flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

大海の放下

2007-08-16 02:00:12 | 民俗・伝承
(愛知県新城市大海)
 8月14、15日夕方に行われる新盆供養、送り火行事。
 私は、毎年送り火の日には他方へ出かけることがなかったが、今年は予定を調整し、大海集落へと向かった。二日目のこの日は、旧村の由縁のある場所を周り、泉昌寺で上げ放下が行われる。ちょうど、地区南端の墓地から道行の列が出てきたところを遭遇し、続いて暫しの休息の後、秋葉灯篭前で踊り、念仏が唱えられた。私の知人がこの地に住んでいるため、詳しいことを聞きながら周った。
 道行は、精霊のよりしろとされる灯篭が先頭で露払いをし、年寄役、笛、鉦、うちわ(前楽、大拍子、後楽)、ささら、提灯の順に並び、移動する。
 大海の放下は、鎌倉時代初期、遊行僧或いは放下僧と呼ばれる僧侶が各地に念仏の教えを広めたところから伝り、発展したのが大海の放下と伝えられている。
長い歴史の中で、何度となく行事が途切れたが、現在は愛知県の無形民俗文化財として、後世に伝えられている。

この日、隣接する地区では、市川鍋づる万灯乗本万灯信玄原火踊が行われる。      
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鶴岡八幡宮

2007-08-16 00:00:45 | かみのやしろ

 鎌倉小町通りから、神域に入る。
源氏池、平家池の蓮の花は、やや時期が過ぎていた。
 鶴岡八幡宮は、康平六年(1063)源頼義が由比郷鶴岡の地に若宮として勧請したのが始まりとされる。
祭神は、比売神(ヒメノカミ)、気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト=神功皇后)、誉田別尊(ホムタワケノミコト=応神天皇)であり、旧国幣中社である。
その後源頼朝が、治承四年(1180)に現在の地に移したという。
鎌倉幕府の宗社となった若宮は、室町時代に入ると衰退したが、徳川幕府が社殿及び仏殿を建立し繁栄した。
然し、明治の神仏判然例によって、仏殿、仏像、仏具等が失われたが、上宮社殿や宝物等が、国宝及び重要文化財の指定を受け、現在に至っている。
       

(関連記事:鶴岡八幡宮平成二十五年

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