和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

奮迅57/小説「新 ・人間革命」

2013年07月10日 07時15分59秒 | 今日の俳句
 小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月10日(水)より転載】

奮迅57(7/10)
 川越地区の御書講義のあと、残った人たちから質問や相談を受けた山本伸一が、会場を出たのは午後十時近かった。
池袋行の終電車に乗った。
車内には、数人の乗客がいるだけであった。
赤い顔をして、座席にもたれかかり、大いびきをかいている人もいる。

 伸一は、微笑みを浮かべ、鞄から葉書の束を取り出すと、万年筆を走らせた。

 このころ彼は、男子部の班長と、蒲田支部大森地区の地区委員(現在の地区部長)を兼務していた。
さらに、地区講義の担当は、川越地区だけでなく、神奈川県の鶴見支部市場地区にもついており、九月七日には、初の講義に訪れていた。

 まさに彼は、戸田の心を体して、未来のために、埼玉と神奈川の、広宣流布の土台づくりに、真剣勝負で取り組んでいたのである。

 また、職場では、大東商工の営業部長であり、会社が軌道に乗るかどうかは、ひとえに彼の双肩にかかっていた。

 毎日が多忙極まりなかった。
それだけに、地区員や男子部の班員と会って語り合う十分な時間が、なかなかもてなかったのである。

 だから、寸暇を惜しんで、激励の葉書や手紙を書くことを自らに義務づけていたのだ。

 池袋までの車中、次々と葉書を書いた。

 “断じてやり遂げよう”という強い一念があれば、工夫はいくらでも生まれる。
反対にあきらめの心があれば、工夫の芽を自ら摘み取ってしまうことになる。

 伸一が、池袋駅に着いたのは、午後十一時前であった。
夕食をとることができなかった彼は、屋台でラーメンをすすった。

 大田区大森のアパート「青葉荘」に着いた時には、既に午前零時を回っていた。
それから御本尊に深い祈りを捧げた。

 伸一には、成すべき課題が山積していた。
しかし、今、この瞬間にやれることは一つである。
たくさんの課題を、時間という縦軸に置き換え、一瞬一瞬、自身を完全燃焼させて、全力でぶつかっていく以外にない。
未来は「今」にある。
勝利は「今」にある。
 


夏の海/今日の俳句 第1340号

2013年07月10日 06時22分57秒 | 今日の俳句
    ◇夏の海/今日の俳句◇

    ◇※第1340号※◇

 2013年(平成25年)7月10日(水)



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※7月10日※
■ ○納豆の日
 関西納豆工業協同組合が1981年に関西地域限定の記念日として制定し、全国納豆協同組合連合会が1992年に、改めて全国の記念日として制定した。
 七(なっ)十(とお)で「なっとう」の語呂合せ。

■ 指笛の日
 2006年6月、沖縄県の指笛愛好家グループ「指笛王国おきなわ」が制定。
 「指笛」とは、口の中に指を入れて音を鳴らすもので、沖縄の音楽や、祭、応援などに欠かせないものである。
 7はかぎ形に人差指を曲げて吹く形が7の字に似ていることから。10は十本の指を使って様々な吹き方ができることから。また、エイサーの盛んな夏の初めがふさわしいとして7月を記念日とした。

■ ウルトラマンの日
 1966年のこの日、TBSテレビで『ウルトラマン』の放映が開始された。
 『ウルトラマン』は7月17日に放送開始の予定だった。しかし、その前に放送されていた『ウルトラQ』の最終話が、内容が難解であるという理由で放送されないことになった。
そこでその穴埋めとして、前日に杉並公会堂で開かれたウルトラマンの宣伝イベントの模様を「ウルトラマン前夜祭」として放映した。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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   ■※今日の俳句


 乳母車夏の怒濤によこむきに
        橋本多佳子


 石載せし小家小家や夏の海
        田中貢太郎


 夏の海未来はいつも遠きもの
        川口武雄


【季語の解説】
※ 夏の海→夏濤・夏の波・夏の浜。
 梅雨の濁りの消えた、炎天下の海は明るく鮮やかな紺碧の色となる。
沖には横一線に並ぶように雲の峰が真白に輝いて聳え立つ。海水浴をはじめ、ヨットやウインドサーフィン、水上スキー、水上バイクなどに賑わうのが夏の海、夏の浜である。
夏濤は、沖から白い波頭を蹴立てて礁に、磯に打ち寄せてくる波である。この波を利用して若者はサーフィンを楽しむ。
橋本多佳子が「乳母車夏の怒濤によこむきに」と詠んだように、「夏怒濤」ということもある。
【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】

■ 田中貢太郎(たなか -こうたろう) 1880年(明治13年)-1941年(昭和16年)大正-昭和時代前期の小説家。
 明治13年3月2日生まれ。大町桂月に師事し,「田岡嶺雲・幸徳秋水・奥宮健之追懐録」が出世作となる。「中央公論」の「説苑(ぜいえん)」欄に実録,情話,怪異譚をかき,雑誌「博浪沙」を創刊した。
昭和16年2月1日死去。62歳。高知県出身。号は桃葉。著作に「旋風時代」など。

【「デジタル版・日本人名大辞典」より転載】


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※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)7月10日(水)より転載】


     ※わが友に贈る※


  堅塁城・大中部よ!

  日本の中心から

  歴史を開く大攻勢を!

  誓いの「この道」を

  断固と走り抜け!


      ◇7月10日◇


         ■


    ◇※寸 鉄※◇


 庶民を心から尊ぶ精神が創価の連帯の源泉ー市議(ブラジル)。人間世紀を開く先駆と

         ◇

 旭日の千葉が躍進。大首都圏勝利の決定打を頼む。勇者の言論を満天下に!

         ◇

 広島・岡山・山口が新時代の開拓闘争に総立ち!「人材山脈」に凱歌轟け

         ◇

 目的達成のためには、欲するだけでなく熱望せよー詩人(ローマ)。執念の人に栄冠

         ◇

 幅広い人々の生活感覚を持つのは公明だけー識者。大衆とともに!原点忘るな


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7月9日(火)のつぶやき

2013年07月10日 01時35分08秒 | 広島カープ

川底の砂も灼け、水は涸れれてわずかにしか流れていない川。
山から存分に送られて来る清流、鮎釣師で賑わう川、清流の川原にテントを張り、飲食炊爨を楽しむ photozou.jp/photo/show/123…