flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

岐南町歴史民俗資料館

2007-05-26 22:00:12 | 学びのやかた

(岐阜県羽島郡岐南町) 

 地縁があることが次第に明らかになった岐南町。
我が家のことが触れられているようなので、向かってみることにした。
 開催されているのは「平成19年度ふるさと宝物探検隊� 特別展 歴史物語−原始から中世まで−」
 館長さんとお話をし、中世における美濃、尾張、三河と伊予の関わりを勉強した。また、「この地への獅子舞の伝わり」の新たな宿題もできた。

 この後は西方、川手地区へ足を向けることにした。
(関連記事:下印食三宅 薬師寺平成 御成道伏屋 伏屋城

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金沢城

2007-05-26 00:00:13 | 城郭・城下町

(加賀藩尾山城 石川県金沢市 国指定史跡 重要文化財 日本100名城35番)
 尾山神社から金沢城公園へと差し掛かる。
整然と積まれた石垣に囲まれた城。坂を上がるとそこは広大な平地が広がっていた。
 天文十五年(1546)金沢御堂(尾山御坊)という加賀一向一揆を踏まえた寺院城が築かれたのが、この場所に築かれた城郭の最初とされる。天正八年(1580)この寺院城を織田信長臣佐久間盛政が攻め、盛政の持城となり加賀に領地を与えられた。天正十一年(1583)前田利家が入城し城郭を拡張。その子利長の代でほぼ現在の規模にまで拡張されたという。その後前田氏が廃藩まで藩主であったが、城郭は在城当時から何度となく火災に遭い、空襲被害は無いながらも現在往時から残る建造物は石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫を残すのみとなった。
 慶長七年(1602)の落雷によって天守を失ってから、天守の再建はされていない。広い本丸の隅に五十間長屋、菱櫓、橋爪門及び続櫓が往時の工法を基に再現されている。故に急階段や低い梁も存在した。これら建物は私自身の当初の想像より規模の大きく、このとき行われていた河北門跡の発掘調査も復元前提のものであり、今後の金沢城復元に大きな期待を持った。

百間堀を渡り藩庭園の兼六園へと向かった。
         
(関連記事:金沢長町

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