和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

木蓮/今日の俳句≪No.1528≫  

2014年03月22日 05時37分51秒 | 今日の俳句


     ☆木蓮/今日の俳句☆  

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2014年(平成26年)3月22日(土)

○ 放送記念日
 日本放送協会(NHK)が1943(昭和18)年に制定。
1925(大正14)年のこの日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が日本初のラジオ仮放送を始めた。
東京・芝浦の東京高等工芸学校に仮スタジオを設け、午前9時30分、京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」という第一声が放送された。
元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入予定の日本にたった1台しかない放送用送信機が、同じく設立準備中の大阪放送局に買い取られてしまった。
そこで東京放送局は、東京電気研究所の送信機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日の逓信省(後の郵政省)の検査で「放送設備は未完成のため3月1日からの放送はできない」と判断されてしまった。既に3月1日から放送を開始すると報じており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験放送」という形で逓信省の許可を受け、なんとか3月1日から放送を開始することができた。
22日には逓信省から正式に免許を受けて仮放送を開始し7月12日に愛宕山からの本放送が開始された。大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を開始した。

○ 世界水の日―地球と水を考える日(World Day for Water)
 1992(平成4)年の国連総会で決定し、翌1993(平成5)年から実施。国際デーの一つ。
地球的な視点から水の大切さ、貴重さを世界中の人々がともに見詰め直す日。
日本では、8月1日が「水の日」となっているので、この日は「地球と水を考える日」としている。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  白木蓮に純白という翳りあり
       能村登四郎



  木蓮のため無傷なる空となる
       細見綾子



  白木蓮や遠くひかりて那智の滝
       石原八束



※ 【白木蓮に純白という翳りあり  能村登四郎】
 季語は「白木蓮(はくもくれん)」で春。この場合は「はくれん」と読む。落葉潅木の木蓮とは別種で、こちらは落葉喬木。木蓮よりも背丈が高い。句にあるように純白の花を咲かせ、清美という形容にふさわしいたたずまいである。
いま、わが家にも咲いていて、とくに朝の光りを反射している姿が美しい。そんな様子に「ああ、きれいだなあ」で終わらないのが、掲句。完璧のなかに滅びへの兆しを見るというのか、感じるというのか。
「純白」そのものが既に「翳り(かげり)」だと言う作者の感性は、古来、この国の人が持ち続けてきたそれに合流するものだろう。たとえば、絢爛たる桜花に哀しみの翳を認めた詩歌は枚挙にいとまがないほどだ。
花の命は短くて……。まことにやるせない句ではあるが、このやるせなさが一層花の美しさを引き立てている。しかも白木蓮は、盛りを過ぎると急速に容色が衰えるので、なおさらに引き立てて観賞したくもなる花なのだ。
「昼寝覚しばらくをりし白世界」、「夏掛けのみづいろといふ自愛かな」、「老いにも狂気あれよと黒き薔薇とどく」など、能村登四郎の詠む色はなべて哀しい。『合本俳句歳時記・二十七版』(1988・角川書店)所載。
(清水哲男)


※ 【いちまいの水となりたる薄氷  日下野由季】
 冬季に水の上にうっすらと張った氷を透明な蝉の羽に似ているということで「蝉氷(せみごおり)」と呼ぶが、立春を迎えた後では薄氷となる。うすごおり、うすらい、はくひょう、どんな読み方をしても、はかなさとあやうさの固まりのような言葉だ。
日にかざし形状の美しさを見届けられる硬質感を持つ蝉氷と、そっと持ち上げれば指と指の間でまたたくまに水になってしまうような薄氷、そのわずかな差に春という季節が敏感に反応しているように思う。
自然界のみならず、生活のなかで氷はきわめて身近な存在だが、個体になった方が軽くなる液体はおおよそ水だけ、という科学的不思議がつい頭をもたげる。
この現象への詳細な根拠については、普段深く考えないことにする扉に押し込んでいるのだが、こんな時ふいに開いてしまい、結局理解不能の暗部へとつながっている。
そのせいか「氷がとける」とは、どこか「魔法がとける」に通い合い、掲句の「いちまいの水」になるという単純で美しい事実が、早春の光によって氷が元の身体に戻ることができた、という児童文学作品のような物語となってあらためて立ち現れてくるのだった。
〈はくれんの祈りの天にとどきけり〉〈ふゆあをぞらまだあたたかき羽根拾ふ〉『祈りの天』(2008)所収。
(土肥あき子)


【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月22日(土)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 リーダーは
 御書と学会指導を
 日々 学びゆけ!
 自らの成長こそ
 組織発展の原動力だ。

     3月22日


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   ■※名字の言※■


(3/22)
東京・信濃町も日一日と春めき、広宣流布大誓堂に集う友の足取りも、はずんで見える。誓いを胸に訪れる同志に、さわやかに応対するのが青年部の運営役員。彼らにとっても、一回一回の任務が唱題と仏法対話の挑戦を経て迎える誓願の機会だ



創価班として任務に就く、ある男子部員。彼は生後まもなく乳児院に入った。一度は親類に引き取られるが、冷たい仕打ちにあう。“自分なんか生きてちゃいけないんだ”。心は悲しみで凍った



児童養護施設で生活する彼を、ある縁で知り合った学会員が励まし続けた。「君が笑顔でいることを喜んでくれる人が、必ずいる。希望を捨てちゃいけない」。高校を卒業し、彼は学会に入会する。活動に励み、学会の素晴らしさを分かち合いたいと、9人に弘教を実らせた



信濃町で任務中のある日、婦人部員に声を掛けられた。「あなたは幸せそうね。ずっとご両親に愛されてきたのでしょうね」。何と答えればいいか分からなかったが、“勝利の人生を歩んでいる”と確信した瞬間だった



一人も漏れなく団結の輪の中へ――この同志の絆を、私たちは誇りを込めて「創価家族」と呼ぶ。それを誰よりも知る彼。青いブレザー姿でさっそうと、きょうも皆の安心に全力を尽くす。(将)


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