小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月8日(月)より転載】
奮迅55(7/8)
質問した青年は、山本伸一の指導に、笑顔で頷いた。
伸一が青年の質問に答えていた時、会場に入って来た、背広姿の恰幅のよい壮年がいた。
この壮年は、繊維を取引する会社の社長をしており、「暇がないから」と言って、学会の役職に就くことを避けてきた。
伸一は、質問した青年に、さらに語った。
「とかく仕事が忙しいと、“いつか暇になったら、学会活動に励もう”と考えてしまいがちです。
しかし、それは間違いです。
どんなに多忙であっても、自分のできることを精いっぱいやっていくんです。
というのは、信心が後退すれば、仕事の面でも、行き詰まりが生じてしまうからです。
日蓮大聖人は、『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(御書九九二頁)と仰せになっています。
体である信心が確立されてこそ、その影である仕事をはじめ、世間のことも、順調に進んでいくんです。
また、たとえ、仕事等で困難に直面することがあったとしても、見事に乗り越えていく力が出るんです。
戸田先生は、ご自身の事業が行き詰まってしまった要因の一つは、自分が第二代会長になるのを避けてきたことにあると、私に語ってくださいました」
その時、戸田は、こう言ったのである。
「私は、牧口先生の遺志を受け、会長として立って、広宣流布の指揮を執らねばならぬことは、よくわかっていた。
しかし、会長職の責任の重さを考えると、ためらわざるを得なかった。
とても、あの牧口先生のようにはできぬと思ったからだ。
しかし、それは、仏意仏勅に反することであった。
自分が躊躇していた分だけ、広宣流布を遅らせ、民衆は不幸に喘ぎ続けた。
私は、自分の事業が完全に行き詰まって、初めて目が覚め、そのことに気づいたんだよ。
私たちには、広宣流布という久遠の誓いを果たす使命がある。
学会の役職は、そのための責任職だ。
疎かに考えてはならん」
,
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月8日(月)より転載】
奮迅55(7/8)
質問した青年は、山本伸一の指導に、笑顔で頷いた。
伸一が青年の質問に答えていた時、会場に入って来た、背広姿の恰幅のよい壮年がいた。
この壮年は、繊維を取引する会社の社長をしており、「暇がないから」と言って、学会の役職に就くことを避けてきた。
伸一は、質問した青年に、さらに語った。
「とかく仕事が忙しいと、“いつか暇になったら、学会活動に励もう”と考えてしまいがちです。
しかし、それは間違いです。
どんなに多忙であっても、自分のできることを精いっぱいやっていくんです。
というのは、信心が後退すれば、仕事の面でも、行き詰まりが生じてしまうからです。
日蓮大聖人は、『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(御書九九二頁)と仰せになっています。
体である信心が確立されてこそ、その影である仕事をはじめ、世間のことも、順調に進んでいくんです。
また、たとえ、仕事等で困難に直面することがあったとしても、見事に乗り越えていく力が出るんです。
戸田先生は、ご自身の事業が行き詰まってしまった要因の一つは、自分が第二代会長になるのを避けてきたことにあると、私に語ってくださいました」
その時、戸田は、こう言ったのである。
「私は、牧口先生の遺志を受け、会長として立って、広宣流布の指揮を執らねばならぬことは、よくわかっていた。
しかし、会長職の責任の重さを考えると、ためらわざるを得なかった。
とても、あの牧口先生のようにはできぬと思ったからだ。
しかし、それは、仏意仏勅に反することであった。
自分が躊躇していた分だけ、広宣流布を遅らせ、民衆は不幸に喘ぎ続けた。
私は、自分の事業が完全に行き詰まって、初めて目が覚め、そのことに気づいたんだよ。
私たちには、広宣流布という久遠の誓いを果たす使命がある。
学会の役職は、そのための責任職だ。
疎かに考えてはならん」
,