和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

革心67/小説「新・人間革命」

2015年07月18日 07時49分24秒 | 今日の俳句


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 7月18日(土)より転載】

【革心67】


 答礼宴の最後に、訪中団が、心からの感謝の気持ちを込めて、日本語で「愛する中国の歌」と、中国語で「春が来た」を合唱した。
 歌のあとで山本伸一は、頴超にいった。
 「明春、桜の満開のころ、頴超先生が日本に来られることをお待ちしています」
 大きな拍手が起こった。
 続いて、伸一は、周志英を促した。
 「あの歌を歌おうよ!」
 “あの歌”とは、「敬愛する周総理」という、北京大学での交歓の折に、周志英が披露した中国の歌であった。伸一は、頴超への御礼として、ぜひ、聴いてほしかったのである。
 よく通る中国語の歌声が響いた。


  〽敬愛する周総理
  私たちはあなたを偲びます
  数十の春秋の風と雨を
  あなたは人民とともに
  真心は紅旗に映じ
  輝きは大地を照らす
  あなたは大河とともに永久(とこしえ)にあり
  あなたは泰山のようにそびえ立つ


 頴超は、テーブルの上の一点を、じっと見つめるようにして聴き入っていた。
 視線を上方に向けている廖承志の目には、うっすらと光るものがあった。夫人の経普椿も、あふれる涙をナプキンで拭った。
 料理を運んでいた人たちも、立ち止まって耳を傾けていた。偉大な指導者への敬慕の念が、皆、自然にあふれ出てくるのであろう。
 伸一が今回の旅で、ただ一つ残念で寂しかったことは、既に周総理がいないことであった。彼は、日中友好の永遠なる金の橋を築き、総理との信義に生き抜こうと、強く心に誓いながら、目を閉じて静かに聴き入っていた。
 席に戻ってきた周志英に、頴超は、「ありがとう!」と言って、ことのほか嬉しそうに手を差し伸べるのであった。歌は魂の発露であり、心をつなぐ懸け橋となる。                                    


                         
      

☆彡------☆★☆★☆*------彡☆o☆:*:.♪☆★☆*------☆彡

                                          

登山/今日の俳句 ≪第.1837号≫

2015年07月18日 06時08分53秒 | 今日の俳句





夏山を統(す)べて槍ヶ岳真蒼なり      水原秋桜子


火の山登れば淋しい村がみんな見える     金子 兜太


雨あがるまでのにぎはひ登山小屋       阿部 子峡


雲ふかき廻廊にいく登山帽          岡田 壮三


登山馬人乗せしまま泉飲む          山口波津子






※ 登山・山登り・登山道・ケルン
 昔は登山は信仰や修業のために行われ、富士山。御嶽山・立山・白山・石鎚山など霊峰に登ったが、現在ではスポーツ登山が主流。登山帽・登山靴にピッケルを持った姿が多数見られる。日本の近代登山の先駆者はイギリス人宣教師のウエストンで、長野県上高地に記念碑が立つ。                             

【「現代俳句歳時記・夏/角川春樹」より転載】
                     


                     


                
     ※☆*わが友に贈る*☆※



  人材を育ててこそ

  広布の未来は磐石だ。

  わが地域から

  新たな地涌の陣列を!

  皆で祈り 道を開け!

        2015年7月18日





             
     ※☆*寸 鉄*☆※


学会の座談会には幸福や自由が満ち溢れているー識者。生命躍動の花園と

        ◇

大関西が師弟常勝月刊を驀進!世界広布の模範の天地で痛快に勝利の劇(ドラマ)を

        ◇

有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりー作家(パーナード)。動けば必ず前進が

        ◇

6月の世界的平均気温過去最高に。地球守る為、意識改革を。足元から省エネ

        ◇

非軍事国力(ソフトパワー)、日本は世界8位。英語力が課題と。E-1(グランプリ)挑む友にエール!






                
     ※☆*名字の言*☆※


1957年(昭和37年)7月17日、母に連れられ、婦人は中之島の大阪市中央公会堂へ向った。「高校生やったけど、あの師子吼は、はっきりと心に残った



「あの師子吼」とは、「大阪大会」での若き池田名誉会長の“最後は信心しきったものが、正しい仏法が必ず勝つ”との叫びだ。不当逮捕・拘留という「権力の魔性」との闘争宣言は、婦人の心に「生涯の指針」として刻まれた



19年後の7月、婦人は夫を亡くした。深い悲しみに沈みながらも「あの師子吼」を思い返し立ち上がった。経済苦と格闘しながら、女手一つで3人の子どもを育て上げる。今、7人の孫に信心を伝えつつ、100歳になった母と、原点の日を迎えた。「人生を振り返って心から思うねん。ほんまに先生の師子吼の通りやって」



「7・17」の意義はさまざまに論じられる。だが、大事なのは、名誉会長が、御書のままの「難を呼び起こし、乗り越える信心」を、身をもって示した事実にあろう。その信心に、多くの友が直接触れた経験が、関西の強さの源である



「なぜ関西は“常勝”なのか」--先月、研修会で来日したSGIメンバーの質問に、関西の友が答えた。「皆が師の心を求め、実践しようとしているからです」。海外の友は深くうなずいた。          (芯)                                            
                     

【聖教新聞:2015年(平成27年)7月18日(土)付】
                     


                                         
                

7月17日(金)のつぶやき

2015年07月18日 01時47分12秒 | 今日の俳句