こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記 : 聖なる『クリスマス・イヴ』に想うこと

2010-12-24 22:27:37 | 雑記帳


今更だが、私は、宗教が犯してきた様々な行為を赦す訳では無い。

神など居ない。
もしくは居たとしても、自分には関わりが無い。

宗教とは、政治であり権力と同語を意味する。
宗教を巡って、数千年宗教戦争している国もあり・・・・・・。

***

全くそんな根源的なものから離れ、資本主義社会-日本の宗教とはビジネスの色合いが濃厚。
オウムは捕まったが、サリンを撒いたか否かの違いだけの「連中」は国家中枢どころかあらゆる組織に潜り込んでいる。
日本政府は、税金の取り場に迷走したフリしているが、宗教という仮面を被り多角経営で闇で手を結び合う非課税「連中」から税金を取れば、我々低所得者から無理矢理税金をもぎ取る「略奪行為」は大幅に改善される。
しかし、現実はそうはならない。

私も、仕事上、信濃町Sや立川Sと関わったが、宗教は対象が目に見えない「何か」(あるかないか不明・たぶん何もない)ゆえに元手も掛からずに高利益を生み出せる「格好のビジネスモデル」である。

誰もオウムを単純批判出来ないはずである。

「週間ダイヤモンド」によると、信者なる者の数でいうと、しあわせKが信濃町Sを抜いたらしい。
信者数と売上高は異なるであろうが。

私が、こと旧マスゴミを忌み嫌うのは、その背後でこの巨大ビジネスが跋扈し糸を引いているからである。
売れなくなった芸人は「連中」に売り払う事で、メシを食わせてもらう訳である。

さてさて、そんな国の未来はどんな事になるやら・・・・。

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かたちんば徒然日記 : 「心」「体」一致の在り方

2010-12-22 01:30:10 | 雑記帳


悶々と悩み資料の骨格を創りつつも、心身とのBalance診てパソコン閉じたが、同様に悶々して独り残る後輩君に「ああしたらこうしたら」と雑談する。
[迷惑だったかも知れぬが]人には明快に筋立って話せる不思議。
斎藤先生言う「声に出して読む」はまさしく「心」「体」一致の人の在り方の核心なり!
文学と肉体の相互作用を語った三島由紀夫と同様。

PCの画面向かい人間がフリーズして仕事するは効率悪し。ワードの中にエクセル貼付けに必死こいてる姿はロスの塊・本道逸脱。

思考は、大きな紙と鉛筆のいたずら書きから始まる。もしくはキーワードのメモが、あるセリフが、思考のかけらからヒントは展開していく。
誰かに語るように書く。
許されるなら、鉛筆で紙に書きながら、声を出しながら。

ワードもエクセルもそれをまとめる道具に所詮過ぎず。

椎名誠は勢いある頃語った「走りながら書きたい気分だ」も思い出す事。
***
そんなイメージを抱きながら、雨の中22:35電車に乗る。
冬らしく無い温かい空気。
23:25帰宅・夕食&ノンアルコールビール、そして烏の行水。
終えると1:30..寝るべし。

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想い出かたちんば : 1979年 洋楽への船出

2010-12-21 08:10:00 | 想い出かたちんば


'70年代末、LPレコード2,500円[後に値上で2,800円]・EPレコード500円[後に700円]ゆえにFM放送は貴重な音楽世界の窓だった。
当時「FM多局化なんか遠い未来の事」という意識で、2週間毎に発売されるFM雑誌を買っていた。
NHK-FM,FM東京の番組欄を1日毎隅々まで見ながら、蛍光ペンでマーキングし、エアチェックのスケジューリングする悦楽に浸っていた。
そもそも洋楽を「背伸び・学び出した」のは中学1年生='79年初めの事。ABBA,クイーン等々何も知らない訳では無かったが。
まずはFM東京・土曜昼の"ポップスBEST10"を聴く事から始めた。
ノートに毎週曲を書き込み、FM雑誌の切り抜き情報を糊で貼っていた。
ザ・ナック「マイ・シャローナ」,カーズ「レッツゴー」,チープトリック「ドリームポリス」etc…
この時点では、いずれ深きヨーロッパの美と退廃に染まっていくなど微塵も無かった。

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かたちんば徒然日記 :群青の炎

2010-12-20 08:43:42 | 雑記帳


土日、平日の負荷押し寄せ眠りの渦。
首~背中筋違い。MZ師「睡眠不足も良くないが寝過ぎも良くない」。まさしくその通り。
23:30~07:30迄寝た今朝も、やけにだるい。
達郎さんの「群青の炎」を聴きながら、ナメコ汁をすする。



「夢の中へ連れていって 貴方が好き・・・」穏やかな優しさを持つこの曲。
お歳暮のCM曲だったか?

達郎さんの曲には過去アルバム「RideOnTime」以来、彼岸の遠くから聞こえる声をテーマにした曲がある。
それは幸宏の「遠くで微笑み、手を振る」誰かとも通ずる。

此岸から澄ませば見える彼岸の幻影。

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大沢誉志幸 「そして僕は途方に暮れる」'84

2010-12-18 11:42:04 | 音楽帳
■酒と無縁な傍観者の冬■

日本=邦楽とは距離を置いていた自分が、高校3年生の冬。

TVのカップヌードルのCMから流れていた、この曲にだけは「良いものもあれば悪いものもある」(Byスネークマンショー from増殖)と負けてしまい、『いい曲やなあ~』と想っていた。



朝、学校への「通勤」前、さぶさに震えて、石油ストーブの前に立って当たりながら、この曲を聴いていた冬のシーンがフラッシュバックする。

26年後の本日の冬も、ついこの曲が聴きたくなってしまった。


【乃木坂より撮影】

いつの間にか、この曲は、ボクの冬の定番になっていた。



酒呑み者が、断酒生活1ヶ月半過ぎし。

買い直した黒スーツも全部ぶかぶかになり、ポパイの如くベルトを締め上げる迄になる。
体重も夏のMAX80→68kg[いつもの平準値]に回復。

禁酒令を敷かれてしまった中。
「師走恒例諸々行事」とも無縁、仕事・治療に専念の傍観者と化す日々。

アルコールで別世界にいけなくなったせいで、非常に意識がフラット。

酒呑み者から嫉妬・転向・裏切者扱いで何ら構わぬが、我輩は今すぐ死にたくは無く、酒、口に含まず。
逆に、只でも忙殺される『師走』に無理して迄催事行うは、如何に?

景気悪化と連動して、電通の大好きな「エベント(・◇・)」減れど、ゼロにならずは律儀で形を重んじ強迫神経症=「他人を見て自分を決める」日本社会の悪癖。

片方で「血税」等と叫んだふりして、一方で「底尽きた財布=魔法の壷」からカネが出て来る魔法。
そふ思へば、民も公を責める割には、同じ面有り。
それもしたたかに生きる知恵か・・・・。

***

最終日に万事終了後、シャンシャン1回締めで終わりたい所、「とりあえず」と幾重もの関わるセクションという「輪」が首に絡まる。

たくさんの「輪」の外=イジメ・はぶんちょを避け、師走初めから形式催事三昧のかたがたたち。
英気悪化と言いながら、夜の帰宅途中、酔っ払い軍団の醜い悪態を見て、げんなりする。
客観視すると「みんな仲良く酒呑んだカッコウ」しながら不和が透けて見える。

悪辣TV収録同様、終わらぬ中の1年を「おおよそ大体1年」とすり換え、前倒しで振り返り精算。

***

気の知れた仲間で呑むは良し、自分も20・30代…というか先日迄は酒におぼれていたが、最近同世代から「もう若くは無いのだから」也セリフが<見聞きはしたく無かったが>ちらほら出始めた。

此処をぶっち切って放蕩続け、死に突入して行った人達を身近に見て来たが、我輩は断固、現在の態度を固持する。

***

近所を少し歩くだけでも様々な発見が有る。
カメラ持ち歩き写真を撮りながらブラブラ。

さふいふ微細な事に何かを見つける自分は、ジャン・ジャック・ルソーの「孤独な散歩者の夢想」を想起しつつ、ありきたりの物事に自分を見い出す。

先日衝動買いした本「シンプルに生きる~変哲のないものに喜びをみつけ、味わう」(幻冬舎)をパラパラ見ながら、自分の行動論理と同じ発想に出会う。

ムダなあらがいはやめ、最低限のもので冬に面する。

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かたちんば徒然日記 :気分はだぼだぼソース

2010-12-17 08:52:32 | 想い出かたちんば


80年代初頭SONYの画期的商品ウォークマンが発売されてから30年経た今、あらゆる場所でそのMobile=個人用リスニング機器は当たり前になってしまった。
***
糸井重里&西武&YMO&テクノファミリー&ビックリハウス,宝島…サブカルチャーが進攻する中,椎名誠もその1人として「昭和軽薄体」と文化人に嫉妬,揶揄されたスーパーエッセイを発信し続けていた。
当時、NHK-FMサウンドストリートとクロスオーバーイレブンの狭間22:45~23:00のブリッジ「ふたりの部屋」で、「気分はだぼたぼソース」から伊武雅刀さんが朗読していたのを思い出す。
そこでウォークマン初体験記が椎名流文体で綴られていた。
音楽を聴いて通勤などとは、当時、まだ勇ましい正義のおじさんが若造を注意したり、揉め事になったり…。
それも遠くなった。
TPOと行動がすっ飛んだ、モラル不要資本主義の末路。
(そんな朝の車中より)

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かたちんば徒然日記 : 迷い道も愉し

2010-12-16 17:31:00 | 雑記帳

【かたちんば撮影写真では無いのが残念な拾いモノ写真です。あしからず。】

さくりんさん・森下礼様へ

がっさりピピッと来る本を買ってから、つい何を見るにも「なぜ、これはこうなのか?」という考察をしてしまうクセがついてしまいました。

経済学・web・経営学、そして、マーケティング。

悪の権化=電通はともかく、マーケティングとは1人1人の欲望の在り方まで辿りつくので、非常に知識欲に駆られてしまっています。
さくりんさんが心配してくれる「お仕事」と思ってしていないので、大丈夫ですよ。

むしろ、邪魔なのは、夜まで対応の電話・報連相(ほう・れん・そう)と雑用、事務的処理。

優先事項は、今のCUEから1本のTREEというかSTREAMを創る事なのだが、ついつい日々揚々の人・事に絡まっては時間を喰う。



やっとさ、今朝から、上司のお陰もあって、朝~個室で白板相手に相談しながらアプローチと考え方を教えてもらい、良い時間をいただいてしまった。

午後は、ひたすら、本をナナメ読みしては「ふせん」付け、気になる行にエンピツで線を引く。
深い思考に入って行ける。

***

さくりんさんの「せっかく浮かんだイメージこそ人間は失いやすいそうなので、最適な方法ではないでしょうか。」

そうなんです。
「CUEは至るところにある」ので、宮台真司さんなどは、いつでもどこでもボールペン持ち歩き、自分の手に「CUE」を書きなぐっているそうです。

MZ師は、夢日記付けるために、寝床に紙とエンピツ置いて、起きたら即消えそうなイメージを断片コトバでも書きなぐり・・・その後に、改めて推敲するらしいです。

***

森下礼様の言う『あさひのぼる』さんという方はTVを全く見ないので知らないのですが、昨夜は、電車でCS(顧客満足)の本をナナメ読みしていたので、駅前に点々と在る「自動販売機」をじい~っと眺めているうち、「なぜ、買う方が、取りにくい人体の動きをお金払ってさせられるのだろうか?」と思っていた次第です。

「PS:元気です。俊平」などとは間違っても言える状況ではありませんが、それなりに「迷い道も愉し」という具合でしょうか・・・・・・・。

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かたちんば徒然日記 : 朝の鬱に「2000トンの雨」

2010-12-16 08:58:17 | 音楽帳


月火水とハードな師走の受注の波と在庫,生産間を繋ぐ綱渡りが調整が続く。気づけば「TO DO」着手は夜になってから…。その時には既に脳のCPUは100%越えでフリーズ。
帰る道々、身の回りのどれもが発する「CUE」。
それをノートに走り書きしてはImage膨らます。例えば自動販売機は「何故取出口があんな低い位置?→顧客サービス×」…。至る所にCUEあり、その度立ち止まる。行動は明らかに不審者。
22時帰宅後ノンアルコールビール,夕食,イメージノート,山積本並べ、夜の勉強。体内はCUEの山で首痛→頭の激痛始まり0時切り上げ,普段より熱い湯に浸り緊張緩和。
それでも激痛収まらず寝床でSelf指圧するが脳使い過ぎで2時迄眠れず。
朝ヘロヘロで起床、目の下にクマ。味噌汁,緑茶すすりつつ達郎さんの「ソノリテ」11曲目『2000トンの雨』に一条の光と希望を見い出す。

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ピロリの『冬』'83-① YMO 「Perspective」'83

2010-12-14 22:00:00 | 音楽帳
 YMO最後のオリジナル・アルバム「サーヴィス」には、教授が作詞作曲をし、ピーター・バラカンさんが意訳をした「パースペクティヴ」という啓示的でメロウな美しい曲がB面最後に収まっている。

 教授は、その後この曲を繰り返し自分の曲としてピアノを交え再演している。

 1981年暮れに「解散」を拒まれ・存続させた周囲の圧力から、「解散」というコトバすら拒否したYMOの終焉。

 巨大化し過ぎた「YMO」というモンスターへの様々な経緯・背景・要素を含みつつも、YMOを閉ざし(シールド)散っていく事への何か噛みしめるものが此処にはある。
 まさにまぶしい夕暮れの美しさの中、たゆたうように、出会い・別れてゆく様を眺めている「ボク」。
 逆行不可能な時間の中、この僕も永遠に戻らぬ時を共有し合い、繰り返しこの曲を聴いた、1983年の暮れ。


【輝ける夕暮れの中、ボクは、人々がお互いそれぞれに別れていくのを見ている。】



YMO 「パースペクティヴ」

Everyday, I open the window
Everyday, I brush my teeth
Everyday, I read the paper
Everyday, I see your face

In the gleam of a brilliant twilight
I see people torn apart
From each other
Maybe that's their way of life

Everyday, I ride in cars
Everyday, I watch TV
Everyday, I write my diary
Everyday, I go to sleep

In the gleam of a brilliant twilight
I see people torn apart
From each other
Maybe that's their way of life

Everyday, I open the window
Everyday, I brush my teeth
Everyday, I read the paper
Everyday, I see your face

Everyday, I ride in cars
Everyday, I watch TV
Everyday, I write my diary
Everyday, I go to sleep

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かたちんば徒然日記 : 好きなゴッホと好まざるゴッホ展

2010-12-13 19:42:25 | スケッチブック


森下礼様・さくりんさんご意見有難うございます。
先手打たれてしまいました(笑)。

***

私もゴッホは好きですが、今回の『ゴッホ展』には騙されました。
正確には、騙されたのは2回目です。
前は『ゴッホとその仲間たち』みたいなタイトルでした。

タイトルだけ凄いオカルト映画やジャケットや宣伝に騙されて買ってしまって後悔したレコードを思い出します。
今回の『ゴッホ展』はまさに詐欺でした。

自画像・アイリス・アルルの寝室等1880年辺りの作品は良かったですが、多くの人が肩空かしを喰らった事でしょう。
半分以上がゴッホの絵では無いですから。
まあ、ゴッホの絵だけで展覧会を開催する事自体が無理なのでしょうが…それならそれで『ダマし』はやめて欲しい。
この国立新美術館というのも、あたかもな名前だが、形を作ってタマシイ入れずな美術館である。
上野だったらこんないい加減な事出来ないはず。
ゴッホもこんないい加減な事を望まないだろう。

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