小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月11日(木)より転載】
奮迅58(7/11)
男子部班長の山本伸一は、埼玉の志木支部川越地区、神奈川の鶴見支部市場地区での講義を続けながら、一九五二年(昭和二十七年)一月には、蒲田支部の支部幹事となり、あの二月闘争の指揮を執った。
そして、布陣が整ったばかりの、支部―地区―班―組のうち、最前線組織である組に光を当て、当時としては未曾有の、一支部で月に二百一世帯という弘教を成し遂げたのだ。
しかし、どこで、いかなる活動をしていようが、伸一の心からは、地区講義を担当している埼玉や神奈川のことが離れなかった。
この五二年(同)の十二月九日、川越地区の御書講義が行われたが、あいにく午後から雪になった。
初雪である。
伸一は、“電車が止まったりしなければよいが……”と思いながら川越に向かった。
この日の講義は、午後八時に切り上げた。
雪で足元も悪いため、皆の帰宅が遅れたり、事故を起こしたりしないようにとの配慮からであった。
講義のあと、伸一は、壮年の幹部と二十分ほど懇談した。
その壮年は、伸一に言った。
「今年二月の蒲田支部の戦いには、本当に驚きました。
山本さんが指揮を執られて、折伏が二百世帯を超えたんですね。
いつか、お伺いしようと思っていたんですが、どうすれば、あんな戦いができるんですか」
「私は、戸田先生が会長に就任された今こそ、千載一遇の広宣流布の好機であると思っています。
この数年で、どこまで拡大の波を広げ、人材を育成できるかが勝負です。
仏法史上、これほど重要な“時”はありません。
だから“弟子ならば立とう! 不惜身命の実践をしよう!”と腹を決めたんです。
特に二月は、折伏の総帥たる戸田先生が誕生された月です。
そこで、『折伏・弘教をもって、先生のお誕生の月を飾ろう』と決意するとともに、皆にも訴えました。
その呼びかけに、蒲田の同志は応えてくれました。
“先生のために戦うのだ”と思うと、勇気が、歓喜が、込み上げてくるんです。
それを蒲田の同志に伝えたかったんです」
、
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月11日(木)より転載】
奮迅58(7/11)
男子部班長の山本伸一は、埼玉の志木支部川越地区、神奈川の鶴見支部市場地区での講義を続けながら、一九五二年(昭和二十七年)一月には、蒲田支部の支部幹事となり、あの二月闘争の指揮を執った。
そして、布陣が整ったばかりの、支部―地区―班―組のうち、最前線組織である組に光を当て、当時としては未曾有の、一支部で月に二百一世帯という弘教を成し遂げたのだ。
しかし、どこで、いかなる活動をしていようが、伸一の心からは、地区講義を担当している埼玉や神奈川のことが離れなかった。
この五二年(同)の十二月九日、川越地区の御書講義が行われたが、あいにく午後から雪になった。
初雪である。
伸一は、“電車が止まったりしなければよいが……”と思いながら川越に向かった。
この日の講義は、午後八時に切り上げた。
雪で足元も悪いため、皆の帰宅が遅れたり、事故を起こしたりしないようにとの配慮からであった。
講義のあと、伸一は、壮年の幹部と二十分ほど懇談した。
その壮年は、伸一に言った。
「今年二月の蒲田支部の戦いには、本当に驚きました。
山本さんが指揮を執られて、折伏が二百世帯を超えたんですね。
いつか、お伺いしようと思っていたんですが、どうすれば、あんな戦いができるんですか」
「私は、戸田先生が会長に就任された今こそ、千載一遇の広宣流布の好機であると思っています。
この数年で、どこまで拡大の波を広げ、人材を育成できるかが勝負です。
仏法史上、これほど重要な“時”はありません。
だから“弟子ならば立とう! 不惜身命の実践をしよう!”と腹を決めたんです。
特に二月は、折伏の総帥たる戸田先生が誕生された月です。
そこで、『折伏・弘教をもって、先生のお誕生の月を飾ろう』と決意するとともに、皆にも訴えました。
その呼びかけに、蒲田の同志は応えてくれました。
“先生のために戦うのだ”と思うと、勇気が、歓喜が、込み上げてくるんです。
それを蒲田の同志に伝えたかったんです」
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