こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年2月4日 水曜日 デペッシュ・モード ~憎悪と怨念と祈りと~

2015-02-04 22:03:02 | 音楽帳

デペッシュモードというユニットの不思議さは、決して浮いたところが無い安定性。
彼らは音楽に対して常に生真面目で真摯であるが、だからと言って息苦しくもならない音楽。

「ブロークンフレーム」のときに抱いた皮膚感覚。若いのに決して無理したり背伸びしたりすることで、年季による深みを身近側に寄せようという“はからい”もない。
ファーストアルバムから一貫しているのは、メロディアスで美しいハーモニーがあり、ときに不安定に回遊することも含め卓越したバランス感覚と繊細さと落ち着きが同時にあり、常に人が持っているはずの苦悩と痛み、憂いを帯び含んでいる。
それが、自分がデペッシュモードに共鳴し・共に時代を生き、彼らの音の周りに居続けた理由そのものである。

日を追って進化・激変していくニューウェイヴのシーンとリンクしながらも、ひたすら地道に一歩一歩、自分らの道を80年代歩き始めた彼らは、「より新しい明日へ」というニューウェイヴシーンが破綻をきたした1986年と交錯し、そこすら貫通し、果てに向かって歩いて行った。
多くのユニットが消えていっても、彼らだけが、長きに渡り揺るがない独自の路を築いた。

1986年。2015年とは次元が違うレベルで、私は発狂しそうな街を徘徊していた。
明らかに視覚・聴覚が幻覚症状を起こす中に居て、それは後になったから言えることで、脂汗をじっとりかきながら、我が身に襲ってくる魔物と格闘する日々。それは寝る、喰うまでも普通に出来ず心身を侵食してくる。「それは向こう側」と当時視界の外に置いたキチガイ病院への囚監も怖れ、抗精神薬投与による中毒堕落を怖れ、世間の眼を怖れ、何一つ治療もヤクも拒絶した地点で、闇に住まっていた。

日中は外で天日干し。夜闇がおとずれ・それに混じり合い、家族が寝静まったのを確認出来る時間にこっそり物音をさせずに帰る。幻覚との格闘による疲労困憊の中、聴いた音の一つで彼らのものは、シングルカットされクロスオーバーイレブンでエアチェックした「ストリップト」。
置き去りにされた浜辺から出る小舟、スイッチが入って始まるエンジン音が低い位置をリピートして流れる。
闇からの叫びが聞こえる「ブラックセレブレイション」。
土曜深夜3時の「FMトランスミッション/バリケード」でエアチェックした「フライ・オン・ザ・ウィンドスクリーン」デスミックス。
どれもが心の深い場所に到達し、響く。

哀愁漂う1982年の名盤「ブロークンフレーム」で多くの人にデペッシュモードが、単なるテクノポップバンドではないことを明らかにしたのち、ドイツ-ベルリン-ノイバウテンからの影響も踏まえて実験を行った「コンストラクションタイム・アゲイン」(1983)。その延長線上で、さらに自他両方に矢を突きつける攻撃性を増した「サム・グレート・リウォード」(1984)。
そして、1986年の「ブラックセレブレイション」へ。

純潔を電子音に塗り込めた彼らの意志は、次第に音・ヴォーカル・歌詞すべてに、それ迄体内に降り積もってきた悪意と憎悪が込められ、その濃度を高めていく。自閉内省しながら体内で膨張してきた彼ら少年からの日々の痛みは、怨念と祈りという分け難い両面一体へと、ここから更に向かって行く。きわめてクールな血なまぐささ。分かてない性なるものと聖なるもの。
深く潜行した闇に住まい、その闇でしか視えないレベルの微細な黒い発光体となり、音楽というかたちを成したリアリティ。
それが、自分にとっての「ブラックセレブレイション」イメージである。

1986年当時、自分が毎日々々通過する御茶ノ水駅界隈の雑踏の夜、浮かれた街灯り・その間にぬっと頭を突き出した、巨大な日立製作所本社ビルの消えることの無いたくさんの窓明かり。その風景が、疲労困憊と幻覚の中で揺らいで視覚化されていた。
この作品ジャケットで、赤いチューリップの後ろに揺らぐ高層ビルは、当時自分に見えた視覚とも同期化していた。

■デペッシュ・モード 「ア・クエスチョン・オブ・ラスト」1986■
「アルバム全曲を通して聴けるものはそうそうない」というモードに入っていたことに加え、そんな落ち着いた状態ではなかったなか。この愛に満ちた名曲を当時受け入れることは不可能だった。

今より徹頭徹尾一切の人間に懐疑的だった当時の耳を通り過ぎてしまっていたこの曲。
それがニュートラルに聴こえ、身に迫ってきたのはあそこから遠く離れたからのこと。



















PS:私には偉そうなことを語るほどの知識は無い。
今では新聞もてれびじょんも全く見ないため、ラジオとよく見る方のホームページの文章と読書が、今の私の情報源となっている。
今回、一人のジャーナリストが殺された流れはとてもいたましく、事態は非常にまずい段階に入ったと感じる。
何とか最悪のシナリオを回避したい、同じ想いをされている方も多い。

その死は、やすやすと異文化のコードを知らずに、うかつに中東に踏み込んだ首相によってもたらされたのかもしれないが、真実のシナリオは分からない。
「知らず」と書いたが、それは誰も言っておらず、実はシナリオ通りだったのかもしれない。このところ、藤原新也さんが「ShinyaTalk」で語られていることに様々な事を教えられる。

いけにえの論理と藤原さんは語る。現地に居る邦人が亡くなることで、その事実を利用して。。。それでは9・11同様「口実」が出来る事で「聖戦」とすげ替えて行動に出た流れとまんま変わらない。
刺激して噛まれたら攻撃に転ずる・まさかそんな子供だましが通用するわけが、とも思う。

しかし、この数年このクニで起きてきた事柄はすべて子供だましの安手のモンタージュ作戦にも映る。それらがやすやすと事柄の解釈を反転させ、何がほんとうのまっとうなことなのかさえもかき消そうとしている。その起きた事実を見れば、子供だましと言い切れない。

いっぽう辺見庸さんもブログで、情念に満ちた常識的な言葉を吐き続ける。
『われわれはAの「われわれ」ではない。われわれは、消されたあの命につながる、ひとりひとりのわたしである。』(辺見庸ブログより転載)
これら冷静な視線で語るまっとうな意見を読み聞きし、状況理解につなげたい。




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