和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

ことばの玉手箱/影法師   

2014年03月23日 14時29分58秒 | ことばの玉手箱



ことばの玉手箱/影法師

     講談師   神田 松鯉(かんだ しょうり)

  「師匠に芸に似てるけど---」


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2014年(平成26年)3月23日(日)



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 私が講談師を志し二代目神田山陽の門を叩いたのは昭和四十五年、二十八歳の時だから随分遅い入門だ。それまでは役者だったが、劇団の主宰から「お前の朗読は講談だ」と耳にタコが出来るほど言われて、では一度本物を聴いてみようと、その頃日本で唯一の講談席本牧亭へ行って以来、講談のとりこになってしまったのだ。


 師匠山陽は時代物から世話物、更に新作までこなす芸域の広い人で、毎年夏になると怪談で各寄席をまわり客席を満員にする実力者だったから、入門したての私にはその一挙一動のすべてが眩しかった。


 ある日、師匠は私に芸界には「影法師」という言葉があるといった。どういう事かと訊ねると(教えてくれた人の芸そっくりで、いつまでたっても自分の芸にならない。いわば他人のコピーをしているだけの芸)で、芸界では影法師といって軽蔑語であるから心せよとの事であった。


 -----とは言っても修行の第一歩は師匠の芸をなぞる事から始まる。学ぶという言葉は「まねぶ」から出たという位だから、しばらくの間は師匠の芸の模倣に明け暮れた。そんな時、師匠宅で一人稽古をしていると襖の向こうから師匠夫人が私に(お父さん)と声を掛けたので驚いた。その位似ていたのだと思うが、師匠と間違われて、その時は嬉しかったが一瞬影法師という言葉が頭の中をよぎった。


 昔から芸界には、師匠が弟子に教え過ぎると、師匠を越える弟子は育たないという言い伝えがある。弟子の個性を師の芸風の中に閉じ込めてしまうからだ。弟子は師の半芸に至らずとも言うが、同じ芸風を踏襲したら師の方が良いに決っている。処が、五年十年と修行を積むうちに、自然に本人の芸風が現れて来る。個性が顔を出すのだ。


 芸道・茶道・剣道など(道)のつく伝統の世界に共通して「守・破・離」という名言がある。芸の成長のプロセスを示したもので、最初は師の教える基本を守り、基本が出来たらその上に自分の工夫を加えて飛躍する。最終的には自分の芸風を確立するという意味である。


 話芸では口跡や間(ま)以上に大切なのは人間表現で、それは本人の生き方が裏打ちする。演者の人間性が透けて見えるから芸は怖い。かくなる上は、自分という人間をしっかり磨く事が影法師にならない唯一の方法だ。昔の人はそれを「芸は人なり」といった。

 

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