なしのつぶての我が友人ミチコサン。
それで、「このままだと、ああ、そういえばそういう人もいたわね、に
なっちゃうわよ。お元気なの?」
で、久しぶりに封書のお手紙を送りました。書き始めたら止まらない私
なので、思い切って4枚でやめました。
そうしたら、やってきました。お手紙が?いいえ、お電話が。
のっけから、
「今年の大事件!」
ておっしゃる。なにか困ったことでも?
「あのね、熊が出たのよ」
山の中のミチコ邸。サルもキジも出る。アンディと言う名の犬。これで
鬼が島へ、だったのだけど、熊まで。
「まだ冬眠中だと思ってたんだけど、地元の人が言うには、今年の眠りは
浅かったんだよ、なの。私は出かけてたので見なかったけど、主人の目の
前を通り過ぎたんだって。80キロくらいだったって」
「まあ、この神奈川だって、ちょっと奥に入ればいっくらでも熊はいるの
ですもの、当然よねそこにいても」
「蛇もね」
「そう、あなたの大っ嫌いな蛇も」
毎年のように、日本のあちらこちらで熊が、鹿が、イノシシがサルがって、
大騒ぎのニュース。 鼻じらむ私。あの動物愛護団体のような組織もいやらしい
けれど、大騒ぎする人々も・・・・・知らないわ。
ミチコサンも言われたって、地元の方に。
「誰が?何が?いっちばん恐ろしいのは人間だよ」
そうです、そのとおりです。
この狭い国土(有効面積)に住む人間が1億2千万人を超えてるなんて、種とし
て過剰な数なのですもの、他の動物達を圧迫しているのよ人間と言う名の種が。
だから、
「ごめんなさいね、ちょっと住まわせてくれる?邪魔はしないから、の精神は
必要よねえ。人間だけ、何をしても構わない、なんて事はないでしょ?」
って、私は言っちゃう。
飛行機から、地上を眺めれば、なめくじが這った跡のように、山々に開発の爪あ
とがクッキリ。なんで、人間だけが勝手なことをしていいの?
核家族で、地面を小さく細切れにして、何もかもを人間の数に合わせて物を持つ。
それにつれてゴミも増える一方。
大きな家族が住む広い敷地に、数に見合った家屋。手入れを怠らずに直して使う
何もかも。糸と針は手放さず、繕った衣服は女達の愛が繕う。家族をつなぐ糸よ。
そこに起こる人間の軋轢。煩わしさ。ええそれが厭でみんなばらばらになるのよね。
でも、そこに知恵が要求され、人々は賢くなるよう、祖父母の、大伯母達の、先輩
達の無形の財産を受け継ぐ。
最早、それらを捨て拒否した私達は、孤独の中で、知識は増えても知恵なき人と
して生きている。
自分の生活を邪魔するものは、問答無用で切り捨てる。傲慢の極み。
伝承はなくなり、年寄り達を「社会で見ましょう」なんて、恐ろしいことを平気で
言う。知恵なき人々。
「春に3日の晴れ間なし」
なんて、知らない。試験に出ないことは覚えない。
「恵方」なんて知らない。生きることのなんたるかを教えない親達。
それは、本を書く専門家の仕事になった、バカバカしさ。
あなたの事なんか何も知らない人々に指針を示してもらおうとする現代人。
祖父母が、父母が、近所のオジサン、オバサン、オバアチャンが、あなたのことを
小さい時から知っている人が教えてくれる生きることの意味。
ミチコサンの白州報告のお話から、なんだか地面から浮き上がって、うつろな顔の
都会人達のことに思い浮かべてしまいました。
きっと、お電話の向こうから、アルプスの雪、清涼な空気、イメージする熊、それ
らが私に、こんなことを思い出させたのかもしれないわ。
自然の中で、野生の動物達と共存している彼女達は、自然な生き方をしてるのです。
自然は、耐える、しょうがない、ということを教えてくれます。
都会人は、告発好きになってしまう歪んだ人格になるのです。なす術もない忍耐を
学ぶ場所ではないのですから都会は。「我」がぶつかり合う所です都会は。
それで、「このままだと、ああ、そういえばそういう人もいたわね、に
なっちゃうわよ。お元気なの?」
で、久しぶりに封書のお手紙を送りました。書き始めたら止まらない私
なので、思い切って4枚でやめました。
そうしたら、やってきました。お手紙が?いいえ、お電話が。
のっけから、
「今年の大事件!」
ておっしゃる。なにか困ったことでも?
「あのね、熊が出たのよ」
山の中のミチコ邸。サルもキジも出る。アンディと言う名の犬。これで
鬼が島へ、だったのだけど、熊まで。
「まだ冬眠中だと思ってたんだけど、地元の人が言うには、今年の眠りは
浅かったんだよ、なの。私は出かけてたので見なかったけど、主人の目の
前を通り過ぎたんだって。80キロくらいだったって」
「まあ、この神奈川だって、ちょっと奥に入ればいっくらでも熊はいるの
ですもの、当然よねそこにいても」
「蛇もね」
「そう、あなたの大っ嫌いな蛇も」
毎年のように、日本のあちらこちらで熊が、鹿が、イノシシがサルがって、
大騒ぎのニュース。 鼻じらむ私。あの動物愛護団体のような組織もいやらしい
けれど、大騒ぎする人々も・・・・・知らないわ。
ミチコサンも言われたって、地元の方に。
「誰が?何が?いっちばん恐ろしいのは人間だよ」
そうです、そのとおりです。
この狭い国土(有効面積)に住む人間が1億2千万人を超えてるなんて、種とし
て過剰な数なのですもの、他の動物達を圧迫しているのよ人間と言う名の種が。
だから、
「ごめんなさいね、ちょっと住まわせてくれる?邪魔はしないから、の精神は
必要よねえ。人間だけ、何をしても構わない、なんて事はないでしょ?」
って、私は言っちゃう。
飛行機から、地上を眺めれば、なめくじが這った跡のように、山々に開発の爪あ
とがクッキリ。なんで、人間だけが勝手なことをしていいの?
核家族で、地面を小さく細切れにして、何もかもを人間の数に合わせて物を持つ。
それにつれてゴミも増える一方。
大きな家族が住む広い敷地に、数に見合った家屋。手入れを怠らずに直して使う
何もかも。糸と針は手放さず、繕った衣服は女達の愛が繕う。家族をつなぐ糸よ。
そこに起こる人間の軋轢。煩わしさ。ええそれが厭でみんなばらばらになるのよね。
でも、そこに知恵が要求され、人々は賢くなるよう、祖父母の、大伯母達の、先輩
達の無形の財産を受け継ぐ。
最早、それらを捨て拒否した私達は、孤独の中で、知識は増えても知恵なき人と
して生きている。
自分の生活を邪魔するものは、問答無用で切り捨てる。傲慢の極み。
伝承はなくなり、年寄り達を「社会で見ましょう」なんて、恐ろしいことを平気で
言う。知恵なき人々。
「春に3日の晴れ間なし」
なんて、知らない。試験に出ないことは覚えない。
「恵方」なんて知らない。生きることのなんたるかを教えない親達。
それは、本を書く専門家の仕事になった、バカバカしさ。
あなたの事なんか何も知らない人々に指針を示してもらおうとする現代人。
祖父母が、父母が、近所のオジサン、オバサン、オバアチャンが、あなたのことを
小さい時から知っている人が教えてくれる生きることの意味。
ミチコサンの白州報告のお話から、なんだか地面から浮き上がって、うつろな顔の
都会人達のことに思い浮かべてしまいました。
きっと、お電話の向こうから、アルプスの雪、清涼な空気、イメージする熊、それ
らが私に、こんなことを思い出させたのかもしれないわ。
自然の中で、野生の動物達と共存している彼女達は、自然な生き方をしてるのです。
自然は、耐える、しょうがない、ということを教えてくれます。
都会人は、告発好きになってしまう歪んだ人格になるのです。なす術もない忍耐を
学ぶ場所ではないのですから都会は。「我」がぶつかり合う所です都会は。