7月20日

2006-07-20 17:09:48 | Weblog


      部屋ごとにしずけさありて梅雨兆す  能村登四郎

あちこちで豪雨の被害が出ている。床上浸水の記憶は小学生
時以来無い、当時は江東区亀戸はゼロメートル地帯と言って
水位より下に住宅が広がっており、堤防だけが唯一の守り
だったと思う。川から溢れ出した水は隅田川に向かって西下し
亀戸、錦糸町、両国と流れ深川あたりで隅田川と合流する。
当時錦糸町にはお菓子問屋がいっぱいあり、その流れの中に
菓子が箱や缶ごと流されてくる。石油缶いっぱいの
バナナボート、ラスク、動物ビスケット。子供達はボランティア
精神一杯に
回収作業を行う。当然回収したものは収穫となる。

あれから40年以上も経つというのに、まだ水害で亡くなられる
人がいる国はもっと災害退避に予算を使い、目を向ける
べきだろう。そんな暗いニュースばかりで心が痛む。

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7月19日

2006-07-19 17:32:34 | Weblog

        ころころの本棚(その一)

    香水瓶ほどの隙ある書架であり   ころころ

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7月18日

2006-07-18 00:06:30 | Weblog

      七月の雨の明るき誕生日    ころころ
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もうすぐ梅雨明け

2006-07-17 11:49:51 | Weblog

        ひぐらしの森に白澄む一日傘   福永耕二

   白雲  三浦青杉子

   見送りの母からも来る麦の風
   田の面とおなじ水なる余り苗
   白雲にさらはれさうな合歓咲けり
   水の色煙のごとき白日傘
   結び目が母のちからの夏袴
   森を出てどこか膨らむ青田風
   蟇めける老人の声森におく
   濡れ石はくもすぎしあとお花畑

 俳誌「沖」昭和50年9月号 蒼茫集より

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盆踊り

2006-07-16 08:00:04 | Weblog

      
     盆踊り見に来てくらき港かな   小林愛子

月島の友人の誘いに答えられなかったが昨日は佃島の
盆踊りの最終日。全国各地には郡上踊り、風の盆踊り、
などの様にそれぞれ歴史をもっているが、東京の盆踊りは
家康入城以降のものしかない。その中でも佃島の盆踊りが
一番古いものとされている。
スピーカーから流れているのは歌い手の声だけ、あとは太鼓
だけの素朴な念仏踊り、関東にお住まいの方は是非一見を。

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7月15日

2006-07-15 12:59:24 | Weblog

        
      桔梗 (赤塚植物園)

  紫のふつとふくらむ桔梗かな 正岡子規
 

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7月14日 今夜は巴里祭

2006-07-14 06:07:00 | Weblog

         河原なでしこ(赤塚植物園)

   河原撫子僧に忘却問はるるも    伊丹さち子

 登四郎先生の句に 濡れて来し少女が匂う巴里祭
 というのがある。あくまでも私の感だがフランス映画
 「巴里祭」をご覧になってそれに触発されたものではないかと

 
私の巴里祭といえばやはり銀座デビューの中学2年に遡る
 五つ上の姉に連れられてシャンソン喫茶「銀巴里」へ行く。
 下町両国に生まれ育った私にとってはまさに外国である。
 前座が今をときめく料理研究家の平野レミ、とりは
 工藤勉、仲代圭吾、丸山明宏などそうそうたる顔ぶれ。
 100人も入れないほど小さな地下のステージ。
 シャンソニアの汗や吐息が伝わるほどその距離は近い。
 恋には晩生だった私だが同級生より少し大人になった
 錯覚すらあった。当時の銀座のシャンソンバーには
 金子ゆかり、戸川昌子等、ほかにもう一店有ったが
 なにせ中学生・・シャンソン喫茶でも大手を振っては
 入れない年齢なのだから・・・・
 「
回転木馬」「三文ピアニスト」うろ覚えだが印象的だった。
 後で知ったことだが、フランス革命記念日をめぐる恋物語
 の映画の邦題を「巴里祭」としたことがはじまりだという。

       
少し濃き鉛筆を買う巴里祭  ころころ

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7月11日

2006-07-11 06:22:09 | Weblog


       古代蓮(大賀蓮)  東本願寺

     現とも夢とも古代蓮の色   河本遊子

     一片の指す天日や古代蓮  ころころ

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7月10日

2006-07-10 13:17:58 | Weblog

      石榴の実と御神籤(鬼子母神)

        石榴裂け吾が中に濃し鬼子母神  野見山ひふみ

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支部句会選句

2006-07-09 07:47:36 | Weblog

     

 参加者15名、おおよそ毎月この人数の句会となる。
 うち女性が6名、男性の多い句会は荒れることがない
 指導者の参加もみず、これだけ団結できるのは個々が
 精神的に大人であることは勿論、お世話役のご苦労も
 おおいにある。

選句においても他者の句への批判も少なく、善意のある
前向きな姿勢はこの座のもっとも良い所。
普通なら主宰選が結果というところ、私はこの座の互選を
大切に考えている。

先月の柴又吟行句会の主宰選の結果を見て、些か疑問が
ありメールでその旨の説明を請う。
吟行句の主宰添削選で季戻りになるのはどう解釈すれば
よいのか?また句に詠われた景色が違う点についての疑問

返信にはこうあった。「吟行句=当季吟とは指導していません
吟行で授かった句を舌頭千転して推敲するとき、その作品に
もっとも相応しい季語を斡旋することは適切な手法であって
夏に吟行しているのだから夏以外の季語を使ってはいけない
と決め付けるのは窮屈ですね。俳句は芸術なので実景、実感
をもとに生まれた句であっても推敲によって季が変わって
しまう事はよくあります。逆に実景を見ないで、空想や言葉
遊びで句をひねる事は邪道俳句と私は考えます。
この種の話は何度かしたことが有ります。
メンバーのなかにはご存知の方もおられます。」
主宰の主旨はよく理解できた。しかしその旨を会員全員に
指導できてないと迷いのまま学習していくことになる。

 昨日の句会でのころころの選句5句。

     夏袴護符に切り火の鬼子母神
     汗拭い調理道具の品定め
     客の指す鉢上ぐ腕に汗走る
     はるなちゃん朝顔市の迷子かな
     涼しげなかなの文なるたけくらべ


 

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