郷愁もなく 麦笛をきいている 吉岡禅寺洞
麥笛や明治唱歌の節ばかり 瀧 春一
麦笛を噛めば甘しやなつかしき 松本たかし
麦笛の近江は昏き水の中 柿本 多映
麦笛の夜はまばらな人でいる 南村 健治
※ 麦笛
一方に節のある麦の茎の中ほどを破って作ったもの。笛のように吹き鳴らすことができる。子供が黒穂の茎を引き抜いて吹いているのを見かける。
【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】
※☆*わが友に贈る*☆※
夏は近隣との
友好を深める好機。
地域行事への
参加などを通し
心温まる交流を!
2015年7月26日
※☆*寸 鉄*☆※
「人を救い、世を救ってこそ宗教だ」牧口先生。広宣流布へ!堂々と邁進
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長野婦人部の日。地域を照らす太陽の母!友情と信頼と幸福の花咲かせよ
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無冠の友の奮闘に感謝!毎朝の一歩一歩が無量の福徳に。絶対無事故祈る
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物理的限界あっても心の限界はつくらないー宇宙飛行士。この気概、我らも
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炎天下の自動車内、15分で生命の危険レベルに到達と。幼児の放置は厳禁
※☆*名字の言*☆※
高校野球の地方大会も佳境。一般紙のスポーツ欄に載る全国の結果一覧に、つい目が行く。出身地や、かつて暮らした都道府県は、殊更、丹念に見てしまう。統合や新設されたのだろう。自身の高校時代にはなかった学校名が散見され、そこに時の流れを感じ、同時に懐かしさを覚える
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仏法では現当二世、「常に今、ここから出発する」大切さを説く。だがそれは単純に、過去を忘れよということではない。今、前へ進もうとの決意に立つとき、どんな「過去」も、自分が成長するための原点として、生かされてくるのではないか
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原発事故の影響で他県に避難している婦人が、かつて言っていた。「人は用事が済んだら、家に帰るものです。でも、自然災害は収まり、自宅も、無事なのに、私は家に帰れない……」。信心根本に試練と戦い、人知れず苦労を重ねてきた彼女の吐露だけに、やるせなさは察するに余りある
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それでも彼女は、今いる地域と、ふるさとの福島の同志に支えられ、住まい、仕事、そして、新たな広布の使命を見つけた。先日、福島で懐かしい同志と再会し、「今の地で頑張るために、たっぷり英気を養ってきた」と笑顔だった
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故郷へ帰る人も、とどまる人も、自身を育んだ原点を思い、成長を誓う夏にしたい。 (城)
【聖教新聞:2015年(平成27年)7月26日(日)付】
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日蓮大聖人の仏法
--御生涯の教えーー
[1] 日蓮大聖人の御生涯
【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】
(1)誕生・出家・遊学
日蓮大聖人は、貞応元年(1222年)2月16日、安房国長狭郡東条郷の片海(千葉県鴨川市)という漁村で誕生されたと伝えられています。漁業で生計を立てる庶民の出身でした。
12歳から安房国の清澄寺で、教育を受けられました。
そのころ大聖人は、「日本第一の知者となし給え」(御書888頁)との願いを立てられました。父母、そして民衆を救うために、生死の根本的な苦しみを乗り越える仏法の智慧を得ようとされたのです。
そして、大聖人は、仏法を究めるために、16歳の時、清澄寺の道善房を師匠として出家されました。
このころ、「明星のごとくなる智慧の宝珠」(同)を得られたと述べられています。
大聖人は、鎌倉・京都・奈良など各地を遊学し、比叡山延暦寺をはじめ諸大寺を巡って、諸経典を学ぶとともに、各宗派の教義の本質を把握されていきました。その結論として、法華経こそが仏教のすべての経典のなかで最も勝れた経典であり、御自身が覚った南無妙法蓮華経こそが法華経の肝要であり、万人の苦悩を根本から解決する法であることを確信されました。しして南無妙法蓮華経を、末法の人々を救う法として広める使命を自覚されました。
※ 「末法」とは、釈尊の仏法が救済の力を失う時代のことで、当時の一般の説では、釈尊が入滅してから2000年以後とされていました。この説に基づいて「末法に入る」と考えられていた年は、永承7年で西暦に換算すると1052年になります。