flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

尾張 黒田城

2006-12-10 00:00:50 | 城郭・城下町

(愛知県一宮市木曽川町黒田)
 明応年間(1492~1500)相模国の五藤光正が、野府川のほとりに館を構えたのが始まりといわれている。天文初年頃には織田家家老であった山内盛豊が城代として入城する。
天文十四年(1545)には盛豊の子、一豊が城内で誕生したとされる。(岩倉城誕生説もある)
弘治三年(1557)信長勢からとされる襲撃を受け、山内氏は本城岩倉城へ引き上げる。その後は織田広良が入るが、永禄五年(1562)美濃軽海の戦いで戦死し、広良兄織田信清臣和田新助が入城する。天正十年(1582)からは織田信雄臣沢井雄重が入城。その後信雄の失脚により、一柳直盛が入り城郭が改修されたが、慶長五年(1600)直盛は伊勢神戸に転封された。


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2 コメント

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尾張黒田城 (くらじろう)
2006-12-13 23:59:20
2枚目の画像に、小学校校舎の懸垂幕が見えます。
たぶん今年の大河ドラマ「功名が辻」に関わる宣伝ですね。
来年の勘助ドラマにちなんだ宣伝も地元では進んでいるみたいですね。

黒田城も遺構が残っていたら、もう少し城館のイメージがわきやすいのですが・・・。愛知県に限らず、学校がもとはお城だったというパターン結構ありますね。
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碑だけの城跡 (kourei)
2006-12-14 00:18:17
そうです、少々意識して入れてみました。
せっかく旬ですからね。
一枚目の元のサイズの写真には「山内一豊」がくっきり…
山本勘助…もこの地方にゆかり深いですね。
しっかり話題になるといいのですが…。

学校がお城跡というのもありますね。
高縄城もそうでしたでしょうか、私が行ったときは造ってたときでしたが。
新城城は典型的ですね。
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