それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

暖気到来(襲来?)

2012年02月29日 | 再開(雑記)

今日は、何だかんだと言って、プラスの4℃まで上がったようだ。

関東地方は寒くてかなりの降雪があったように報じられている。

しかし当地は今朝まで氷点下8℃もあって寒かったのに、最高気温は+4℃。
したがって道路は僅かに残った、氷状の雪が融け出してべちょべちょのシャーベット。

氷がシャーベットになるから、雪が融けた状態と大いに違って、重くて運搬に苦労する。
ボクはアスリートでもなんでもない、普通の人だから、ママさんダンプの重いこと。
まぁ、寒い時季の運動だと思えば安いもの。やらざるを得ないから、嬉しい運動なのだろう。


結局、今年の冬はロードヒーティングは使わなかった。


それでも札幌気象台の積雪は公式には70cm


なんでもない光景だが、右側の白い雪の部分が曲者の氷&シャーベット


2月の末になって、かなりの降雪があったが除雪なり、融けるなりしてここまで来た。

ただね、我が家の雪堆積場は当然、スペースに限りがあって、
現在は、あと2回大雪が降ると満杯状態になる。

排雪の業者委託をしているが、3月3日に来ることになっている。
それまであと3日。心待ちにしているところである。

父のことで、連合町内会と藻岩神社の仕事が滞っている。
ハラハラしながら久しぶりに事務所に出かけた。
結構な書類が溜まっていたが、今朝、誰もいない事務所で必死に処理。
取りあえずは現預金も合ったことだし、1ヶ月ぶりに少しだけ安心できた。


※ 父は体が自ら欲しているのだろう。昨日なんか、9時に起床(10時間睡眠)、
午前中ソファで睡眠、午後1時から5時半まで睡眠、
午後11時に睡眠開始、今朝9時起床。

すごいなぁ。ってよりも、可哀想だ。こんだけ寝ないと普通になれないなんて。
大病院では1週間分の最低限の薬しかくれない。
今日はかかりつけ医に行ったら、薬もさることながら「よく生きていた」と
医師が感激してた。 

運に運が連なって今日があるとボク自身思う。
父は強運だ。 遺伝しないのかなぁ。 

 


なんでまた今頃~~雪

2012年02月26日 | 再開(雑記)

例年に比べればたいした事のない雪なのだが、年初以来、これといった雪はなかった。
なのに昨日、今日と降り続く。

本来、「3月の雪は怖くない」(根室地方の言い伝え)と言われるが、
一日3回も除雪するなんてぇのは久しぶりで、朝起きると体の節々が痛い。

寒いのは我慢できるが、雪は勘弁してほしい。
季節の移り変わりとともに、雪質が変わる。季節とともにだんだん、雪が重くなる。
だから少しでも積もれば、雪かきの頻度が上がる。

現在の札幌の積雪量はどうだろう。
去年並みくらいだろうが、南区に限って言えば、これから南風とともに
湿った雪が大量に降る時期に入る。

雪かきは年寄りと男の仕事。ってことはボクの仕事なのだ。
一日中、降られるとつらいものがある。

父は退院3日目。昨日は「敬愛するおばあちゃん」の病院に連れて行った。
今日は本人宅のマンションで税務申告の書類を整えるのだそうだ。
ボクはアッシーに徹底することにしたが、一人にしておくと不安になるのも事実。

今日は午後4時までには我が家に引き連れてこないとね。
ちょっと離れているだけで、心配が先になりますから。。。

 


父の仮住まい部屋

2012年02月24日 | 再開(雑記)

昨日、お話したのだが、今日、父が退院して我が家に連れて来た。
インフルエンザ罹患のなか、手術2回、20日間の絶食(点滴)、36日間の入院だった。

我が家には、空いてる部屋は出て行った子供たち3人の部屋が2階に3室あって、
ベッドもテレビもあるのだが、父本人は1階の和室にしてほしいと言う。

そこでケアマネと相談。ベッドを借りることにした。

10畳の部屋が小さくなった感じだ。

ベッドは一応、電動式で上下できるようなもので、レンタル料もリーズナブル。
居間から小さいが地デジのテレビも持ち込んで、仮住まいの
体裁は整った。本人は1ヶ月ほど仮住まいして、元の体力を取り戻したら、
またマンションに戻って独居の自活をしたいと張り切っている。

退院後の後遺症や副作用もあるが、夜になったら見違えるほど元気になった。
普通の食事、家族との弾む会話などで見ているとわかる。
饒舌にもなったし、口内炎も少しずつ直って声も普通になってきた。
下痢も直ったみたいだし、右足痛も緩和されてきているみたい。

この調子で頑張れ、頑張れ
*^●v(・・*)(*・・)ノポイ ___。。。。●^*コロコロ

 


アイスキャンドルのフォトコンテスト

2012年02月23日 | 再開(地域と地域活動)

今日は1月末に連合町内会の主催で開催されたアイスキャンドルの写真コンテスト。
各町内会から寄せられた2L版の写真を、審査する。

連町の役員だけでは能力不足なので、地区センターの写真クラブの先生をお招きして
ご意見を頂戴しながら選定する。

いろんな名前の賞があるのだが、写真の写真で、しかもプラスティックのパックに
入れた写真を写したものだし、元々、ボクのカメラの腕もご存知のとおりだが、
下に並べてみた。


↑ 最優秀賞の作品




ペットボトルのキャンドル


点灯式会場の様子


審査風景

※まったく関係のない話だが、明日、おじいちゃんが退院することが正式に決まった。
早くも家内は明日のお昼、夕ご飯をどうするかなど悩んでいる。

 


9時半に父の病院へ

2012年02月22日 | 再開(雑記)

年寄りは、朝晩が早い。かと言って、病院は9時から。
だから今朝は9時過ぎに家を出て、そろそろ91になる父の部屋に向かった。

手術自体は年齢のことを勘案して、徹底的に削除(動脈瘤)をしたわけでない。
それはそれなりの手術(4時間弱)だったらしいが、
本人は今朝行ったときには、元気いっぱい。

一日でも早くおばあちゃんに会いたい、元気なところを見せたい、の一心が
面会に行くと伝わってくる。 早くそうしてあげたいのは家族の気持ちに決まっているが
「ホントに大丈夫かい?」ってのも事実。

病院の帰り、今年新装になった藻岩ロープウェイ近辺に立ち寄った。


なんとかというお寺がある


なんでモーリス号がいるのかね?

山頂スカイホールも新築なったし、行ってみたいな

ってなことで、午前中だが帰り道に連町事務所に寄ってみた。
このところ、行ってないので。。。。。


寄贈を受けた雛人形があった

もうそんな時期なのかな?
女の子の孫が生まれたら大変だなぁと。
家にある娘の雛人形はどこに行くのでしょうか?

そう言えば、うちには2人の男の子がいた(いる)から、五月人形が2組ある。
これもどうしたらいいものやら、考えあぐねている。

今の若い人たちの家はマンションばかりで、飾る場所にも苦労するし、
しまっておく場所も限りがあるみたいだし。


おじいちゃん抜きの日帰り温泉兼夕食

2012年02月21日 | 再開(雑記)

何だかんだとあって、今年は2月も終盤なのに、温泉に行ってない。

父の方も歳相応に回復してきているので、急に呼び出しを受ける心配もなさそうだ。
じいちゃんには申し訳ないが、家内といつもの小金湯温泉に夕食兼で出かけることにした。

 この温泉、石狩地方によくある単純硫黄泉、源泉かけ流しではないが毎分450㍑と
湯量は少なくはない。源泉温度が30℃を下回るので加温はしているが、
加水はしていないので肌には良い。

以前、軽い皮膚の病に罹ったとき、湯船に2分入っただけでツルツルになった覚えがある。
温泉の効能というのはバカにできないものなんだね。

ここは市の中心部からマイカーで約30分と来安いので、定山渓温泉より
気楽に来れるところがいい。

内風呂にはサウナ、ミストサウナ、ジャグジー、薬湯、もちろん露天、つぼ湯、水風呂
などがある。ボクはサウナには興味がないが、水風呂はどうしても必要。

水風呂の温度は15℃前後が望ましい。
3回は入るようにしているが、あがってから汗をかくことはない。
それがいい。


和室は膝に負担がかかるのでテーブル席に

今晩の夕食は「割り子蕎麦」にした

 


モーニングをレンタル

2012年02月20日 | 再開(雑記)

ボク等夫婦が初めて仲人したのは、ボクが41歳のときだった。
もちろん職場の「頼まれ仲人」だ。

そのとき、モーニングは体型も変わるし、そんなに高価なものでもなし、レンタルすることにして、
その分、家内の留袖は満足できるものを買うことにしたのだった。

その判断が正しかったかどうか、今でも分からないが、娘の挙式のGWが
近づいてきたので、衣装合わせというか、借りに行くことにした。

車で10分の近所に結婚式場兼レストランがある。
ここの経営母体は「花やさん」=「葬儀場」=「結婚式場」=「フレンチ&イタリアン」。

変な話、3人の年寄りを抱えているので、会員になってそれなりの額の一時金を
払った。 会員だと、貸衣装は3割引きとのこと。

祝儀と不祝儀が相乗りで、あんまり感じのいいものではないかもしれないが、
Weddingは会場も何もしっかりしたもの。
娘の成人式着物もここで借りたのだった。

いろいろと説明を受け、試着してああでもない、こうでもないと、
話をして決めたが、モーニングなんてサイズだけ合わせればそれで終わりなのに。
以前に頼んでたのは京都風純和風レストラン経営の店だった。
借りるのは同じでも、様変わりでやや戸惑う感じ。

これで気になっていた衣装関係は終了。
あとはご両家負担金かな?

これが一番の課題、問題だったりして。。。。

 


父の病院

2012年02月19日 | 再開(雑記)

元・郵政省関連の病院に父は入院している。

この病院は北海道大学医学部系なのだ。
下の絵で分かる。北大・古河講堂そのものの絵だ。

ボク等の時代にはすでに歴史的建造物とされていたので、ここで授業をうけたことはない。


滅多に母校に行くことがないので懐かしく感じる

今日、父の現状について主治医の説明があった。
大動脈瘤の方は、年齢相応の手術をした、腸閉塞の方は良い方向に向かっている、
したがって、退院はいつでも結構だ、という説明だ。

そうは言われても、そろそろ91歳、1ヶ月も寝る起きるに不便をしているのに、
リハビリはどうしてくれるんだ?

父は父なりに今日は600m歩いたと言う。階段の昇り降りも一生懸命だったらしい。
だが、病院の中での歩行訓練はあまり意味が無いと思う。

ま、先生に頼んで、今週の金曜日に退院ということで、まずは合意。
必要であれば、リハビリ専門の病院を紹介するとまで確約してもらった。
相当、粘って交渉した結果だったかなぁ。。。

その後のことは、その後次第だなぁ。

 


孫♂ 初登場(ブログ)

2012年02月18日 | 再開(雑記)

長男がメールで、焼肉が食べたいとメールで言って来た。
(近所に札幌でも一、二を競うかなというお店がある。)

ということは、お嫁さんと孫♂の3人で来るということ。
孫に会うのが楽しみで、即効 「おいで おいで」。

孫は毎月、両親が気を使ってか、毎月1回はやってくるのだが、今回は
両親がその店の焼肉が食べたくて来るらしい。


1歳1ヶ月

体重ただ今14kg   歩く歩く 眼が離せない

その焼肉店で、いいだけ食べて、(特にお嫁さんが食べる) お腹一杯。
お嫁さんが一番食べるというのは、一昔前ではどうかな?と思われたものだが
我が家ではそんなことはない。

元々180cmもある大きな人だし、孫も大きく産んだ。
1歳1ヶ月の孫なのに、すでに家の中を縦横無尽に歩き回る。
抱っこすれば重くて10分ともたない。

これでいいのだと思う。

午後4時頃来て、8時半頃帰って行った。


孫がいるといないでは、随分と生活感が違うものだ。
いっときの楽しさを味わわせてもらった。

 


ススキノ の夜

2012年02月17日 | 再開(雑記)

昨晩、今年初めて、ススキノに(飲み会に)出かけた。

現役で働いていた頃の会社の親しかった3人での飲み会だった。
3人とも所謂OBで、年金オヤジである。
それでも東証一部の会社だから、その専務だった人も3人の中にいる。

当時の話は、すでに今は昔となって、面白くもなんともない。興味もない。
とにかく上下関係があるようでないのが掟なのだ。
今、それぞれの家族がどうしてるか、皆はどんな生活感をもっているかが肝心なことだ。

ボクはこの会社に就職した時から、「ファミリー」を感じていた。
しかし、定年オヤジになれば、なんのことはない、ただのフツーの人だったのだ。
自分のことは自分で守る、誰も見向きもしないのだ。
当たり前のことを当たり前と思ってなかった自分。

でも、その中でも、こうして少しは日常が癒されることもあるんだね。


Everyday Sunday の人ばかり ヒマはたっぷりある


飲み会は南2西5のsea market という居酒屋
ノミホ付きで3,500円では採算が取れるんだかね。

久しぶりの再会なので、お互いの毎日、家族の状況、その他おかしいことばかりで、
腹を抱えて笑った。 こんなに笑ったのはいつ以来だったろうか。
帰りは普通タクシーなのだが、ちゃんと地下鉄&バスで帰ることができた。
(このことはボクにとっては画期的なんですよ~酔っ払い過ぎるもんだから)

飲み会は5時半開始なので、8時半頃の地下鉄車内
この時間帯に、こんなに空いていて採算は取れない。何千億円もの累積赤字なのだが。

 


今年の確定申告

2012年02月16日 | 再開(雑記)

今日、確定申告書を書き上げ、管轄の税務署に一件書類を郵送した。

結果、相当額が還付されることになった。
所得税の還付もさることながら、所得が低くなることによって、地方税、社会保険料が
安くなることが嬉しい。特に国民健康保険料は高いので少しでも所得が低いことが大事。

ボクの場合、収入は年金だけということなので、申告も極めて簡単。
一応、ファイナンシャル・プランナーの資格があるが、たいした使い道はない

去年、娘が大学を卒業して、特別扶養控除が受けられなくなった時はガックリした
ものだが、それにも慣れた生活になった。

今年、64歳を迎える。つまり年金が満額支給となり、さらに加給年金(扶養手当のようなもの)
も支給されるので、収入は増える。しかし、その分、負担も増えるので喜んでいいのかどうか。

父が入院中だが、父の申告もやらなければならない。
面倒なのは、医療費控除の領収書を整理することだ。

ま、3月に入って父が元気であれば、泊り込んででもやってあげようと思う


父と母~~夫婦の愛情とは

2012年02月14日 | 再開(雑記)
  • 父が救急車で運ばれて、入院&応急手術したのは1月19日だった。

入院前後、ほとんど絶食状態で、今も点滴で凌いでいる。

週に4回以上、様子伺いに出向いている。 その後、その足で母の病床に様子を報告。
毎日となると、なかなか辛いものもあるが、やらねばならない。

ところで、この夫婦はどうなってんの?と驚くことがある。
90歳11ヶ月と85歳11ヶ月の二人。

父は携帯電話を病室に持ち込んでいる。
母にはボクが母病室に行ったとき、父にかけて話をしてもらう。
顔は見えないが、声だけは通じている。

父から預かった母への手紙(メモというか)~~~

「おばあちゃん、心配かけて御免な、もっと早く帰れるつもりがそろそろ1ヶ月近くになってしまった。 二度の手術で大分疲れたが、まだ元気が少し残っている。これからはリハビリに一生懸命に頑張って一日も早くおばあちゃんに顔を見せに行きたいと思っている。何時頃になるか判らないが、成るべく早く行きたいと思っているよ。

まぁ、二人ともそれ程長い人生が待っているわけではないので、お互いに明るく一生懸命に生きて行こう。じゃぁそれまで元気でいてね。

 

 今日20日振りで朝食が出た・大事をとって半分に止めて置いた。

212日 日曜日)」

これで十分気持ちは伝わる。

 

今年のバレンタインはチョコ・ケーキ

 

 


凄い 医療費 !!

2012年02月13日 | 再開(雑記)

改めましてビックリしました 父の医療費の高さ!!

今日は父の病状がまだハッキリしないので、先日支払った医療費について。

1月19日に救急車で搬送された父。
その日のうちに手術。 1月分の医療費の請求が来たので支払いをした。

支払い金額は5万円ほどと、食事費、リネン費など必要経費もあるので
このくらいの金額は当然。

ところが明細を見ると、ちょっとした?手術だったのに診療・手術費がなんと
150万円を優に超えていた。

本人は後期高齢者だからか、医療費負担の上限額が決まっているせいか、
自己負担額は家に暮らしているくらいの金額だ。

もしボクの年齢だったら50~60万円はかかることだろう。
自分としては、まだまだ生命保険はかけ続けなきゃならんと思う。

父の場合、さらに2月に入って大きな手術をしているので、過去の経験からみて
病院の診療報酬は350万円から400万円にはなると思う。
本人負担は5~6万円のはずなのに。

これだもんね、野田政権でなくても社会保障費をどうするのか、
大問題なんだろうなぁ。 税と社会保障費の一体改革。

本気になってやらないと、国が年寄りの医療・介護費に潰されて滅びること、間違いなしだね。
(別に今の政権、前の政権に肩入れしてるわけじゃないんだけど)


父のレセプト 真ん中下に154万などの印字

 

 


「なるようになる」はダメ !!

2012年02月12日 | 再開(雑記)

「なるようになる」または「なるようにしかならない」
この言葉、真を得ている。 がしかし、心に葛藤をもたらす言葉でもある。

家内と二人、その親が3人、病気を抱えた高齢者がいる。
この言葉には含蓄がある~が、抵抗感がある。

父母たちに対しては毎日、一生懸命に出来る限りのことをしているつもりだ。
多分、「意志の力」は信じるほどのものでないと思う。だから信じない。

3人の高齢者がいつどうなるかなんて、今から考えるべきことでないし、
いざというときに慌しくバタバタと決まるものだと思ってる。

病院というところは、行くことそれ自体で疲れるものだ。
それを毎日、2箇所出向くのだから自分でも尋常でないなぁと思う。

これからどうなるのだろうか?
漠とした不安がある。 でも「なるようになる」とは思わない。
何とかしなければと思う。 しかし人間誰しも限りがあるのも事実。
その辺の「折り合い」が難しい。 いずれにせよ、高齢の3人が出来るだけ
長生きできるよう努力する。 このことは間違いないのだと考えよう。


父のマンション 主がいなくても咲くものは咲くんだね

 


ツルピカの路面

2012年02月08日 | 再開(雑記)

正月以来、当地近辺ではまとまった雪が降ってない。
降っても3~5cmほどなので、30分もあれば雪かきは終了する。

今冬の我が家の前はロードヒーティングを必要としない。
灯油代が少なくて助かるのだが、その道は小中学校の通学路になっている。
もちろん高齢者も多く通る。

雪がない反面、道路はツルピカ状態。
かなり慎重に歩かないと危ない。

そこで写真の「滑り止め材」を、公共機関からもらってきて、
家の前に撒いている。

滑り止めとして、かなりの効果と安心感があるにはあるが、心配なのは
春になって雪がなくなったときのこと。この砕石はどこに行くのだろうか。

町内会では4月の適当な日に、一斉清掃日を設けて自宅周りをキレイにする。
その後の「花見会」が楽しみで掃除する人が多い。

当然、若い人は少なくて、老人会の寄り合いのようになる。
5年後、10年後はどうなってるのだろうか?