それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

漫画本の効用

2008年06月19日 | 読書

先日、買った漫画本4冊のうち、日本物3冊を読んだ。

自分自身では、プロレタリアものを好んでいたものと思っていた。
しかし3冊続けて読んでみてわかったことがある。

  1. 『蟹工船』は確かにプロレタリアものだが、悲惨で歴史を学ぶには適しているかもしれないが、小林多喜二が小樽商大卒で、碑が小樽にあるので単に親近感があるに過ぎないのではないか?最近の格差社会、正規&非正規社員問題と、被るところではあるが、基本的に社会構造が違う中で単純比較はできないだろうし。
  2. 『人間失格』は、確かに一時的に太宰治が共産主義に参加しただけで、堕落の一途を辿る人生を自叙伝的に表現しているだけでないか?自分自身、太宰の出身地である、青森県・金木町に親戚があって、未就学児童の頃から何度も訪れ、斜陽館の傍にある医院にかかったこともあって、単にこれもまた親近感があるに過ぎないのではないか?
  3. 問題は『破戒』である。いわゆる「」、俗に「(えた)」とか「」とか言われる人々に感心があったのではないかと、思った。



自分には嫌な経験がある。まだ小学校低学年の頃、
新潟市内にはそうした的な地域はないのだが、近所に住む、
優しくて、綺麗で、気立てのいいお姉さんがいた。

婚約相整い、結婚することになったと聞いて、残念で、
ある種、複雑な気持ちでいた。ところがその後、破談になったと聞いた。

いっとき、嬉しいなぁと思ったが、その原因が、母が小声で言うには
その家が「」だということだった。

そんなことがまかり通っていることが信じられなかった。
戸籍を明治に遡るとわかるのだそうだが、
昭和の時代にそんなことってあるのが子ども心にも許せなかった。

この北海道には同和問題はないと思っているし、
実際にもそんな地域も感覚もない。しかし、今でも関西を中心に全国的にあるように聞いている。

とんでもない話だ。確かに人間には、士農工商+somethingと言う
気持ちがないわけでない。
だが、そこは、人の理性がカバーしなければならないのだ。

実際、銀行時代に、をかたって、脅す、掠め取ろうという輩と
渡り合ったこともある。
毅然として対応したが、いい迷惑であった。ざけんなよ!!って気持ちだった。

今回の漫画、大変、参考になった。

『蟹工船』と『人間失格』はともかく、
もう一度、『破戒』元本と『橋のない川』を読み直して、
人の心を生き生きしたものにしたいと思う。

 


開拓時代の山村

2006年12月09日 | 読書

大雪山系は広い。
この本の舞台は、北大雪の北側、白滝村(平成の合併で、今は新遠軽町)という山村である。

遠軽町と言えば、もうオホーツク海に近い。
私も、この白滝村というところから、北大雪の平山(標高1,771㍍)という山に登ったことがあった。
ほんの5年前の夏のことだ。

札幌からだと、とにかく遠い。
朝早くに出発して、高速を使っても登山口まで3時間半以上かかる。
しかし、花の見事な山だった。

こんな山の中にも、開拓時代からの生活があった。
夏は主として農業、冬は造材という暮らしが、明治の開拓時代から続いていた。
昭和30年代に入って、林業の機械化が進み、機械を買えずに農業だけでは暮らしていけない人たちが離農していき、人口が激減する。
典型的な開拓農家のパターン。

一気に読み終えた。
それだけの懐かしさと共感があったから。詳細はこちら

因みに、奥白滝から登る、平山の花を2点。
タカネシオガマは上から見ると不思議な形状をしている。

高山植物の典型~コマクサは可憐だ

今朝は、今シーズン3回目の雪かきだった。
なかなか山歩きができなくて残念だ。


中高年の登山

2006年10月22日 | 読書

新田次郎の『剣岳 <点の記>』と『八甲田山 死の彷徨』を読んだ。

前者は明治40年の北アルプス・立山連峰が舞台で、後者は明治35年の青森県が舞台である。ちょうど、日露戦争を挟んでのノンフィクションである。

また、いずれも陸軍に所属する者が主役である。前者は陸軍・陸地測量部(現・国土地理院)で、後者は陸軍・第9師団の第5連隊(青森市)と第31連隊(弘前市)である。

いずれも当時の歴史背景をもとに、気象庁に長年、勤務した作者の緻密な取材と資料分析により、完成した長編である。

本の内容については避ける(↑ 1行目の本のタイトルをクリック)が、自分にとっては「山の恐ろしさ」を疑似体験するため、何度も何度も読んだ本である。そうして、山に入るときは臆病なくらい、慎重を旨にするようになった。無理しない、十分すぎる装備で望む、天気が悪かったら絶対近づかないetc.である。

いくら山歩きが楽しくても、また身体に良くても、命を懸けるほどの重大性はないのだ。
最近の中高年登山ブーム。~~遭難ニュースを耳にするたびに、遭難者が中高年ということが多い。我々の世代、遭難と言えば、大学生が正月休みにというのが常識だった。「若さゆえの暴挙」と思ったりしたが、今や逆だ。元気な中高年はいくらでもいる。それが各々の自分に対する過信になってはいまいか?

中高年の健康ブーム&登山ブーム。自分も含めて、決して悪いこととは思えない。しかし、年年歳歳、体力と気力は知らず知らずのうちに衰える。これが天の道理であることを知る必要がある。

天気さえ良ければ、まだこんな色もある。


『なんもさ 北海道』

2006年09月07日 | 読書

久しぶりに「読書」の話題でも。

本書は、北海道拓殖銀行が都市銀行としては初めて破綻して、まだ、混乱の渦から抜け出られない北海道を、少しでも元気にしたいという北海道新聞社の企画本として出版された(99年8月)ものである。

北海道弁である『なんもさ』という一語をテーマにして、新聞紙上で一般読者の投書を募ったものを147ページの一冊にまとめたユニークなものだ。

高校生から90歳過ぎの人に至るまで、いろんな切り口で『なんもさ』が取り上げられている。

私も海を渡ってこの地に住んで、すぐに聞かされた方言だ。
「な~んも、なんもだ」 「なんもさぁ」と表現する場合もある。
「なんにも気にしないよ」「大丈夫だよ」「元気だよ」「遠慮しなくていいよ」「Do not mind !!」といったような意味だろう。

使う場面、使う人、使う時期等によってややニュアンスは違うだろう。
広い北海道。しかも、出身地(ルーツ)が地域によって異なる北海道。
したがって、方言も地域によって様々だが、この『なんもさ』だけは、幅広く「普及」しているように思う。

特に苦しい時、悲しい時、寂しい時、頑張らなければならない時などには、元気づけられるいい言葉だ。

Amazonの本紹介はこちら


目がしょぼい

2006年06月21日 | 読書

先日、息子が映画『明日の記憶』を観に行っってきたと言う。「いやぁー、感動物だわ。最後、涙出たさ。」とも言った。へぇ~、あの子がねぇ。

それならお父さんも行こうと思ったが、この種のものは元の本をまず読んでからと思い、昨日、買って来たが、読み始めたら止まらない。夜中の1時になって読了。一気読みだった。

なぜか?
主人公は50歳。自分より7~8歳、年下の勘定になる。実は50歳頃、私は山の仲間達にアルツ・シンと呼ばれていたことがある。

十勝岳でのことだった。その時、私は何かを喋ろうとしてメンバーの一人に声をかけたが、口に出す前に話すべきことを忘れてしまったのだ。

直前記憶障害+短期記憶障害=アルツハイマー。昔のことはよく覚えている。最近のはすぐ忘れる。北海道ではこうした人を『鶏頭』(とりあたま)と、卑下して呼ぶ。鶏は3歩、歩くと物を忘れるのだそうだ。鶏頭シンとも呼ばれた。

もちろん私の場合、今でも別に深刻な症状があるわけではないのだが、山の連中は口が悪いので、ちょっとでもミスると直ちにニックネームをつけられてしまう。←←この段落、何となく自分でも言い訳がましく思える。

そんな訳で親近感を覚えていた。我が身のことのように読んだのだろうか?同化したのではないか。書評にあるとおり、最後は美しかった。こんな一日中、読んでいたので目がしょぼい。

お口直しにミヤマスミレ。 デタ━━━゜(∀)゜━━━!! 


『ハンバーガーを待つ3分間の値段』

2006年05月24日 | 読書

長いタイトルの本だ。さらに赤文字で、『ゲームクリエーターの発想術』という副題までついている。

Amazonの解説によると~~
ゲームソフト「シーマン」の開発者が、世の中の構造を解き明かす。そのとどまることを知らない思考法を、72点の写真とともに大公開した面白エッセイ。『ほぼ日刊イトイ新聞』での連載などをもとに構成、単行本化。」
との内容である。 詳細はこちら

ホリエモンは3ヶ月の拘置期間中に200冊だかの本を読んだそうだが、当方はあり余る時間を有しながら、月に5冊も読んでるだろうか?

この本がどうの、ということより、読書不足の反省を込めて本日の記事としました。
 


『鉄道員』(ぽっぽや)

2006年03月14日 | 読書

今朝、ヒマだったので、短編の『鉄道員』を読み返してみた。朝っぱらから泣けてくるねぇ。今日一日の調子が狂っちゃったみたい。

この本、1997年に購入している。浅田次郎の8編の短編集だ。映画化されもした。単行本では40ページそこそこの短編だが、よく映画にできたものだ。

それだけ、本の方が凝縮化しているのだろう。映画に耐える短編。