和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

小説「新・人間革命」

2015年07月31日 16時28分59秒 | 新・人間革命
【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 7月31日(金)より転載】

【勝利島10】

 山本伸一は、沖縄のメンバー一人ひとりに視線を注ぎながら、話を続けた。
 「私は、沖縄の皆さんが、自ら行動を起こし、学会本部に来られたということが、最高に嬉しいんです。
 誰かが、何かしてくれるのを待つという受け身の姿勢からは、幸福を創造していくことはできない。そうした生き方では、誰も何もしてくれなければ、結果的に悲哀を募らせ、人を憎み、恨むことになってしまう。実は、そこに不幸の要因があるんです。
 仏法は、人を頼むのではなく、“自らが立ち上がって、新しい道を開いていくぞ!”という自立の哲学なんです。自分が変わることによって、周囲を、社会を変えられると教えているのが、仏法ではないですか!
 いよいよ皆さんが、その自覚に立たれて、行動を開始した。本格的な沖縄の広布第二章が始まったということです。発迹顕本です。私は、沖縄の前途を、未来の栄光を、心から祝福したいんです。おめでとう!
 では、記念に写真を撮りましょう。そのために来ていただいたんです」
 記念撮影は、四グループに分かれて行われた。伸一は、先に女性二グループと、続いて男性二グループと記念のカメラに納まった。
 撮影が終わると、彼は尋ねた。
 「皆さんは、全員、今晩の離島本部の総会には、参加されるんですね」
 「はい!」と元気な声が、はね返った。
 「私も、出席させていただきますので、また、お会いしましょう」
 歓声があがり、笑みの花園が広がった。
 伸一は、創価婦人会館を出て歩き始めた。本部周辺の道には、離島本部の総会に参加するメンバーが行き交っていた。彼は、会う人ごとに、声をかけ、あいさつを交わした。
 「遠いところ、ご苦労様です」「総会には伺います」「ようこそ。お名前は?」……一瞬の出会いが、一言の励ましが、その人の一生の原点になることがある。励ましの声をかけることは、心に光を送ることだ。


■語句の解説
 ◎発迹顕本/「迹を発いて本を顕す」と読む。仏が仮の姿(垂迹)を開き、その真実の姿、本来の境地(本地)を顕すこと。
                                                           

                          

日焼/今日の俳句 ≪第.1850号≫

2015年07月31日 03時51分56秒 | 今日の俳句



日焼して笑ひ羅漢と向き合ふ
        広瀬直人



利き腕の左太くて日焼せる
        山本浩子


塩田夫婦焼け極まり青ざめぬ
        沢木欣一


泡盛に島の恋うた日焼翁
        大東晶子


老漁夫の日焼けの首に貼り薬
        高崎トミ子

 

※ 日焼・潮焼
 夏の紫外線の強い日光に浴すと顔・手・足など露出している部分が赤みを帯びる。これが日焼け。小麦色に焼けた姿は健康的で美しいが、最近では紫外線を嫌って日焼けしないような工夫をする人も増えた。俳句では「日焼子」「日焼妻」などとも用いる。

【「俳句歳時記・第3巻/角川書店」より転載】





     ※☆*わが友に贈る*☆※


  広布の宝・未来部よ

  夢に向かって

  徹して学び抜け!

  青春の誓いを燃やし

  鍛えと成長に夏に!


        2015年7月31日





     ※☆*寸 鉄*☆※


御書「ついには・たのしかるべし」。信心は無限の希望。逞しき楽観主義で

        ◇

常に向上する生涯青春の人は若々しい。頑張れ、創大通教生!学は人生の光

        ◇

確固たる目的をもたない精神は自分を見失うー哲人(モンテーニュ)。青年よ広布の大願へ進め

        ◇

不慮の事故(エスカレーター)増加。歩行せず手すり利用を推奨ー消費者庁。余裕ある行動を

        ◇

過労死防止の大綱が閣議決定。実効性ある施策急げ。働く側の視点に立ち





     ※☆*わが友に贈る*☆※


神奈川県のある創価体験談大会で、未来部の友が登壇した。もともと人と話すのが苦手で、小学生の時には不登校に。母に連れられて行く地区の会合だけが唯一、身構えずに足が向く場所だった



地区のおじさん、おばさんは、大げさなくらい、彼の話にうなずき、拍手してくれる。勇気をもらい、唱題に励んだ。彼は不登校を乗り越える。それが信仰の原点になった



彼の一家にも、確たる原点があった。半世紀以上前、奄美の徳之島で祖父母が入会。無理解ゆえの中傷に負けず、信仰を貫いてきた。1963年、池田名誉会長が徳之島を訪問。祖父母を激励し、生後間もない母の頭をなでてくれた



広布3世代目の彼は、中学でバスケット部の部長を務め、高校2年の今、首都圏高等部の合唱団に所属し、人に希望を送る側に立つ。彼が語る広布の継承のドラマに、同志は万雷の拍手を送っていた



師匠の励まし、家族の団結、そして同志の応援。その一つでも欠けていたら、伸び伸びと広布の庭で育つ、今の彼はないかもしれない。「未来部の友は、大人以上に純粋に、『正義』と『真実』を見抜く鋭い眼を持っている」と名誉会長。関わる大人たちが真剣な心で、世界の未来を担う子らと共に鍛え合う“躍進月間”としたい。     (蹴)

【聖教新聞:2015年(平成27年)7月31日(金)付】






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     日蓮大聖人の仏法

【「(教学入門/創価学会教学部編)聖教新聞社刊」より抜粋】

    --御生涯の教えーー

[1] 日蓮大聖人の御生涯


(4)竜の口の法難と発迹顕本

(前号より)

 同年9月10日、大聖人は幕府から呼び出されて、侍所の所司(侍所の軍事・警察を担当する役所、所司は次官のこと。長官は執権が兼務)である平左衛門尉頼綱(平頼綱)の尋問を受けました。
 この時、大聖人は 平左衛門尉に対して仏法の法理のうえから、国を治めていく一国の指導者のあるべき姿を説いて諌められました。
 2日後の文永8年(1271年)9月12日、平左衛門尉が武装した兵士を率いて草庵を襲い、大聖人は謀反人(時の為政者に謀反する人)のような扱いを受けて捕らえられました。この時、大聖人は、平左衛門尉に向かって「“日本の柱”である日蓮を迫害するなら、必ず自界叛逆・他国侵逼の二難が起こる」と述べて、強く諫暁されました(第2回の国家諫暁)
 大聖人は、夜半に突然、護送され、鎌倉のはずれにある竜の口に連行されました。平左衛門尉らが、内々で大聖人を斬首することを謀っていたのです。しかし、まさに刑が執行されようとしたその時、突然、江ノ島の方から“まり”のような大きな光りものが夜空を北西の方向へと走りました。兵士たちはこれに恐れおののいて、刑の執行は不可能となりました(竜の口の法難)
 この法難は、大聖人御自身にとって極めて重要な意義を持つ出来事でした。すなわち、大聖人は竜の口の法難を勝ち越えた時に、宿業や苦悩を抱えた凡夫という迹(仮の姿)を開いて、凡夫の身に、生命のそなわる本源的な、慈悲と智慧にあふれる仏(久遠元初の自受用報身如来)という本来の境地(本地)を顕されたのです。
 これを「発迹顕本(迹を発(ひら)いて本を顕す)」といいます。(教学入門173ページ参照)。
 この発迹顕本以後、大聖人は末法の御本仏としての御振る舞いを示されていきます。そして、万人が根本として尊敬し、帰依していくべき御本尊を図顕されていきました。(次号へ続く)

7月30日(木)のつぶやき

2015年07月31日 01時44分44秒 | 今日の俳句