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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

火おんどり

2007-08-22 00:00:10 | 民俗・伝承
 
(信玄原火踊 愛知県新城市竹広 県指定無形民俗文化財)
 山県昌景墓所前方で“タイ”と呼ばれる(大松明)に点火された道行は、信玄塚に差し掛かる。

 天正三年(1575)五月、設楽原で繰り広げられた合戦は、多くの戦死者を出した。
亡骸を大塚、小塚の二つの場所に埋葬し、霊を弔ったが、その年の夏、塚の辺りから群蜂が発生し、近くを通る信濃往還の往来も妨げられる程の状態になったという。
住民は、武田軍の亡霊が現れたのだと思い、川路勝楽寺の和尚が読経をして松明を焚いて供養したところ、群蜂の姿は無くなったという。これが、火おんどりの始まりとされる。その後、次第に松明も大きくなり、また囃子も合わせて行われるようになったという。

 信玄塚に差し掛かると、左回りに道行し、回り終わると、大塚、小塚の間に用意された松明にも点火、火踊が始まる。開始早々はまだ火が小さいが、次第に燃え広がり大きくなっていく。そして “タイ”を戦場の光景を再現するかのように、十文字斬りを模り振り回す。辺りに灼熱の空気が流れ、踊者も見物人も、その勇ましさに酔いしれていく。
  
 踊場周囲には大量の撮影者がいる。踊者の気持ちも盛り上げ、プラスになる部分もあるが、なかには流れを乱し、場内を動き回って邪魔をするようなマナーの悪い撮影者もいる。私は人々の大勢集まる行事に訪れた際、撮影は数枚にしておき、五感で感じる見物を大切にしたいと思っている。よって、これら催事の写真枚数は非常に少ない。
    
 火おんどりが終わる頃、燃え上がった大松明を見ていると、落城を思わすような瞬間を感じるときがある。この熱い行事が終わると、間もなくして秋がやってくる。
 

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コメント (6)
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