ジャズとレコードとオーディオと

音楽を聴く。人によって好みが分かれるでしょうが、このブログでは主に女性ジャズボーカルを紹介させていただきます。

北京のMONICA

2009年02月08日 | ライブ
明日には腫れて帰国しますが北京にいた時に、取引先の近くを昼食後に散歩した時に取った写真です。写真で見ると英国風の古い建物で、こういう建物も残っているんだなぁ~と思ったのですが、敷地を出るとそこにはあまり有難くない立て札がありました。というのは戦時中の記念として云々とありました(詳細はまたの後日という事で)
夕直後にお客さんと恐らく自分の知っている限りでは北京でただ一つのジャズ・ライブをやっている北京嘉里中心飯店のロビーにあるCENTROで一杯(一杯は最低1200円から)飲みながらジャズ・ボーカルを聴きました。シンガーはカリフォルニアから来たMONICAという名のシンガーで黒人、ピア二ストは名前は判らないのですが黒人で多分米国でしょう。ベースとドラムは地元の中国の奏者でした。このMONICA というシンガーは見た目はビリー・ホリディーみたいな印象がありますが、ボーカルの実力は失礼ながらB級ぐらいかなと見受けました。ピアニストはかなりタッチ良く聴けました。ベースも悪くなかったのですが、ドラムははっきり言うとイモでした。北京はジャズよりロック人気の若者中心の都市ですからドラマーもこうなるのかな?1セットを聴いて帰りましたが、演奏曲目は, 1, SHADOW OF YOUR SMILE 2, MY ROMANCE 3, WHICH CRAFT 4, WHEN I FALL IN LOVE 5, ALL OF ME の5曲で1時間でした。日本にいて常時レコードなどを聴いているとあまり感動を覚えないかも知れませんが、日本を離れてしばらくするとジャズが恋しくなる僕みたいな諸氏がいらっしゃれば、4月末まで彼等のライブをやっているそうですから、一度聴かれてみては如何でしょうか。平日は夜8時開演、土日は夜9時開演です。毎日2セットのライブとなっています。

菅野邦彦 ライブat倉敷

2008年09月24日 | ライブ
今月の11日に倉敷で行われた菅野邦彦のライブの一コマ写真です。ちなみに倉敷でのライブは初めてという事でした。九州からの演奏旅行の帰り道でもあるし9月の10日か11日に倉敷でライブをしたいと菅野から連絡があったと主催者から聞かされたのが8月20日頃ですから、もう日にちも押し迫っているし寝耳に水の話で会場の段取り等の心構えも全くないので、一時はどうなるんだろうとか思いましたが、思いつくままに行動する菅野の事ですから、何とか希望をかなえてあげたいの一心で八月の後半は会場探しでバタバタでした。主催者からすべて手書きの文字通り手作り案内状が届いたのが8月の終りでしたので案内が行届く時間も少なく、聴き手は何人集まるだろうかという心配をしていましたが、友人や知り合いの協力もあって約30名の集まりとなり主催者も僕も何とか格好がついたと安堵したライブでした。前日に新しい木製フラット鍵盤ピアニカ(特注)が僕の家まで届きそれを菅野に渡せたのが当日の夕刻で菅野はぶっつけ本番に近い形でその木製ピアニカをライブのところどころで演奏しましたが、たかがピアニカといえ菅野が奏でるといい音で鳴るんですね、これが。菅野自身はこの木製ピアニカに対する馴れが充分でないところに不満があったのだろうと思いますが、そんなに気にしなくても充分楽しめましたよ、菅野さん。ライブ中盤で演奏された“月の砂漠”はよかったなぁ~。ライブ前日の迎え翌日の見送りと3日間の短い時間をトリオのメンバーと過ごしましたが菅野の話がおもしろかったです。ボリビアで苦労した話、坂本九から買ったサンダーバードの話(この車は彼のアルバムポートレイト2に写真が使用されています)。ライブ翌日に岡山駅へ送っていく間じゅう木製ピアニカにより慣れるために、ずっと吹いたり鍵盤を触っていた菅野ですが、72歳になりました。本人もあまり時間は残されていないと言いますが、これからも元気で菅野節を聴かせて欲しいと願っています。当日お集まりいただいた皆さんありがとうございました。またベースの小林さん、コンガの山中さんありがとうございました。菅野さん本当に有難うございました。

菅野邦彦ライブ

2008年08月25日 | ライブ
こんな青空を見上げながら
路地を進んでいくと
菅野邦彦のライブ会場の門前に着きます。

倉敷で菅野邦彦のライブが催されます。会場の設定は僕もお手伝させていただきました。勿論僕も聴きに行く予定です。菅野邦彦のピアノ演奏がお好きな方で時間の都合のつく方は, 是非会場まで足をお運びくださいませ。

出演者: 菅野邦彦(ピアノ), 小林陽一(ベース), 山中英二(コンガ)
日時:  2008年9月11日 午後6時半開場 午後7時開演
場所:  ギャラリーはしまや
     倉敷市東町1番20号 TEL; 086-422-2564
料金:  4000円
         ライブ会場はこんな感じです→


富士通 JAZZ ELITE 2008

2008年05月29日 | ライブ
昨晩は次女夫婦がプレゼントしてくれた富士通JAZZ ELITE 2008へ嫁さんと一緒にいって来ました。開場が午後6時、開演が午後6時半でした。早めの夕食をすませて6時20分頃に会場入りすると空席も多少あった感じです。こういうコンサートが満員にならない我が岡山を悔しく思いました。こんな調子では質の高いコンサートほどますます遠のいていくのではと心配です。僕たちの席はほほ真ん中の前列二番目という席で岡山シンフォニー・ホールのコンサートでこんなにステージに近い席は初めてです。ステージが近いとシンガーや演奏者の表情がよくわかり小さなライブ会場で聴いているような雰囲気になりました。ちなみに最前列がSS席だと思います。
当日の出演者の顔ぶれはリンク先にありますのでご参照下さい。僕が一番聴きたかったのはボーカルも勿論外せないわけですが、ジャネット・サイデルのバックを務めているギターとウクレレ奏者のチャック・モーガンで、MOON OF MANAKOORAを聴いてからとても気に入っていました。そのCDに収録されている曲も聴かせてくれましたし満足できました。CDで聴くよりもライブで聴く方がやはり当然楽しいです。嫁さんも喜んでいました。ジャネットの相変わらず円やかなボーカルも心和ませてくれました。
ガンバリーニのボーカルも迫力がありました、ガンバリーニのバックのドラムとベース奏者がいつも難しい表情してまるで哲学者の様子で演奏していたのもなぜか興味を引かれました。あと印象に残ったのはガンバリーニの顔が僕には怖かったです。近くで見るとまるで獲物を見据えた鷹のような表情に思え、野兎の僕は震え上がるような感覚にとらわれました。演奏後に嫁にその話をすると私も怖かったと宣うていました(笑)。憶病者の二人ですのでそう感じたのかも知れません。秋吉夫妻のDUOは夫君のルー・タバキンのサックスを吹く時の所作が独特で印象に残りました。このDUOはなんでも初披露というふれこみです。秋吉さんがルー・タバキンが椅子にかけたジャケットをさっさと持って先にステージを後にしたのが印象に残っています。

地元のコンサートでしたから知り合いにも会って言葉を交わしたり見かけたりしましたが、この人がこのコンサートに来てるという新しい発見もありました。次にどこかで会えば話がはずみそうです。やはりライブには色んな意味で行かなきゃいけませんね。



秋吉敏子

2007年02月19日 | ライブ
穐吉敏子のジャズマスター受賞記念ソロコンサートへ行ってきました。演奏が終わって食事して一杯飲んだら帰りが遅くなり更新途中でSLEEPとなってしまいアップが遅れました。ライブとせずコンサートと名打ったいう演奏会でしたが、最初は例によって“LONG YELLOW ROAD”で始まり最後は“鞠と殿さま”で終わりました。最初は内容が高度でおもしろさが咀嚼できなかった私ですが、後半以降は楽しめました。彼女のトークが興味深かったです。大分県別府の駐留軍キャンプ“つるみダンスホール”でジャズピアニストとして演奏を開始した頃に福井さんというレコードコレクターにアルバムを何回も聴かせてもらって覚えたとか、'56年に渡米してからは苦労が多くそれが“LONG YELLOW ROAD”の作曲の原点だったとか、横浜のジャズ喫茶(名前失念しました)でも何回も同じ曲を聴かせてもらったとか、デュークエリントンの話やツァーの苦労話等々を聞かせてもらいました。穐吉さん今年の誕生日には78歳という歳になるのでしょうが、話をしている時は歳を感じさせますが演奏中は力強く若々しいとも感じました。これからも元気で好きなピアノを弾いてご活躍ください。

今年最後のライブ

2006年12月28日 | ライブ
今年最後の菅野のライブに行ってきました。場所は高松のSPEAK LOWです。後で調べるとこのお店はいろんなメンバーが来てライブをやっているようです。午後5時頃に店へ行き席を確保してから腹ごしらえに行きました。すぐ近くの四合院という名の地鶏炭火焼きの店ですが、このお店の比内地鶏の塩焼と同じく比内地鶏のモツ塩焼のおいしい事、酒がはずみました。腹ごしらえができたところでSPEAK LOWへ戻り席に陣取って主役の菅野の登場を待ちました。この時間がわくわくして待ち遠しくて待っている時から楽しい時です。7時前に菅野が登場してしばらくは顔見知りの人と言葉を交わした後に、照れながらマスターが開会の挨拶して演奏が始まりました。当夜はクリスマスイブという事で最初はホワイトクリスマスからでした。私は菅野が演奏を始めると2~3曲の演奏が終わるまでには、大体なぜか目頭が熱くなるのであります(眼から水はでませんが)。それから休むことなく何曲演奏したでしょう。私が知っている曲目は全部演奏されたような気がします。8時半で少し休憩してセカンドステージが始まり最後は菅野の伴奏でホワイトクリスマスを歌っておひらきとなりました。菅野はとても元気でした。前日に神戸でライブをしたとかで頑張りすぎて咽が痛いとか言っておりました。ピアノを弾く時に声を出すというか呼吸もピアノに合わせるような形になるんだそうで張り切りすぎて咽が痛いというわけです。また途中でSPEAK LOWのマスターが店名の由来である“SPEAK LOW”の演奏でドラムを敲くという場面もありましたが、このマスターのドラミングが素人ばなれしてるんですね。同行して来たドラマーの顔色なしかという感じでした。マスターは演奏する前にはSPEAK LOWと言う曲は小節が長くて何度練習してもどこかで間違えてしまうなどと言っていましたが、ライブ後には菅野に一緒にやらないかと誘われていましたが、マスターがその気になってやれば通用するリズム感のあるドラマーでした。

主な演奏曲、EVERY THINGS HAPPENS TO ME/LIKE IS IT/ON A CLEAR DAY/BLACK ORPHEUS/ I REMBER APRIL/FLY ME TO THE MOON/MOONLIGHT IN VERMONT その他等々 演奏時間3時間超


菅野の当日の顔写真です。この写真は少しよそ行きの顔をしてますが、実際はいつもニコニコしているのが菅野です。照れ屋の菅野は途中で“自分の音楽なんて座って聴くような代物じゃないんで、どうぞ皆さん踊って下さい”とか言っていましたが、それは菅野特有のテレからくる言葉で、踊ってなんかいたら演奏中の菅野の指の動きや彼の表情がわかりませんのでもったいないです。演奏中の彼の楽しそうな表情が最高で、また興味深いわけです。彼が自分の狙いどおりに弾けた時の嬉しそうな表情、少し狙いとは違う旋律になった時の悔しそうな表情が手に取るようにわかるのが、彼のライブでの楽しみの一つでもあります。菅野邦彦まだまだ元気です。いつまでもというわけにはいかないでしょうが続けられるかぎり菅野節を聴かせて欲しいと願っています。彼のライブの後はいつもほのぼのと満ち足りた気分で幸せを感じます。

                                                 ありがとう  菅野さん

Etta James

2006年10月19日 | ライブ
今日で旅行報告最終です。

最後はニューヨークでのお約束ブルーノートでのライブですが、実はジャズではなくブルースのライブです。ヴィレッジバンガードは私が滞在した週は全日ソールドアウトでチャンスがありませんでした。色々と調べたのですが適当なのが無くブルーノートのブルースに落ち着いた次第です。このチャージ料は破格の95ドルでした(びつくりです)他の日の出演者とチャージ料はJimmy Heath(35$)が一番高くてその他は10$から30$といったチャージ料でしたから、どうしてこんなに高いのか私にはよく理解できなかったのですが店内へ入って多少は体感できました。つまりアメリカではジャズよりもブルースの方がお客が呼べるのでしょうか。8時の開演でしたが6時半に入店したのですがもう空席の方が少なくお客の出足の早い事、ジャズでこんなに出足が早いのは珍しいと思います。またエタジェイムス彼女のノリの良いこと, まさにブルースを堪能しました。ジャズのライブではあまりないくらい観客がノリ、大騒ぎで踊り出す女性もかなりいましたし(正直言うと踊っていた女性が洋服を脱いだりするんじゃないかと心配するほどのノリノリでした)。ブルースだけはアメリカのアメリカ人の音楽なのだと改めて知らされました。このエタジェームズは御歳68才と自分で言っていましたが、以前と比べて200poundsの減量をしたそうで、レコード店で昔の彼女のアルバムジャケットを見るとその減量話は本当でした。



翌日にブルースだけ聴いて帰るわけにはいかないだろうという事でバードランドへいきました。当日はVICTOR JONES TRIOのライブだったのですが、サックス, オルガン, ドラムとそれぞれに上手いのですがかなりアバンギャルドなライブで私の好みではなく途中で居眠りしてしまいました。このチャージ料が30$でした。



バードランドのライブが終わって店外へ出ると雨が降っていました。雨が降ると足らなくなるのはタクシーです。しかも近くのブロードウィイの舞台も一斉に終了した様子で通りにはタクシー待ちのお客で溢れていました。通り過ぎるタクシーは総てお客を乗せている状態です。しばらく場所を変えながらタクシーを拾う事を試みたのですがどうにもタクシーをキャッチできそうもありません。そこへ輪タクが通りかかりました。昔はなかったのですが最近になって急に増えたこの輪タク、あまり雨が降る中での軒先待機も辛いものがあるので輪タク利用で帰ることにしました。事前交渉すると20ドルだといいます。一般のタクシーの約倍の料金でしたが高いとかは言っておれません。ニューヨーク輪タク初体験となりました。この輪タク普通は大人二人までの乗車スペースですがこちらは私を入れて三人です。それを無理やり乗り込んで腰を落ち着けると三人が収まらないので半腰状態で約6~7分でホテル到着でした。ラッシュの時ならタクシーより早いように思いました。ますますこの輪タクが増えている理由もそういうところにあるのでしょうか。

Marian McPartland

2006年10月16日 | ライブ
土曜日に成田まで帰り東京で1泊して昨晩に自宅へ帰りました。今回は疲れが溜まったのか持病の腰痛が発生し、帰りはヨボヨボしながら帰りましたが、本日に鍼治療をして回復途中にあります。しばらく更新ができず申し訳ありませんでした。本日より復帰します。しばらくと言ってもあと2~3回は旅行報告のような記事になると思います。

ミシガンのアン アーバーにあるミシガン大学のHILL AUDITORIUM(講堂)でライブがありました。よく知らされないまま夕暮れの早いミシガンで特にする事もないので聴きに行ったのです。そもそも私はこのマリアン マックポートランドというピアノプレイヤーを知りません。イギリス生まれでクラシックを勉強していたのですがジャズが好きで途中でジャズに路線変更したというかなり年配のご婦人という知識しかありません。ライブ会場の講堂は歴史を感じさせる佇まいで内部も立派なつくりでした。席についてパンフレットを見ると本日は彼女のトリオとビル チャーラップ トリオとの二つの構成となっていて最後は彼女とビルのピアノ共演という事でした。それをあまり知らずに行くというのも暢気なものですが。

上の写真はミシガン大学の講堂です。講堂といっても一つではなくいくつもあるようなので、どういう場合に使われる講堂かは分かりません。演奏時の写真は撮れませんでしたので演奏前の写真を下に付け足します。マリアンのピアノは情感があって良かったのですが、やはり年配の為もあり力強さという点で物足りなさを感じますが、歳を考えれば仕方ないのかも知れません。彼女の前座を勤めたビル チャーラップは上手いし若いだけあって力感に溢れた演奏をします。

 

こういう演奏会が大学の講堂で定期的に行われていることがうらやましいばかりです。ちなみに23日は同講堂でアリスコルトレーン カルテットの演奏が予定されていました。

Blue NoteとVillage Vangard

2006年03月04日 | ライブ
数年前にNYで行ったブルーノートとヴィレッジバンガードのテーブル上にあるチャージパンフレット等です。地下鉄に乗ってブルーノートへ行き、当日はダイアナ・シューアを聴きました。翌日はヴィレッジバンガードでジャッキー・テラソンを聴きました。ブルーノートには日本では行った事がありません、箱が大き過ぎると感じているからです、喰わず嫌いかもしれませんが。NYのブルーノートはさほど大きな空間ではありません。ですから演奏者と聴衆の距離がありません。演奏者と聴衆が一体となれる空間が望ましいと思っていますのでNYブルーノートは程よい大きさでした。テーブルチャージは演奏者によって変わります。ダイアン・シューアは30ドルでした。彼女は盲目でも明るく楽しい女性でした。聴いている我々に元気を与えてくれたような気がしました。30ドルのチャージ料、日本のライブと比べると全く廉価です。さすが本場ということでしょう。ヴィレッジバンガードは細い階段を下りて地下へ降りると入り口になっています。部屋が変形三角形のようなつくりになっています。この空間は落ち着きませんし座る場所によっては演奏が楽しめない場合もありそうです。ジャキー・テラソンは少し暗かったです。沈んだ演奏もいいものですが(例えばビル・エバンスのマイ・フーリッシュハートなど)沈み放しでは気分も滅入ります。この時は明るい曲も暗く沈んで演奏していました。これが彼の持ち味なのでしょうか。ややがっかりの一晩でした。ヴィレッジバンガード周辺は同性愛の方々の交流場が多いところらしいです。その気のない人は気をつけませう。

ライブ演奏会

2006年02月23日 | ライブ
先日、ライブ演奏を聴きに行きました。その場所が素敵だったので写真だけですが紹介します。ジャズは密着感のある20人か30人ぐらいのスペースでの演奏が一番いいです。演奏者と聴く立場のわたし達が一体となれる感じがします。大きなホールでの演奏には以前は何度か行きましたが今では全く行く気がしません。デュークエリントンとかカウントベイシーならホールで聴くのだとは思いますが今はそれも叶いません。