9月5日に山科図書館の60周年記念イベントで山科を知ろうシリーズの第6回の講演は
「天智天皇と山科」で、講師は牛尾山法巌寺住職の田中祥雲氏でした。
法巌寺の説明などありましたが、天智天皇の話が少なくて、山科とのなどの話がなく
て残念な講演でした。
ネットで調べてみました。
626年に飛鳥で生まれる。即位前は中大兄皇子。同母弟に大海人皇子。大友皇子は天智の子。
645年、中臣鎌足とはかり、当時権力を握りつつあった蘇我入鹿を暗殺したことは有名で
蘇我入鹿・暗殺を決行した後に、一連の大化の改新を行った。
中大兄皇子には異母兄弟の古人大兄皇子がおり、謀反のかどで、この人を殺し
天皇になった。
663年、白村江の戦い(唐・新羅連合軍との戦い)で敗れた中大兄は、戦後唐の侵攻に
備えるため、近江大津宮(大津京)に遷都(667年)、
その翌年に即位し、天智天皇となった。
大津京時代、庚午年籍(日本最初の戸籍)の作成や時を告げる漏刻の設置をしました。
都を移してから、4年後の、671年、12月3日に、46歳の波乱の人生を閉じました。
その翌年に皇位継承を争う壬申の乱が勃発し、大津京は廃絶した。
弟の大海人皇子が天武天皇となり、飛鳥浄御原に遷都。
都であった大津ではなく、山科になぜ天智天皇陵があるのでしょうか?
講演ではテーマの天智天皇と山科のことがぜんぜんなくて、残念でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/a5/b2f3fb4e6fe798a3071d10368bf242f0.jpg)
山科にある天智天皇陵
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「天智天皇と山科」で、講師は牛尾山法巌寺住職の田中祥雲氏でした。
法巌寺の説明などありましたが、天智天皇の話が少なくて、山科とのなどの話がなく
て残念な講演でした。
ネットで調べてみました。
626年に飛鳥で生まれる。即位前は中大兄皇子。同母弟に大海人皇子。大友皇子は天智の子。
645年、中臣鎌足とはかり、当時権力を握りつつあった蘇我入鹿を暗殺したことは有名で
蘇我入鹿・暗殺を決行した後に、一連の大化の改新を行った。
中大兄皇子には異母兄弟の古人大兄皇子がおり、謀反のかどで、この人を殺し
天皇になった。
663年、白村江の戦い(唐・新羅連合軍との戦い)で敗れた中大兄は、戦後唐の侵攻に
備えるため、近江大津宮(大津京)に遷都(667年)、
その翌年に即位し、天智天皇となった。
大津京時代、庚午年籍(日本最初の戸籍)の作成や時を告げる漏刻の設置をしました。
都を移してから、4年後の、671年、12月3日に、46歳の波乱の人生を閉じました。
その翌年に皇位継承を争う壬申の乱が勃発し、大津京は廃絶した。
弟の大海人皇子が天武天皇となり、飛鳥浄御原に遷都。
都であった大津ではなく、山科になぜ天智天皇陵があるのでしょうか?
講演ではテーマの天智天皇と山科のことがぜんぜんなくて、残念でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/a5/b2f3fb4e6fe798a3071d10368bf242f0.jpg)
山科にある天智天皇陵
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