初めてザ・ジャムで聴いた曲は「イートン・ライフルズ」。
アルバムとしては、リアルタイムで意識的に聴いた作品は’82年春の「ザ・ギフト」だった。
アルバムが発表された4月、FMのあちらこちらで新譜紹介がされ、テレビさいたまの「サウンド・スーパー・シティ」などではMTV『プレシャス』が掛かっていた。
たしか、大貫憲章さんの「動く姿」を初めて見たのは、このときだった。
この作品「ザ・ギフト」を良く言う音楽評論家は大貫さんくらいのもので、大方の人は辛い点数を付けていた。
リアルタイムでパンクを体感した人たちからすると、ザ・ジャムという名前の下で発表すべき作品ではない、と言った論調だった。
それをよそ目に、シングルカットされた「悪意という名の街(Town Called Malice)」はアルバムと共にイギリスチャートをにぎわしていた。
その一方、じぶんはFMで聴いた「ザ・ギフト」の曲たちを一発で気に入ってしまい、必死こいてエアチェックに励み、そのテープを繰り返し聴いた。
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三大パンクバンドと言われた中の1つ「ザ・ジャム」へ期待されたものと、ポール・ウェラーがやりたい音楽が大きくずれていた。それが作品「ザ・ギフト」の評価を分けていた。
そして、ポール・ウェラーはこの作品を最後にして、バンドを解散させることを決意。
じぶんがやりたい音楽は「ザ・ジャム」ではやれない。。。
→ 翌’83年スタイル・カウンシルの結成へと繋がっていく。
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「プレシャス」などホーンセクションを導入したファンキーなノリの曲や、スティールドラムなどで南洋の明るいムードの「ザ・プラナーズ・ドリーム・ゴーズ・ロング」など、パンクバンドとしてのリスナーではなかった人には、「ザ・ギフト」はキャッチーで分かりやすい曲に満ちている。
インスト曲「サーカス」は、当時ラジオ日本「全英TOP20」のチャート紹介のバックに使われていた。
どの曲も3分前後と短いのも、聴く側への分かりやすさを手伝っている。
手元に残ったエアチェックしたカセットテープには全11曲中9曲がおさまっているが、カセット分数は30分(!)のものを使用している。それくらい1枚聴き通すのには時間がかからない。
自作のインデックスカードに「The Jam Last Album」とレタリングされているが、それはのちに加えられたもの。
ジャンルは違うがイーグルズもジャムもマガジンも、初めて出会ったアルバムが最終作となるといったことがたくさんあった。
■The Jam 「Precious」1982■
1980年・81年ミュージックシーンは、多様なエスニック音楽を取り入れる(エスノ)、および、ファンクへのアプローチが主要なテーマだったが、「ザ・ギフト」はちゃんと1982年4月の音楽シーンと軌道を一にしている。このへんが実にポール・ウェラーらしい。
「プレシャス」は、ザ・ポップ・グループが分裂して出来たピッグバッグが演奏した曲とまったく同じテイストだったり、「ザ・プラナーズ・ドリーム・ゴーズ・ロング」がハイチやカリプソのエッセンスを取り入れていたり。。。
ポール・ウェラーの「”パンク”という十字架を背負うなんてゴメンだ」という謀反の意志表明がこの「ザ・ギフト」であり、その後に花開くスタイル・カウンシルのように思う。