それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

アイヌ文化との触れ合い

2020年11月10日 | 再開(雑記)

先日のこと。

新聞アイヌ文化フェスティバルと載っていて、札幌市中心部の教育文化会館大ホールで開催されるとあった。

私個人も家内も、長年、北海道におりながらアイヌの人々と交流したことはない。いい機会だと思って応募したら、2人分が当たった。

開演前の様子。残念だが開演中はカメラが禁止されている。

3部に分かれていて、1部は口承文芸。一人の女性アイヌが歌を歌う。聞いたこともない歌。短調なのか長調なのかさえ分からない。

2部は、古式舞踊で、10人くらいの女性が出てきて、ステージで踊る。これがまたいい。統制が取れていて安心して見てdいられる。

最後の3部は音楽公演としてあり、正しく楽器を使った曲だった。

アイヌは今や北海道にしかいないと思われるが、そうではないと思う。

古くは坂上 田村麻呂が征夷大将軍として、アイヌ討伐をやった。とにかく、主に東北に広くアイヌは住んでいた。討伐と言っても、戦をして追い払ったのではなく、コタン(アイヌの集落)の長(酋長たち)と飲み明かすようなことをして、仲良くなって北の方へ、北の方へと移動してもらったらしい。

JR新潟駅前にも沼垂(ぬったり)という地区の名前がある。この辺には沼垂の柵(ぬたりのさく)というのがあったらしい。和人とアイヌの境界線だ。

ところで、今年7月、白老にウポポイという施設がオープンした。白老は苫小牧と室蘭や登別の間にある町である。昔からここには、アイヌコタンがあって、踊りを見せたり、チセ(アイヌの家)がたくさんあったり、お土産を売ったりしていた。

「日本は単一民族だ」などという政治家がいたりして、アイヌが誤解を受けることが多かった。江戸時代、函館に奉行所(幕府直轄)ができ、ロシアに睨みをきかせる役目を負っていた。明治2年に札幌を道都とし、北海道開拓使が設置された。

その前は当然、松前藩が北海道全般を支配していた。人種差別が当然のように行われ、迫害と言っても過言でないほど、和人はアイヌから搾取、迫害を続けた。

先住民族として大切にするようになったのは、ほんの最近である。しかし、迫害の長い歴史があるので、和人が完全に平等な気持ちと態度で、アイヌと接するのはまだ時間がかかるだろう。

だいぶ前に聞いたことだが、当時、純粋のアイヌは2万人だったという。今は混血が広く進んでいて、全国に散らばっているのではないかと思う。

アイヌの懐柔のためか、ポロト湖(コタンに隣接した湖)にウポポイを立てて、私から見ればどういう狙いで作ったのか、懐柔策ではないかと思うのです。

それでも国立であり、200億円を投じた施設なので、政府の本気度はまぁまぁではある。来年、コロナが静かになったら、家内と尋ねてみたい。

ウポポイの全容です。

今、アイヌとの間で問題があるとすれば、川を上る鮭の狩猟。アイヌは先住民族なんだから別に、和人の漁業権は関係ないとして、川に遡上する鮭を取りに行く。しかし漁業権は和人にあるとして、なんとか止めてもらいたがっている。

ウポポイの建物。

ウポポイにかかる写真はお借りしました。

帰りの大通公園。3時半ころの写真。閑散としてます。

今はもう冬囲いをしてあります。昨日、今日と降雪あり、少し残ってます今日から明日にかけて、場合によって20㎝の積雪になるかもしれません。