多くのヒットレコードを放ち、1946年にはソロとして吹き込んだ“オール・スルー・ザ・デイ”が初ヒットとなりました。代表作は“A Tree In The Meadow 牧場の樹”(48年)、“スリッピン・アラウンド”(49年)で、いずれもミリオンセラーとなったとあります。

彼女の歌は白人女性が歌う良質なボーカルという意味でロ-ズマリークルーニーに通じる部分があります。全く気負いのない自然な唄い方でナチュラルという言葉がぴったりです。本アルバムもスタンダード中心で、like someone in love/let's fall in love等が収録されています。

Rise STEVENS

2006年03月30日 | 女性ボーカルS
このアルバムですがよく知りません。ネットで調べたのですが英語では少し説明文を見つけましたが読解力に問題があり行き詰まりました。
かなり古いCOLUMBIA盤です。RISE STEVENNSの“SONGS OF ROMBERG SONGS OF KERN”というアルバムです。COLUMBIA MASTERWORKSとなっています。RISEについては1913年生まれメゾソプラノ歌手でNYメトロポリタン オペラ スターと紹介されていました。RISEはエドサリバンショウの第10回クリスマスショウにキャロルローレンスなどと出演したようです。
SIGMUND ROMBERGは作曲家で、朝日の如くさわやかには彼の作曲です。またJEROM KERNも作曲家で主にミュージカルの作曲が多かったようで、1944年のミュージカルSHOW GIRLではガーシュインと共に作曲に携わっています。

本アルバムは上記の二人の作曲家の曲を片面つづ歌ったものとなっております。A面はROMBERGの曲をオーケストラ伴奏DUDLEY KINGの指揮で歌い、B面はKERNの曲をSYLVAN SHULMANの指揮で歌っています。このアルバムの製作年はアルバムに書かれていないので分りませんが、かなり古そうです。古いにも係わらずアルバムの音は結構いい音で入っています。RISEはオペラ歌手らしく安定した声でよくとおる声量の持ち主です。CD等では彼女のアルバムが数枚販売されていました。

FELICIA SANDERS

2006年03月30日 | 女性ボーカルS
COLUMBIA盤でFELICIA SANDERSの“at the BLUE ANGEL”です。彼女は所謂キャバレーシンガーと言われていたらしいです。黒人の血が混じっているということですが、その容姿にしても歌声にしても、そんな印象はありません。粘っこいくせのない白人的な声で誠実な感じを受ける声で歌います。
伴奏はpiano:Irving Joseph bass:Red Callender drums:Norm Jeffriesとなっています。BLUE ANGELというクラブでのライブ演奏を収録したものです。
収録曲はCOME RAIN COME SHINE/MY FUNNY VALENTINE/IF I LOVE AGAIN/SOMETHING COOL等です。
曲の合間に彼女が曲紹介をするのですが、その声も温かくてはっきりしていて少し可愛いくて好感が持てます。
また本アルバムにも収録されていますが、パーシーフェイス楽団と共演したムーラン・ルージュの歌がヒットしました。

SUSAN BARRETT

2006年03月30日 | 女性ボーカルB
CAPITOL盤でSUSAN BARRETTの“MIXED EMOTIONS”です。オーケストラ伴奏で指揮アレンジはKENYON HOPKINS。
彼女はアーサーゴッドフリーのタレントスカウトショーをきっかけにブロードウエイへも進出しさらにトップクラブでも大好評を博した実力派だとボーカル本には紹介されています。歌唱力は本格的と思います。小粋な歌い回しをするようなタイプではなく舞台やビッグクラブで実力を発揮する歌手と思います。

CAROL LAWRENCE

2006年03月30日 | 女性ボーカルL
CHOREO盤のCAROL LAWRENCE の“This Heart of Mine”です。実はこのアルバムも購入してから今晩聴くのが2度目です。購入してワクワクして聴いた時にあまりに音が悪く気分を害して1曲目が終わってからは針を上げそのままお蔵入りしていました。今しがた久し振りにモノラル針で聴いたのですが、やはり音が悪く、伴奏の音だけがいやに強調されボーカルの音は全く抜けている状態でした。それをこのプログに書こうとしたのですが、もう一度ステレオ針で初めて聴いてみました。すると音が蘇りました。というか最初からステレオ針で聴くべきだったのでしょう。自分の短気を反省しながら新しい一枚のアルバムを購入した気持ちです。これほどモノラル針とステレオ針の違いが出たアルバムは初めてです。ステレオでの録音が良いということなのでしょうか。それとこのアルバムはアメリカ盤の再発物のようです。
さてこの彼女は舞台のウエストサイド物語でマリアを演じたキャロル・ローレンスです。ちなみに映画で主役のマリアを演じたナタリー・ウッドは全曲歌うつもりで全曲録音していたのですが製作サイドからNGがでて吹き替えに決定したそうです。このウエストサイド物語が有名で人気を博したのは出演者の力量もあるでしょうが、レナード・バーンスタインが作曲しているところも大きいのではないでしょうか。
肝心のキャロルの歌ですがジャズテイストは少し薄いものの上手いです。声に張りがあってしなやかな美声だと思います。
オーケストラ伴奏でHERRY BETTSとDICK HAZARDの二人で指揮アレンジが行われています。またBUD SHANKが参加しています。B面のMORE THAN YOU KNOWあたりではしっとりと歌い上げ心を揺さぶります。


収録曲は
1,I Get Along Without You Very Well
2,Tell Me Lies
3,This Heart Of Mine
4,The Year Turns 'Round
5,There's A Lull In My Life
6,I'm Gonna Wear Your Love
7,I Wonder What's The Matter With Me
8,I Love You Porgy
9,Come Away With Me
10,More Than You Know
11,So It's Spring
12,Goodbye John
13,When The Sun Comes Out

Marla Smith

2006年03月29日 | 女性ボーカルS
Marla Smithなる女性のCUB8001盤というレーベルの“TAKE OFF IN SOUND”というアルバムです。正直な感想を言うと買わない方が身の為です。今日、二度目を聴いていますが、声の質がよくないし小石でうがいをしたような声質で一般人としては上手い方でしょうがジャズシンガーの幕下付け出し程度でしょうか。何より心に訴えるものが感じられません。買って後悔したアルバムの一枚です。このアルバムのオリジナルが1万円以上で売られていますが売れるのでしょうか?と言っても私のは国内盤ですが買って聴いてから上記のように感じた次第ですから致し方ないかも。ライナーノーツには何も書かれていません、全く資料がないとだけです。聞いたところではAA社のチケット係をしていたらしく、その関係でAA社の飛行機から飛び降りたような写真になったんでしょうか。あるいはAA社の良きスポンサーを見つけたか音楽関係者を誑し込んだじゃないかのと邪推したくなります。アルバム裏面は英語で何やら書かれていますがAA社の宣伝みたいです。

本アルバムはオーケストラ伴奏でSAMMY LOWEのアレンジ。それと懐かしいSAM TAYLORの名前も載っています。
国内盤の中古でまだ良かったなアと思った1枚でした。このアルバムを気に入っている人がいらしたらごめんなさい。私の好みで判断という事でご容赦下さい。

収録曲は
A面が
1,GONE WITH WIND
2,A SONG I CAN CRY TO
3,NOBODY LOVES ME
4,WILD FIRE
5,SPEAK LOW
6,ANOTHER SUMMERS DREAM
B面が
I,CAN'T DO A THING ABOUT YOU
2,HOLD ME
3,THE BOY ON THE BEACH
4,YESTERDAYS
5,EASY GOIN'
6,ALONG WITH ME

Ella Fitzgerald

2006年03月29日 | 女性ボーカルF
アルバム紹介100枚目記念です。

VERVE盤ですが、これは国内再発盤ポリドールからのELLA FITZGERALDの“THE GEORGE & IRA GERSHWIN SONG BOOK ”の5枚組BOXです。BERNARD BUFFETの絵をあしらったアルバムとして有名です。伴奏はオーケストラでアレンジ指揮はお気に入りのNELSON RIDDLEです。またの機会があれば他の絵が載った写真も紹介します。

紹介100枚目記念という理由でエラの事を少し紹介します、今更ですがご辛抱下さい。
1917年バージニア州生まれのエラはジャズシンガーとしてビリーホリデイやサラボーンらと並ぶ歴史的なシンガーと思います。少女時代はホームレスとして極貧の十代を過ごしますが、NYのアポロ劇場のアマチュア・ソング・コンテストでの優勝をきっかけに芸能界へ入ったという事です。35年、チック・ウエッブ楽団の専属歌手として活躍、38年にはA-Tisket, A-Tasketのヒットを飛ばし人気歌手としての足がかりを築いた。その後40年代後半のLady Be GoodやHow High the Moonといったヒットによって、エラはジャズ界に揺るぎない地位を占めるようになりました。コール・ポーターやジョージ・ガーシュインの作品ほか、彼女は色々なジャンルの作品を歌ったが、その上品な歌声は変わることはなく広い音域と澄んだ高音は声もステキだし、心の深いところに届く何かを彼女は与えてくれます。
86年から引退生活に入り93年に糖尿病の合併症のため両足の切断手術を受け1996年に残念ながらカリフォルニア州ビバリ-ヒルズの自宅で亡くなりました。

エピソードを一つ。
エラ・フィッツジェラルドはマリリン・モンローのお気に入りの女性シンガーでした。エラがある雑誌で、『真の意味のデビューはマリリン・モンローのおかげです。私は50年代にモカンボ(ロサンゼルスの有名なクラブ)で歌っていました。ある時、彼女は店のオーナーに電話してすぐに私のステージの予約席がほしいと言ってきたのです。もしそうしてくれたら、毎日最前席を取るからと、そうすればマスコミも毎晩やってくるわよと彼女は言ったそうです。本当に彼女は毎晩やってきてマスコミも押しかけたいへんな騒ぎとなりました。おかげでその後私は小さなクラブで仕事をしなくてもすむようになったのです。彼女は稀有な女性です』と語ったそうです。

Audrey Morris

2006年03月29日 | 女性ボーカルM
上手い!マーラ スミスの後に聴くと余計上手いです。これがジャズボーカルと感じさせます。

本アルバムはBETHLEHEM盤の“THE VOICE OF AUDREY MORRIS”1956年録音です。
彼女のは歌に表情があり細かいところまで丁寧に歌い込んでいます。じっくりと聴かせるシンガーです。彼女の歌はアン・バートンあたりにも影響を与えたらしいです。彼女はクラブで弾き語りもしバラッドを得意としていたらしいです。女っぽい温か味のある声ですがジュリーロンドンのようにささやくのとは違い、しっかりと腹に力を込めて歌います。このアルバムの後、家庭に入りましたが80年代にカムバックしたという事です。

収録は
1,I NEVER MENTION YOUR NAME
2,IT'S ALWAYS YOU
3HOW `DJA LIKE TO LOVE ME
4,GLAD TO BE UNHAPPY
5,WHAT MORE CAN A WOMAN DO
6,IF LOVE WERE ALL

7,BLUE TURNING GRAY OVER YOU
8,IF YOU COULD SEE ME NOW
9,I GO FOR THAT
10,I WONDER WHAT BECAME OF ME
11,YOU IRRITATE ME SO
12,MY OLD FLAME
伴奏はオーケストラ伴奏ですが、ステュ・ウィリアムソン(TP) ビル・ピットマン(G) ジョー・モンドラゴン(B) アーヴ・コットラー,アルヴィン・ストーラー(DS) マーティ・ペイチ(COND,CELESTE)となっています。

Irene Kral

2006年03月29日 | 女性ボーカルK
オリジナルはCHOICE CRS盤ですがこれは国内再発盤トリオでIRENE KRALの“WHERE IS LOVE?”1974年録音です。
彼女は1932年のイリノイ州シカゴの生まれ。ジャッキー&ロイのロイ・クラールの妹です。ハイ・スクール時代にはピアノとクラリネットを演奏していたとあります。48年にジェイ・バークハート楽団に加入しウディハーマン、チャビージャクソンを経て、コーラスグループのタトルテイルズに参加した後に、55年にソロ歌手として独立しました。また57年から58年までメイナード・ファーガソン楽団でも歌い、スタンケントン、ハーブポメロイ楽団にも参加したらしいです。62年にはシェリー・マンのコンボで歌ったが64年からの10年間をカリフォルニアに移り引退同然だったが、74年にアラン・ブロードベントと組んでカムバックし、レコーディングしたのが本アルバムのです。76年トランペッターのジョーバーネットと離婚、77年には初来日しています。

彼女の歌は音程に抑揚をあまり付け加えず少しだけ鼻にかかった声が自然な感じです。癒し系ボーカリストとでも言うのでしょうか。残念ながら78年に乳癌のために他界しました。

本アルバムのパーソナルはIrene Kral(vo), Alan Broadbent(p)だけとなっていますがその調和が素敵です。伴奏がピアノだけというのは妙に落ち着きます。

収録曲は
1,I Like You, You're Nice
2,When I Look In Your Eyes
3,A Time For Love
4,Love Came On Stealthy Fingers
5,Never Let Me Go
6,Spring Can Really Hang You Up The Most
7,Lucky To Be Me
8,Where Is Love
9,don't Look Back

Gale Storm

2006年03月28日 | 女性ボーカルS
再びゲイル・ストームです。映画“五番街の出来事1946年”や“テキサスから来た男 1949年”“荒くれ男1949年”“拳銃無情”に出演しています。拳銃無宿といってもウィンチェスター92の銃身を短く切ったソードオフガン(通称ランダル銃)を持ったスティーブ・マックィーンのTV西部劇ではなくその先輩格のものです。そういえば'60年代には拳銃無宿のランダル銃というセールスコピーでMGMという日本のモデルガンメーカーのモデルガンも売られていました。

アルバムの話へ戻ります。
このアルバムの写真はどこかの若奥様という感じで写っていますね。真珠の首飾りはMIKIMOTOであって欲しいです。
本アルバムはDOT盤で“SOFTLY AND TENDERLY”でオーケストラ伴奏のアレンジはMILT ROGERSとなっています。
彼女は女優でジャズシンガーより一般には兼ポピュラーシンガーとして評価されていたようです。声はややハスキーでフェイクもさせず丁寧に歌っていますが、ビブラートの際に時々微妙に音程がブレるように感じるのです、本職でない所以でしょうか。が、それも良しとする痘痕笑窪の私であります。感覚的にはコニーステイーブンスにどこか共通するところが有るように思えます。

収録曲は
A面が
1,SOFTLY AND TENDERLY
2,WONDERFUL WORDS OF LIFE
3,IN THE GARDEN
4,FAIREST LORD JESUS
5,LET THE LOWER LIGHTS BE BURNING
6,SWEET HOUR OF PRAYER
B面が
1,WHAT A FRIEND WE HAVE IN JESUS
2,IN THE SWEET BYE AND BYE
3,HIGHER GROUND
4,THE OLD RUGGED CROSS
5,TAKE MY HAND,PRECIOUS LORD
6,GOD WILL TAKE CARE OF YOU

プレスリー

2006年03月28日 | ジャズ以外
ジャズとは違うアルバムですが久し振りに聴いてよかったので紹介させて下さい。プレスリーについては説明は必要ないと思います。1935年ミシシッピー州テュペロ生まれ。 私が小学生中学生の頃に日曜日の午後1時のラジオ番組小島正男の“1000万人のポピュラーヒット”でよく聴きシングル盤を時々買ったりしていました。プレスリーの映画は18禁というのもあったりで映画館に見に行ってはいませんが、1964年ラスベガス万才のアン・マ-グレットとの共演や掛け合いは評判でした。また1965年フロリダ万才原題GIRL HAPPYでは相手役のシェリー・フェブレー(TVで人気だった女優)に憧れたりしたものです。まあ、ほとんどの映画はプレスリーの人気便乗のC級作品だったようです。プリシラとの離婚後は生活が荒れ肥満に苦しんでいたようですが、このアルバムは1972年6月10日のNYマジソンスクエアガーデンのです。このツアーで特筆されるのは6月9日から11日までの4回に亘るニューヨーク・マディソンスクエアガーデンでの公演。チケットは5月8日の発売と同時に完売。3日間で合計8万人を動員、チケット売上73万ドルは、マディソンスクエアガーデンの新記録となったということです。観客の中には、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン、デイヴィッド・ボウイ、アート・ガーファンクルの顔も見られたとあります。

このアルバムはステレオでボリュームを大きめにして聴くとよりライブ会場の雰囲気が感じられます。ライブが終わって数十秒後には“エルビスは既にこの会場を離れました”というアナウンスがあるのが愛嬌です。
本アルバムは学生時代に買ったものですが、RCAの日本ビクター盤です。アルバム名は“ELVIS as RECORDED at Madison Square Garden”となっています。

1977年8月16日享年42歳で、発表された心臓の不整脈による心臓発作で残念ながら亡くなりました。合掌。

Lita Roza

2006年03月28日 | 女性ボーカルR
NIXA盤の国内再発盤の“LITA ROZA”1960年ロンドン録音です。あまり資料が出ておらずネットで調べたのですが資料はすくなかったです。彼女は本名もLita Rozaで1926年リヴァプール生まれ。スペイン系の父親の音楽的才能を引き継いだ彼女は機会があればピアノを弾いていたらしいですが7人兄弟の中で一番早く働き始め家計を助けたようです。12歳の時にはダンサーやパントマイムなどの仕事をしていましたが15歳の時コメディアンのテッドレイのブラックベルベット・ショーのステージに立つようになりました。その後にNYへ進出したらしいですが英語学力の能力不足で細かい部分は読解不能状態です。
本アルバムのオリジナルを某ネットショップで見かけましたが高い値段がついていました。共演はRONNIE HUGHES(tp)RONNIE ROSS(as,bs)RONNIE CHAMBERLAIN(as.ss)このRONNIE姓は兄弟でしょうか。他にはDUNCAN LAMONT(ts)JOHNNY KEATING(tb)DAVE LEE(P)KENNY NAPPER(b)ANDY WHITE(ds)によるライブ録音で、リタのやや低音でしっかりとよくとおる声としっとりとした歌い回しとバックの好演でジャズを満喫できると思います。



Jo Stafford

2006年03月28日 | 女性ボーカルS
CBS盤で1960年録音のJo Staffordの“JO+JAZZ”です。このアルバムの顔の表情恐いですね。最初に見た時は正直言うと最近はやりのニューハーフかと思いました。名前もジョーですし。
1920年カリフォルニア生まれでもともとは姉妹三人でスタフォードシスターズとして歌っていたらしいです。その後'38年にトミー・ドーシー楽団へ入りコーラスはもちろんソロでも活躍し'47年にはゴールデンディスクを受け人気を確立したとあります。'51年にCBSへ移籍しその後に出たアルバムが彼女のアルバムの中でもジャズボーカリストの持ち味が出ているアルバムでしょう。当時のエリントン楽団のメンバーを中心としたオーケストラ伴奏で、テナーサックスのベンウェブスターやアルトサックスのジョニー・ホッジスが脇を固めています。本アルバムは国内再発のステレオ盤の為、音は今ひとつという感じですが、彼女の声はやや低いですがしっかりとした声(骨太な声というんでしょうか)でジャズボーカルを充分楽しめます。

余談ですがステレオとモノラルでは通常はモノラルの方が音が良いとされています。実際に聴いた場合もそう感じるアルバムが大部分でまれに逆の場合もあるようです。これはモノラルがレコード溝が凹状なのに対して、ステレオはV状となっており楕円針を使う為レコード接地面が大きく異なる為なのでしょう。私はステレオ録音でもモノラルで聴きますが時にはステレオ針でも聴き比べてみますが、私の装置ではモノラルに部があります。ちなみに針はどちらもDENONのDL102とDL103で
す。

収録曲
A面
1, JUST SQUEEZE ME
2, FOR YOU
3, MIDNIGHT SUN
4, YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO
5, THE FOLKS WHO LIVE ON THE HILL
6, I DIDN'T KNOW ABOUT YOU
B面
1, WHAT CAN I SAY AFTER I SAY I'M SORRY
2, DREAM OF YOU
3, IMAGINATION
4, S'POSIN'
5, DAY DREAM
6, I'VE GOT THE WORLD ON A STRING

Lena Horne

2006年03月27日 | 女性ボーカルH
RCA盤でアルバム名が“AT THE WALDORF ASTORIA”です。一度も来日した事がない大物歌手の一人でしょう。父親が白人,母親が黒人で色もそれほど黒くなく美人でスタイルもいいと思います。岩浪洋三氏によると彼女のステージは堂々として押し出しもありしゃべりも上手いとの事です。1917年にNY生まれで16歳の時ハーレムのコットンクラブのコーラスガールになったという事ですから筋金入りのエンターティナーでしょう。当時の同クラブはオリーブよりも肌の色の濃い黒人は採用されなかったらしいです。彼女も差別にあいながら実力を示すことで厳しいショウビジネスを生きぬいてきたと言えます。彼女が19歳の時、NY五十二丁目のクラブでビリー・ホリディの歌を初めて聴いて足が震えるほど感激したという話もあります。彼女のアルバムは他にも数枚所有していますが、このアルバムが彼女のエンターティナー度が感じられ一番好きです。華麗でダイナミックに歌い上げ迫力に満ちています。煌びやかなステージが想像できるような気がします。残念ながらアメリカのショウビジネス界では圧倒的人気があった彼女もなぜか日本での人気はいま一つだったようです。日本ではショウステージでのアピールの魅力が味わえないからでしょうか。あるいは小唄のような歌い回しが好まれるからでしょうか。彼女は黒人が差別されていたショウビジネスで活躍しその地位向上にも大いに貢献したようです。