和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心63/小説「新・人間革命」

2015年07月14日 19時58分08秒 | 新・人間革命


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 7月14日(火)より転載】

【革心63】

 李先念副主席との会見が行われた十九日の午後六時半、中国側の関係者を招待して、山本伸一主催の答礼宴が開かれた。会場は、故宮博物院の北西に位置する北海公園の瓊華島にあるレストラン「仿膳(ほうぜん)飯荘」であった。

 北海公園は、現存する中国最古の宮廷庭園とされ、十世紀に建造されている。約七十ヘクタールといわれる公園の半分以上が人造の湖からなっており、蓮池もある。

 千年にわたって歴代王朝の御苑となってきたが、清朝滅亡後、一般に公開されるようになった。しかし、文化大革命の時には閉鎖され、この年の春から、再び開放されたという。

 一行が仿膳飯荘に到着した時には、夕日が空と湖面をオレンジ色に染め上げていた。伸一は、その美しさに目を見張った。

 彼には、〝日中の未来よ、かく輝け! 美しき友情で染め上げよ〟と、天が語りかけているように思えた。

 伸一と峯子は、レストランの入り口で、一人ひとりを出迎え、滞在中、お世話になった感謝を込めて、固い握手を交わした。

 答礼宴には、中日友好協会の廖承志会長や夫人の経普椿理事、張香山・趙樸初副会長、林麗ウン理事、孫平化秘書長、北京大学の季羨林副学長、通訳や車両の運転担当者など、多くの人たちが参加してくれた。

 また、周恩来総理の夫人であり、全国人民代表大会常務委員会副委員長の穎超が招待に応じ、歓迎宴に続いて、再び出席してくれたのだ。国家的な指導者との会見は、滞在中に一度という慣例を破っての出席であった。

 席に着く時、伸一は、中央の席を穎超に勧めた。すると、彼女は固辞した。

 「それは、いけません。今日は、あなたがホスト役ではありませんか。私は、あなたに心からの祝福を申し上げるために、出席させていただいたのですから」

 その謙虚さ、気遣いに、彼は恐縮した。

 謙虚さは、高潔な人格の証である。それは、人への敬い、広い心、揺るがざる信念の芯があってこそ、成り立つものであるからだ。

 

                         
      

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蘭/今日の俳句 ≪第.1833号≫

2015年07月14日 06時20分42秒 | 今日の俳句
  蘭の香はほしいままなるものならず
       細見綾子


  蘭五千鉢の匂ひて夢心地
       後藤弘子


  蘭の花碁鬼となるべき願あり
       芥川龍之介


  凋落す双樹の下に蘭のあり
       河東碧梧桐


  ひとりいゐて静に蘭の花影かな
       村上鬼城




※ ラン科の多年草。種類が多く、中国や日本に自生するものは東洋蘭、西洋から渡来したのは洋蘭といわれ、開花期は春と夏が多い。
 洋蘭は華やかに開花するため周年栽培され、贈答用にされる。胡蝶蘭は東南アジアやインドでは樹上に着生し、花弁は蝶が飛ぶ姿をしている。                                                               

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】
                           






     ※☆*わが友に贈る*☆※



  局地的な豪雨など

  悪天候に厳重警戒!

  猛暑による熱中症にも

  十分な対策が必要だ。

  注意喚起の声掛けを!


        2015年7月14日






     ※☆*寸 鉄*☆※




東京で青春乱舞の男子部幹部会。君たちの奮闘で民衆が輝く新世界を築け

        ◇

岩手「三陸の日」。仰ぎ見る不屈の負けじ魂と福光のドラマ。共々に未来へ

        ◇

「一切は現証には如(し)かず」小さな体験でも堂々と語ろう!百万の理論よりも

        ◇

自分も子供だった事を忘れない人は少ないー作家(フランス)。激励は子の目線に立って

        ◇

危険薬物、販売店ゼロと。残るはネットでの流通。社会の総力で断固根絶を


【聖教新聞:2015年(平成27年)7月14日(火)付】
                      
                                 






     ※☆*北斗七星*☆※


フランス革命は1789年の7月14日に始まった。上流階級に虐げられていた平民が、武器・弾薬が保管されていたバスティーユ牢獄を襲ったのだ。当時のフランスの人口は第一身分の聖職者14万人、第二身分の貴族40万人、第三身分の平民2600万人だったと言われている。第一身分と第二身分は納税義務のない特権階級で、納税を強いられていた98%に近い平民が特権階級を支えていた



革命期にフランスを旅したイギリスの農学者アーサー・ヤングの著書『フランス紀行』(宮崎洋訳 法政大学出版局)に、農婦に出会ったくだりがある。「この婦人は労苦のため腰がひどく曲り、顔には深いしわがきざまれ、こわばっていたから、近くで見ても六〇か七〇才とみなされかねなかった。ところが彼女はまだ二八才にしかならないと言っていた」



「旅行をしたことのないイギリス人には、フランス農村女性の圧倒的大多数の容姿は想像つくまい」。あまりの痛ましさに驚愕したのだ                              



革命一ヵ月後の「人間は生まれながらにして自由であり、権利において平等」との『人権宣言』、その後の虐殺や独裁政治、そしてナポレオンによるクーデター、帝政国家の誕生と時を刻むが、果たして農婦はどうなったのだろう



悪政に泣かされるのはいつの世も平民では困ると改めて思う。           (流)

                                           


【公明新聞:2015年(平成27年)7月14日(火)付】