小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月3日(水)より転載】
奮迅51(7/3)
山本伸一は「聖人御難事」では、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書一一九〇頁)について語った。
「広宣流布の道にあって、最も大切なものは勇気なんです。
後輩の激励に行くにも、人びとに仏法を語っていくにも、法難に立ち向かっていくにも、根本の力は勇気です。
いわば、勇気こそが、境涯を開き、宿命を転換するカギなんです。
そして、その勇気の源泉が『師子王の心』です。
『師子王の心』とは何か。
日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこうという御心です。
そして、その仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先生のご精神でもあります。
また、師子王の『師子』とは、師匠と弟子であり、師弟を意味しています。
つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な『師子王の心』を取り出していくことができるんです。
私は、毎日、“弟子ならば、戸田先生のご期待にお応えするんだ!”“先生に、お喜びいただける広宣流布の歴史を残そう!”と、自分に言い聞かせています。
すると、どんな苦難に直面しても、“へこたれてなるものか!”という勇気が湧いてきます。
また、わが胸中に師匠をいだき、いつも師と共に生きている人は、人生の軌道、幸福の軌道を踏み外すことはありません。
その己心の師匠が、自分の臆病や怠惰を戒め、勇気と挑戦を促し、慢心を打ち砕いてくれるからです。
人の目はごまかせても、己心の師匠は、じっと一切を見ています。
私たちには、戸田先生という偉大な広宣流布の師匠がいます。
その先生が、いつ、どこにあっても、自身の胸中にいる人が、真の弟子なんです。
それが、師弟不二の第一歩なんです。
戸田門下生となれたわれらは、先生と共に、いや、先生に代わって、慈折広布の戦いを起こしていこうではありませんか!」
、
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月3日(水)より転載】
奮迅51(7/3)
山本伸一は「聖人御難事」では、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」(御書一一九〇頁)について語った。
「広宣流布の道にあって、最も大切なものは勇気なんです。
後輩の激励に行くにも、人びとに仏法を語っていくにも、法難に立ち向かっていくにも、根本の力は勇気です。
いわば、勇気こそが、境涯を開き、宿命を転換するカギなんです。
そして、その勇気の源泉が『師子王の心』です。
『師子王の心』とは何か。
日蓮大聖人の大精神であり、末法の一切衆生を救済していこうという御心です。
そして、その仰せのままに、広宣流布に立たれた、牧口先生、戸田先生のご精神でもあります。
また、師子王の『師子』とは、師匠と弟子であり、師弟を意味しています。
つまり、弟子が師匠と呼吸を合わせ、同じ決意に立ってこそ、何ものをも恐れぬ、勇敢な『師子王の心』を取り出していくことができるんです。
私は、毎日、“弟子ならば、戸田先生のご期待にお応えするんだ!”“先生に、お喜びいただける広宣流布の歴史を残そう!”と、自分に言い聞かせています。
すると、どんな苦難に直面しても、“へこたれてなるものか!”という勇気が湧いてきます。
また、わが胸中に師匠をいだき、いつも師と共に生きている人は、人生の軌道、幸福の軌道を踏み外すことはありません。
その己心の師匠が、自分の臆病や怠惰を戒め、勇気と挑戦を促し、慢心を打ち砕いてくれるからです。
人の目はごまかせても、己心の師匠は、じっと一切を見ています。
私たちには、戸田先生という偉大な広宣流布の師匠がいます。
その先生が、いつ、どこにあっても、自身の胸中にいる人が、真の弟子なんです。
それが、師弟不二の第一歩なんです。
戸田門下生となれたわれらは、先生と共に、いや、先生に代わって、慈折広布の戦いを起こしていこうではありませんか!」
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