それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

道立近代美術館の「大原美術館展」

2012年06月29日 | 再開(雑記)

このところ快晴が続き、湿気はないが気温が高い。今日は29.7℃まで上がったとのこと。
夜になっても2階の寝室は暑いのだが、節電に慣れるためエアコンは今のところ入れていない。

今日は前から気になっていた大原美術館展に、午前中に家内と出かけた。
道立近代美術館で7月8日まで開催とのことで、最終日に近くなると大変な
混みようになるに決まっているので、今日あたりが限界だろうということで。

それでも平日なのに、ごった返すというほどでないが、かなりの人出で、
鑑賞を終えるのに1時間以上はかかっただろうか?


敷地が広いので全容は撮られない


入口の表示  左の肖像画はモディリアーニだが、
他の美術館への予定があって、今日はすでに展示されていない


近美の隣りは道知事公邸  近美の敷地より広く、縦横100m×100mある。
木々が鬱蒼として中の様子はよく見えない
当時の知事、横路さん(現・衆院議長)とここで会議したことを懐かしく思いながら。

それにしても大原美術館というのは大掛かりなんだなぁと感じ入った。
展示品の多くが大正時代のものだったが、ここ数年の作品もあるし、DVDを
美術作品としてモニターで流したりしてもいる。

ルノワールに特注した作品があったり、ユトリロ、モネから棟方 志功まで幅広く、
ロダンの彫刻まである。圧倒される思いであった。


帰り、ちょうど昼食時間だったので、山鼻屯田記念会館にあるピザ専門レストランで
ピザを食した。初めての店だったが、レトロな感じの建物に入っていて、雰囲気も
悪くなく、接客もなかなかで、かつ美味しかった。


マルゲリータ


シェフ特製ピザ フルーツトマト、紫タマネギ、ソーセージ、チーズをトッピング

久しぶりの美術館で、立ちっぱなしはちょっと疲れたかも?

 


【しあわせのパン】

2012年06月27日 | 再開(読書)

このところ、気忙しさにかまけて、読書を怠っていて、それがまたストレスになっていた。
先月に買っていたこの本。文庫なのに書き下ろしなのだ。

北海道に洞爺湖という丸い形をしたキレイな湖がある。
国立公園の中心的存在の湖でもある。その湖畔に月浦という地区がある。

舞台はその月浦である。ただ実際の月浦と舞台の月浦とでは少しデフォルメしている。
ここにパンカフェの「カフェ・マーニ」があって、民宿的に宿泊も可能。

いろんな悩みを抱えた人々がこのカフェを訪れ、経営する主人公の若い夫婦が
心を込めて作る温かいパン、手料理、珈琲で迎えてくれる。

じんわりと感じる温かさとメルヘンチックな優しさがなかなかだ。


すでに今年の1月に映画化された。大泉 洋と原田 知世が主役。
原作は脚本家、映画監督の三島 有紀子。

 


多忙な次男

2012年06月25日 | 再開(雑記)

この6月はJune Bride ということもあって、市内で独身生活をしている次男は多忙だ。

札幌祭りの中旬には韓国に3泊4日の観光旅行。
次の週末(23日・24日)には盛岡で学生時代の友人の結婚式。
来週末は同じく友人の結婚式がグァムであるので、サーフィン担いで行く。
何かとお金もかかることだろう。 

3週続けて遠出して疲れないのかな。
昨日は長男夫婦が孫を連れてやってきて、1週間遅れのボクの父の日だった。


そこに盛岡から帰った次男が合流。
花巻から朝早い飛行機で千歳に着いて、苫小牧でサーフィン、自宅に戻ってから
我が家に合流したという。翌日は仕事なのに、さすがに疲れた様子。

父の日のプレゼントは無印良品の半袖ポロシャツだった。


当ブログ・デビューの孫はこれが好きだ 1歳と6ヶ月

さすがに大人が5人いれば、危ないこともなく、家の中に「放っておける」。 


「そよ風コンサート」のこと

2012年06月23日 | 再開(地域と地域活動)

今日は、10年目=10回目の、当町内会主催(福祉部担当)のコンサートの日。


回覧板で回ったチラシ

やさしく親しみのある、誰でも知っているようなクラシックと日本の民謡や童謡を
演奏してくれるトリオ(3人)がトークをまじえて出演する。
札幌中心部のホールへ何千円も払って聴きに行くのもいいが、無料で徒歩で来れる
気安さ。それによる、ある種の文化的活動なのだ。

中間の休憩タイムには、当町内会の子ども会が作ったお菓子や、女性部が提供する
お茶・コーヒーなどが「振舞われる」。

毎年100人を超える近隣の人々が聴きにやってくる。
今日も120人ほどの観客だった。

最後の閉会の挨拶はボクが指名されていて、致し方なくやったのだが、
最後というのは、どうも演奏中もゆったりできなくて困ったものだ。

 


月1の孫の来訪

2012年06月21日 | 再開(孫♂)


どっちが言い出したことでもないが、なんとなく孫の顔を見せに長男夫婦は月1回は、
我が家にやって来る。それ以上でもそれ以下ということもない。
こっちも孫の顔見たさに「おいで、おいで」と誘うことはしない。

今月はホントは先週の父の日、なんか適当なものを贈り物として持って来がてら、
ということだったらしいが、孫が高熱をだしたため、中止。
今度の日曜日24日に延期となったようだ。

長男夫婦に併せて、17日の先週日曜は次男坊・独身も韓国サーフィン旅行から帰りがけに、
一泊していったのだが、ちょっと空振りだった。 今度の日曜24日は、
その次男坊は、盛岡で前日に学生時代の同級生の結婚式があるそうだが、
なんとかして我が家に来るということのようだ。

一方、うちのおじいちゃんは気の効く人で、皆が集まるんならと、
山形産サクランボと夕張産メロンをプレゼントしてくれた。

贈答用の高価なものでなく、普通に売られているものだが、
自分はその場にいないが、ひ孫に食べさせたいという気持ちを嬉しく思いたい。

夕食は長男のオーダーもあって、「1万円予算」の寿司を取る予定だが、
多分、孫には夕張メロンは初めての味で、美味しいニコニコ顔で
腹いっぱい食べてくれるといいなと、
今からバカ面こいて楽しみにしているオジジである。
恥ずかしい限りだ。 \(;゜∇゜)/ヒヤアセモン☆

 


4月の春祭り以降の行事~秋季例大祭まで

2012年06月19日 | 再開(地域と地域活動)

当然なんだろうが、藻岩神社の活動には波があって、ボクが神社に関わるようになって、
5年目になるが、最近はなかなか気合が入らない。
出来れば今年度を最後に、退任したいのだが、この種の活動は
町内会と同様、進んでやりたいという人はいないのが実情だ。
ボクも行きがかり上、仕方なく引き受けた経緯がある。

歴史のある本州の神社仏閣ならば、行事そのものが観光資源であったり、
若者から老人まで地域活性化の観点からも、廃れたりはしないのかもしれないが、
当地区のような地域の地域、そんな神社ではなかなか維持そのものが難しいのが
実情だろう。そもそも神様という重さが、北海道民と本州とでは違うのだ。

隣の地区である北ノ沢神社はお祭りそのものの継続が困難になってきているという。

それでも自分としては、普段から少しは気になっていて、様子見に出かけたりしている。


ボクの車~歩くにはちょっと遠いかな?


一応は社務所(会館)が併設されて、管理人家族が常駐している


それなりの参道もあるし


手水場もある~水道だけど。。。

はてさて、これからどうしていけばいいのやら?
去年は秋季例大祭の宵宮祭は中止となった。仕切る責任者が高齢化のため
その元気がなくなったためだ。

ボク自身も盛り立てていこうという気は毛頭ない。
ただ、この地域の「鎮守の神」として、何らかの「奉仕」はしていきたいと思うのだが複雑。

 


来るは来るは、この時期の税金請求

2012年06月17日 | 再開(雑記)

2月に国税(所得税)の確定申告をした。
国税の申告が基本となって、地方税と国民健康保険税(料)が決定する。
さらに所得申告とは関係ないが、割と早めに固定資産税の通知が来ている。

ボクはいま住んでいる家屋と土地の他に、父が住んでいるマンションの所有者に
なっているので、これほどの大貧乏人なのに、ふたつの不動産の税金を払うことになっている。

固定資産税もバカにならない額で、建築当初は両方で50万円近くも払わされていた。
でも今は地価の下落と建物の減価償却も進んで、3分の2ほどに減ったのかな?
でも大差ないだろうと、よく見てもいない。
この辺が、銀行口座の自動引き落しの、お互いにとってのメリットなのかも?

自分で毎月、公共料金や税金を、郵便局や銀行に払いに行くとなると、
面倒は面倒として、「取られたなぁ」「払わされたなぁ」といった、損失感が大きくなる。

その点、年度初めに、ツラァーっと1通の通知が来て、後は勝手に?口座から
引き落として(されて)、納税感を感じることなく、何事もなかったかのように
物事が進んでいくというのは、いいのか悪いのか。
踏み込んで考えると、ちっとばっかし、物足りなさを感じはしないかなぁ?
「俺は払ってんだぞ、なんか文句あっか!!」ってな。

それでも日本国民の3義務の一つの納税義務なのだ。
しっかりと果たしていかねば日本人とはいえないのだなぁ (/_<) ナケルネェ

地方税も来た。前年度とそれほど変わらないと思っていた。
年間△8千円だった。

↓ 国民健康保険税は年間で△7千円。
これがイッチバンたけぇ。夫婦二人で何十万円だもんね。
父の先般の手術・入院料を見たら分からん訳でないけどね。助けられてる。

ま、入って来るのが一定で、払うのが全体で少し減る。
これで今年も何とか生きていけそうだ。 。o@(^-^)@o。ニコッ♪

 


10月からの年金

2012年06月15日 | 再開(雑記)

今日、今年の6月からの年金振込通知書が送られてきた。

支払い期間が6月から8月となっている。普通は8月ではなく、来年の4月となるところ。
その理由は7月でボクは64歳になるのです。いつだったかの年金改正で、
年金の満額支給が65歳に引き下げられたとき、激変緩和措置として段階的に
65歳に引き下げられることになっており、ボクの年代は64歳で扶養手当の性格を有する
加給年金というのが支給される。これがまた、もらい応えのある金額なんです。

だからとりあえず8月までは従来の支給で、10月からは加給年金が支給され、
来年の10月からはさらに、老齢基礎年金(国民年金)が支給される予定なんです。
これで漸く満額支給となるのです。

いま支給されているのは、厚生年金の特別支給の報酬比例部分。
ボクは早くにリタイアしたので、これを支給してもらうことにしたのだが、
65歳まで働いて、5年間受給しない人は当然だが、65歳から割り増し支給になる。

でも会社の企業年金も厚生年金と遜色ないかそれ以上なので、
贅沢は言えない。いや背に腹は変えられないと言った方が正確かも?
個人年金も2口入っているし~~これは全額自己資金積立でした。
でも加入した時は高金利時代。払ったお金の2倍くらい受給している。

税と社会保障の一体改革論議で、今日も政界は大騒ぎしている。
これからの若い人は大変だろう。
でもボクたちの年齢は、いまの高齢者と若い層との中間くらいかな?
恵まれていると喜ばなければならない。

一言。 最低保障年金(7万円?)はおかしい。
日本は資本主義国家。払わないのに年金をもらえるというのは社会主義。
そこのとこを間違えないでほしい。
今の世の中、お金がなければないで、餓死したり公共サービスを受けられない
なんてことはないんだから。。。

 

 


北大祭

2012年06月09日 | 再開(雑記)

ボクが大学に入学した昭和42年。 家内は1っこ下なので昭和43年。
当然なんだろうが、、当時から「北大祭」はあった。

その時、生まれて初めてテントでジンギスカンを食し、その美味さにはまったのも、その年だった。
(新潟には羊肉を食する習慣もなく、売ってもいなかったので初めての味だった)

当時は「成吉思汗」と書いたが、すぐに読めなくて地元出身学生に笑われたものだ。
ボクが関東圏の大学や、東北大学、地元の新潟大学を敬遠したのは、北大のキャンパス
ゆえだった。せせこましくて、ごちゃごちゃしたキャンパスでの大学生生活は避けたかった。

4年間住んでみて、当初、描いていた期待感は100%満足できた。
それは、昭和39年=新潟高校1年生のときに札幌の親戚を訪ねて、北大を見学したとき。
その場で即効、進学先を決めた。親には遠くて旅費もかかるし、
頻繁に親元に帰れることも出来ないことなので、申し訳なかったが、
結果的に両親は今、近所にいてくれる。
ただ両親の親戚、友人との別れがどれだけ辛かったかボクには正しくは分からない。
両親に対してはいつも申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。

今の北大キャンパスは54万坪あるそうだ。他に函館に3万坪弱の水産学部がある。
札幌キャンパスには当時、自然に湧き出す水が流れ、サクシュコトニ川と称した。
当時から、それほど綺麗な水ではなかったが、標高の低い地域では、
札幌全体が扇状地ゆえの湧水だった。

水が湧き出す「中央ローン」という大きな広場のすぐ傍にクラーク先生の像が建っている。

キャンパスのほとんどが大木に覆われていて、先が見通せない。

ところで今日は家内と二人で、外国人留学生のテントで何か食べようと決めてから出かけた。


モンゴルもいいかなと思ったが。。。

ボクはチキンをナンのようなもので、包んだようなギリシャ風500円

家内は巨大なパエリア鍋でのもの

これが商品だが、美味しかったらしい

左が医学部、右が歯学部、薬学部のはず?
秋になると見事な銀杏並木になる

構内はこんな鬱蒼とした場所もあって、よく地理を知らないと危ないかも?


ゆるキャラ?

日が暮れたらロックがあるらしい

市営地下鉄・北18条駅で降りて、帰りはJRさっぽろ駅バスターミナルまで南下して歩いて、
とことん疲れてしまった。多分5~6kmそこそこのはずなんだけど。

それにしても我々二人の母校を揃って散策できるというのは嬉しいものだ。
特にボクはこのキャンパスが好きで、思い入れがあるし、
それで受験勉強に励んだ経緯があるから尚のこと。
当時は合格ラインが奈変にあるかの情報もなく、不安いっぱいだったのは覚えている。

「家内の方の一族」は元々、札幌出身だし、大学に入るなら北大しかないという自然派。
家内の兄も弟も、うちの子供たちのいとこ、その子供たちもこの学校が多い。
8割くらいが北大、残りは近辺の国立。ボク等一族には私学には入れるほどの資金がない。
地元だから自宅通学できるし、便利この上ないのだから入学せざるを得ないのでは?


同じ札幌でも、北区(大学)と南区(自宅)では公共交通機関では1時間以上かかる。
なので、こういう時にしか来れないのはちょっと寂しいかも?

でも家内との2時間にわたるデートは楽しかった。
この日は「yosakoi sohran」の初日。
また道立近代美術館で「大原美術館店」が開催される日。

いずれも「今度ね~」ということにして自宅に直行、ぐっすり眠ってしまった次第。

 

 

 


母親のリハビリ作品

2012年06月07日 | 再開(雑記)

今日、母の病床に行ったら、リハビリで作った人造花が飾ってあった。
へぇ~、まだこんな力が残ってたなんて~~ パチパチパチ o(^ー^)o☆o(^ー^)oパチパ


本人は右のベッドでほとんど寝ています


不思議なんです。 いつも行けば昏睡みたいな状態で寝ているのに、週に3回あるリハビリには
喜んで出かけているらしいんです。
そのうちの2回は理学療法てきで、もう1回は手芸や料理の現場復帰的なものです。

その上、リハビリでこんなものまで作るなんて、尋常でない感じがします。
もともと手芸が大好きな人。
今でも親しかった新潟の友達には手紙も書いたりしている。
86歳の要介護4の人でも、そんなことも出来るとはね。
オドロキです。

 


年寄りの買い物

2012年06月05日 | 再開(雑記)

すでに、このブログでお話しているが、ボクの父は91歳、要支援1なのだが、今年の1月から
2月にかけての2度の手術&40日間の入院により、体力が減退してしまった。

それでも、我が家に迷惑かけたくないとして、退院後2ヶ月ほどは我が家にいたが、
4月の下旬に「マイホーム」のマンションに戻って、帰ってきやしない。

当方としてはいろんなところへの、送り迎えの時間調整のために
いちいち電話で連絡することが必要になって、却って面倒なのだが、致し方がない。

日曜日の母の病院見舞いは親戚が同席したので、今日は病院見舞いはしないことに
していた。 ところがちゃっかり?路線バスで母の病院に行っていたのだ。
しかもその前の午前中に、700mも離れた銀行に用事を足しに行っていたというのだ。
「今日はちょっと疲れた」と言う。当ったり前田のクラッカーだよ。

母の見舞いも大事だが、自分のことを優先してもらわないと困るよ、
といつも言い渡してあるのだが、言うことを聞かない。

仕方なく携帯電話で連絡のとれた母の病院の近所まで迎えに行き、
スーパーで買い物をサポート。
なにしろ、ジュースなどの重いものを買ったらマンションまで運ぶ力が
ないのだから、どうにもならないのだ。


91歳の疲れた後姿

買い物カゴを見ると、こんなものを買っている。

ずっしり重い買い物。 嗜好品ばかりが眼を引く。
結局、父の部屋までボクが運んで、「じゃ~ね」となるのだった。

こんな状態だから、やっぱ泊りがけの旅行なんて無理になってしまったかなぁ?

 

 


近隣の火事

2012年06月03日 | 再開(地域と地域活動)

当町内会には400世帯以上の町内会への加入世帯がある。
そのうちの半分くらいだが、かつて景気上昇中の1970~80年代に
北海道住宅供給公社が建設した分譲マンションが7棟ある。

入居者は役所勤めの人やお固い職場に勤めていた人ばかり。
地域の治安や文化的底上げという面で過去、どれだけお世話になってきたか、
計り知れない。 因みにボクは15年前に転居してきた。世代が違う。

ところが問題がなくはなく、マンションの老朽化と相俟って、入居する人たちの
高齢化が激しくなっている。子供さんたちは独り立ちし、エレベーターのない
マンションには興味は持たないのだろう。

だから、畳の部屋が多くて部屋数の少ないマンションでは売却も思い通りには進まない。

市の広報誌配布も廃止して、業者委託にしているという。
1階の人が班長さんになると、場合により4階まで階段で上がって行けないらしい。
だから班長さんは足腰丈夫の人しかなれず、「次は隣」という論理が
通用しない。 自治会もあるのだが、そんな状態だから、その上にある
町内会の果たす役割は高いものがある。 ボクも時々、民生委員に混じって見回りに行ったり、
お年寄りの安心安全カード(当地区・社会福祉協議会の活動の一環)の配布などで、
高齢者住宅を訪問することもある。

ところが3日前の夕方5時過ぎ、消防車、救急車、パトカーのけたたましいサイレンが
響いた。立場上、やじ馬的に見に行く訳にもいかなかったが、
今日、大体のことが分かった。

出火したのは、何年か前にご主人を亡くした独居の老婦人80歳。
しかし幸いにボヤで済んだ。

消防車は消火のための放水をしなかった。~これが肝心
ご本人も救急車で運ばれることはなかったようだ。

なので、当該部屋のダクトが黒く焦げた程度で、
マンションの修繕積立金や火災保険により、修復されることになるだろう。

不幸中の幸い、というのはこのことを言うのだろう。
良かった U\(●~▽~●)Уイェーイ!


今日は何事もなかったように見えるが、先方の建物3階が出火場所。
近所には老人会がお世話したサクラソウが咲いていたある種の「名所」なのだ。

震災・災害も怖いが、身近な火事も怖い。上は原発から、下は火事までいつ何時、
襲ってくるか分からない災害。    気をつけましょう!!

 


マリンヒル・ホテル小樽

2012年06月02日 | 再開(温泉)

家内ともども毎日のように親のことで時間が制約され、何となくストレスが溜まっている。
そんなんで昨日は、小樽の朝里川温泉の高台にある「マリンヒル・ホテル小樽」の
温泉兼昼食に出かけた。 たまに気分転換が必要だ。


気温は10度 高台にあってもなぜ「マリン」か?
船員保険の施設だからだという

路線バスの終点になっているが、パークゴルフのお客は数人いるようだが、
温泉に入ったら誰もいない。ボク一人で貸切。

だからこそ ↓ 写真も撮れる。

食事は100席以上もあるレストランが、ボクと家内の二人だけ。
スタッフは3人、他に厨房に何人いるのかな?
家内はハンバーグ&エビフライ定食、ボクは食欲もそんなにないし、
ラーメン600円で済ませる。

でも家内もボクも、何かから一時的にでも解放された気分で
明日への活力が湧いてきたような気がしたのは事実。


珍しくの入った昔風ラーメン 値段の割にはなかなかの味

温泉のあと、4月にリニューアルしたJR小樽駅を覗いてみた。




小樽は硝子製品を「一村一品」にしているのでランプが印象的だ


ナホトカと姉妹都市になっているが、あんまり関連の話題を聞いたことがない。

夕食は、駅前の「長崎屋」(まだやってんだ!)で調達した「小樽かにめし」500円。
「かにめし」のご本家は長万部(おしゃまんべ)だが、値段は2倍する。
ただ食べてみたら、ご飯が硬くてどうもなぁ、だった。