工房八重の部屋

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「山科を知ろう」シリーズ「その歴史と魅力」の講座で山科がわかってきた!

2012年11月06日 | Weblog
山科図書館60周年記念事業として、11月1日から2ヶ月に1回「山科を知ろう」

の講座の6回シリーズが、山科図書館で(木曜日5時から1時間の講座)始まりました。

住んでいる山科についての歴史を知らない事が多いのに気づき、講座に行って見ました。

「山科周辺は京都の都に近く、大津宿へ抜ける逢坂関が東海道の要所として知られ、

東海道の街道町として江戸時代には特に栄えました。

また山科は古代より政権との結びつきが深く、669年には中臣鎌足によって

精舎(山階寺)が作られ、7世紀末には天智天皇陵などが造られました。

それは今でも中臣町や陵陵など現在の町名にも名残を残しています。

室町時代には蓮如によって山科本願寺が建てられ、

長大な土塁に囲まれた寺院群と寺内町が山科盆地の大きな面積を占めるようになり、

1532年の天文法華の乱により山科本願寺は廃墟となりましたが、

現在でも山科中央公園などに当時の土塁跡が現存しています。」

これくらいは、知っていましたが、

鏡山次郎氏の説明によると、

石器 時代の中臣遺跡で、後期旧石器時代(約2万年前)と思われるナイフ型石器、

石核、剥片などが発見!

縄文時代の 中臣遺跡、大宅遺跡、安朱遺跡、芝町遺跡、勧修寺旧境内遺跡、

北花山遺跡などから、土器棺墓、竪穴住居跡などが発見 !

歴史は古いのですね!

1日に乗降客の多い駅は、京都駅ですが、2番目がJR山科駅とのことです。

江戸時代まで、住民は3000人位で竹やぶと畑などの農村地帯だったので、

今でも下京区や上京区の都の中心にだった住人からは、山科は田舎!と言われて

いますが、交通便利で物価は安く、京都人の気位も高くなく、庶民的で住みやすい

土地だと、住んでいての実感です。


鏡山次郎氏の山科歴史年表の文字クリックするとホームページにリンク出来ます)


講座の内容


山科図書館長の挨拶  山科図書館が出来てから60周年になるそうです!