こころとからだがかたちんば

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2011年11月10日 木曜日 リハビリ・映画と音楽 ノスタルジア(郷愁)

2011-11-10 07:32:45 | 音楽帳
80年代の初頭、ソ連の映画家、アンドレイ・タルコフスキーの映画が取り上げられた。
当時、日本でも一部のトレンドに敏感な胡散臭い連中が取り上げ、その一部やイメージ映像を見た記憶はあったが、映画自体を見ることはなかった。

映画を盛んに見ることが生まれたのは、既に80年代が終わろうとし、静かな何も無い時代に入った87年以降の大学時代。
ニーチュを描いた「ルー・サロメ-善悪の此岸」ロマンティックなサスペンス「ディーヴァ」そしてタルコフスキーの「サクリファイス」「ノスタルジア」。

83年の「ノスタルジア」は、故郷を離れてイタリアに来てしまった男の魂の漂泊を、ひたすら美しい映像で淡々と描いていた。
「いわゆる映画」が描くシナリオやストーリーは一切ない。
そこには、タルコフスキーが好んで使ったしたたる水の映像、おぼろげな風景、ごくごくわずかのコトバ。
この映画の制作場面でタルコフスキーが怒りながら「もっとこう」と指示を現場にしているのを見た。
この「ノスタルジア」は、タルコフスキー自身の魂の潤みを描こうとしていたものだった。


「この美しい雨しずくのようなもの この混沌とした世界の中のある小さな調べ
なぜ私たちはこういう音楽を聴くことが出来ないのか・・・」
イーノが病床で出会ったアンビエントという何がしかの私的時間の発見。
そして、そこへ傾斜していくイーノ。

タルコフスキーの「ノスタルジア」は、映画、というより音楽そのもの、しかもイーノの言わんとしたものとも近い。
極めて個人の私的な内面。
そんな孤独を背負いながら、内省の末に萌芽した、魂の種のようなもの。
個人的な時間の流れの中で、ひっそりと生まれた内面の潤み。

***

ジャパンを82年に断ち切り、個人の孤独を引き受ける覚悟を決めたデヴィッド・シルヴィアンが、ソロとして音楽を次第に創っていく様は、上記に書いた内面世界と密接に繋がっていた。

1984年秋に完成した「ブリリアント・トゥリーズ」。
そこには、内省の境地で、孤絶した内的時間のスティルの中から、まるでウイスキーが次第に醸造されていくようにして、ひっそりと生まれたもの。
デヴィッド・シルヴィアンそのものの存在が全てこの中に収まっている。


「ノスタルジア」が、タルコフスキーとの共鳴で産まれる。
付き合い深いエンジニアのスティーヴ・ナーイが、デヴィッドの志と共鳴し、細部に至る音にまで、極めて静かな音色で全体をトリートメントしていく。

David Sylvian 「Nostalgia」


緑の野原に聴こえる声
彼らの喜びや平静や楽しみは 僕の心のさすらいに消え去った
思い出の歳月に形づけられた木々の枝を 僕は切り取っている
彼らの幻影を僕の中から追い払おうと

貯水池に立つ波の音
僕は郷愁におぼれる  (デヴィッド・シルヴィアン「ノスタルジア」)

***

こういった音楽や映画が人々を捉えるのは、個人の内面でしか生まれない潤みそのものへの共感であり共鳴。
そういうことが分かる人だけには、何を意味しているかが分かるからである。

「一歩一歩あゆむにつれ、はるか後方へ向かうなら、考えにひたるたびに、僕は故郷に近づくはず」
(デヴィッド・シルヴィアン「輝ける樹々(ブリリアント・トゥリーズ」)

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