パンク~ニュー・ウェイヴ、YMOファミリーの爆発・そしてロックの解体、第三世界音楽との融合、ニューロマンティクス・・・さまざまな種がまかれた中。
1982年という年は、優れたアルバムがアンダーグラウンドでは無い表面に浮き上がってきた年だった。
豊作の1982年。
ロキシーミュージックの二度と産まれない瞬間の輝きを納めた「アヴァロン(桃源郷)」を筆頭にして。
当時、自分が1983年初めにノートに綴った1982年・年間ベストアルバムは10枚では収まり切らなかった。
デペッシュ・モードの「ア・ブロークン・フレーム」、そこから派生したヤズーのファーストアルバム、シンプルマインズの「黄金伝説」・・・等々。
そんな中の1枚との出会いがキャプテン・センシブルのソロ・アルバム。
とってもとってもポップで癒されて、心が暖かく・心地好くなったアルバム。
キャプテン・センシブルが、パンクバンド「ザ・ダムド」のリーダーだったことを、このアルバムを知ったことで、逆展開で知った。
ジャケットはパロディ。
タイタニック号の沈没ではないが、沈もうとしている船から逃げるボートに乗っているのは「キャプテン」、そして、皇室の方や「レディ・ファースト」。
それ以外は、海に落ちようとしている。
プロデューサーというか、実質音の骨格を全て作っているのは、ユニット「ニュー・ミュージック」の大尊敬するトニー・マンスフィールド師。
キャプテン・センシブルの破天荒で明るいキャラクターと、トニーの繊細かつ温かみのあるメロディアスなシンセ類の音色(おんしょく)が見事な相乗効果を産み、素晴らしいアルバムに仕上がっている。
「ハッピー・トーク」の名カバー、同様にシングルカットされた「ウォット!」も素晴らしいが、曲はよりどりみどり・多様性に満ちていて、A面・B面共に飽きず、アルバム全体が楽しく・時にホロリとナミダが来る、そんなあんばい。
全曲好きだが、特に好きな「マーサ・ザ・マウス」を今夜は掛けながら、寒い夜にほんのりと温かい世界に行きたい。
■Captain Sensible 「Martha the Mouth」■
1982年という年は、優れたアルバムがアンダーグラウンドでは無い表面に浮き上がってきた年だった。
豊作の1982年。
ロキシーミュージックの二度と産まれない瞬間の輝きを納めた「アヴァロン(桃源郷)」を筆頭にして。
当時、自分が1983年初めにノートに綴った1982年・年間ベストアルバムは10枚では収まり切らなかった。
デペッシュ・モードの「ア・ブロークン・フレーム」、そこから派生したヤズーのファーストアルバム、シンプルマインズの「黄金伝説」・・・等々。
そんな中の1枚との出会いがキャプテン・センシブルのソロ・アルバム。
とってもとってもポップで癒されて、心が暖かく・心地好くなったアルバム。
キャプテン・センシブルが、パンクバンド「ザ・ダムド」のリーダーだったことを、このアルバムを知ったことで、逆展開で知った。
ジャケットはパロディ。
タイタニック号の沈没ではないが、沈もうとしている船から逃げるボートに乗っているのは「キャプテン」、そして、皇室の方や「レディ・ファースト」。
それ以外は、海に落ちようとしている。
プロデューサーというか、実質音の骨格を全て作っているのは、ユニット「ニュー・ミュージック」の大尊敬するトニー・マンスフィールド師。
キャプテン・センシブルの破天荒で明るいキャラクターと、トニーの繊細かつ温かみのあるメロディアスなシンセ類の音色(おんしょく)が見事な相乗効果を産み、素晴らしいアルバムに仕上がっている。
「ハッピー・トーク」の名カバー、同様にシングルカットされた「ウォット!」も素晴らしいが、曲はよりどりみどり・多様性に満ちていて、A面・B面共に飽きず、アルバム全体が楽しく・時にホロリとナミダが来る、そんなあんばい。
全曲好きだが、特に好きな「マーサ・ザ・マウス」を今夜は掛けながら、寒い夜にほんのりと温かい世界に行きたい。
■Captain Sensible 「Martha the Mouth」■
ダムドと言えばの「New Rose」は、真夏に熱々の車に乗り込んでしばらくはガンガンに頭でかかる定番です。
当たり前ですが、改めて、キャプテン・センシブルの音楽にも続きがあったのですね。
私の中で止まっていたダムドに、こんな続きがあったと今更ながら知りました。
全曲好きと言えるのは、私にはなかなかないことで羨ましい限りですが、
心のある部分をくすぐる、確かに心地よい響きです。
やはり82年、恐るべし。
私のベスト82年は…一度選んでみたいと思います。
さて、国分寺。
ここも良き風景がなくなりつつあるのですね。
それを記録し、遺すのがかたちんばさんの役割とはいえ、
思い出の一言では括れない場所なら尚更、変わりゆく様を目にするのは淋しいことでしょうね。
ラビさんの「時よおやすみ」、まるでかたちんばさんの想いが綴られているようです。
私は国分寺を知りませんが、お二人も、国分寺を愛する方々も、想いは同じなのではないでしょうか。
雲をつばむ…
何と大らかで素敵な表現でしょう。
時よおやすみ まぼろしよこんにちは
街の風景もそうですが、今の私も少し歩みを止めたい気分です。
また、ぐちゃぐちゃお話してしまうかもしれません…
明日はお休みできそうですか。
ますます寒くて首・肩が固まってしまいますね。
この週末も、お大事に。
ダムドは「ストロベリー」というアルバムで初めて聴きました。
さくりんさんのようには詳しくはないです。
キャプテン・センシブルのこのアルバムは、本当にこよなく愛しました。
忘れるわけにはいかない1枚。
***
国分寺は、4年間やりたい放題の無頼を働いた場所。
ラビさんの「時よおやすみ」はステキな曲ですね。
中央線文化は未だに健在ですが、その一端をこの曲のおおらかさには垣間見ます。
何とか、この土日は休めそうです。
今夜は、有馬温泉のゆずの香りの入浴剤でぬくぬくします。
おそらく3.11の被災者の方にも、たとえようのない痛みが重なるであろう、今日の日。
どんな形であれ、ブログに新たなページが加わっていると安心していますが…
今日は、写真家の方と展示の打ち合わせをしました。
戦地の記録などされていた頃もありましたが、今は海辺での静かな暮らし。
家族との生活を維持するために東電の広告の仕事に携わってきたものの、当然それは打ち切られ、原発反対の息子さんからはなじられ…そんな方と、
かの地に親を置いている私と。
写真、音楽、色々な話をしました。
震災の記録の話から、「力のある写真」に発展し、教えていただいた『三陸円顔の子どもたち』の話をすると
デビュー当時からの藤原さんを振り返って、「彼は哲学者だね」と評していました。
その哲学と、力のある被写体・モチーフとが出会って、さらに力を持つ作品に昇華していくのかもしれませんね。
何日も雨の降らないこの日々のように、体も心もかさつき、ささくれ立っています。
いつもはショック療法で鋭い音楽を聴くところですが、今日は温かな、柔らかい音がよいかもしれません。
中山ラビさんも、ずっと聴いていたいと思える声です。
「」
久しぶりに聴きました。
スティーヴ・リリィホワイト以降を否定できない自分ですが(^_^;)
今はむしろ、この頃の音の方が馴染める変化を感じています。
* * * * *
週末に大寒が控えていますが、暦通りに寒いですね。
ヘルニアに響いているのではと気になっています。
今週も、お大事になさってください。
今週も、よろしくお願いします。
内に、曲名を入れるのを忘れました…
「Somebody Up There Likes You」
です、とっくにお気づきかと思いますが(+_+)
また、やってしまいました。
朝から筑波で夕方迄打ち合わせ。
そっからやむなく都内の仕事場に戻り打ち合わせ。
明日は朝から会議の議長なのにヘロヘロ。
***
ということで…
まずは空腹を満たし、湯に首まで浸かること。
そして、ちからを抜いて明日を超えることだけを、今は考えます。
とある本をじいっとながめて、思い当たり、気付いたのは、必ずカラダのどこかにちからが入っている。
それが腰痛、肩コリ、抑鬱…さまざまな状態にしてしまう。
他人との打ち合わせ、やり取りの間合いも、休みすらも。
そんな話すさなかでも、「我」に帰って、自分のカラダを点検する。
するとちからが必ずどこかに掛かっていることに気付く。
そこを、ふっ…と緩める。
そう努めてます。
とりあえず、明日の夜までそれで行きます。
あらがわず、なるようになる・しかない…
そう思いつつ。
詳細のお返事は、明日の(超えた)夜、改めてします。
話したいことはたくさんあるのですが。
すみません。
PS:ああ、こうやって死ぬんだな…
と諦めた朝5時台から17年が経つんですね。
超えても越えても、よくまあ次から次と
様々に形を変えて山やら波やらやって来るものだと思います…
体の力を抜く、とは目から鱗です。
確かにガチガチ。
緩めると…考え方までも詰まりがすっと流れる感覚ですね。
先日お会いした、教育心理にヨガを取り入れていらっしゃる先生を思い出します。
ヨガが自分に効果があるのかどうかはよく分かりませんが、
この先生が歌いながら語りながら指導してくださるうちに
体とともに、心の力みが抜ける思いでした。
『あらがわず、なるようになる・しかない…』
まさに、その通りです。
大きな岐路に立つ自分。
先ほど出先からの帰り道、広がる雲の路を眺めました。
考えがまとまらず、この数日はウルリッヒ・シュナウス「goodbye」の「stars」ばかり大きく何度も繰り返し聴いています。
今夜は、星が見えるでしょうか。
『こうやって死ぬんだな…』と覚悟したかたちんばさんに、
こうしてこんな話を送って赦されている(…いますか?)のは、救いです。
個人的には「それで結構」です。
中身が濃い・薄い、は調整範囲。
「まあ、ええんとちゃいますか」です。
***
写真旅を毎週していた頃の懐かしい写真。
それを見て、今の自分の老け込みと運動不足を認識しました。
おかげで最近は、腰痛までひどくなってます。
しかし「若いな~、このオレ」。
暫定対策は今のところ「力を抜く」です。
これでしばらく行きます。
あと、沈黙なるものもあります。
単に声を出さない、という意味ではないです。
***
阪神淡路大震災のときに「他人事」とされた疎外感。それは覚えています。マスコミの残酷さと共に。
それを今回の3.11の現地スタッフに「冷たい」と言われたのには、ぶっちゃけ言いませんでしたが「ふざけんな。阪神淡路の際、今と逆の立場だったテメエに言われる覚えはねえよ!」。
そんな感想はあります。人は勝手なものです。
***
藤原新也さんは、描く絵もステキです。
是非、今度見て下さい。
ふるさとが壊されたさくりんさんと写真家との語りは、何かとても実りある時間であったように、行間から私は読み取ります。
この世に住まう束の間。
そういった善き時間が、より長くあらんことを…。
***
「スパークル・イン・ザ・レイン」は今でこそ否定はしません(好きです)が、当時かなりがっかりした記憶はあります。
但しシングル「スピード・ユア・ラブ・トゥ・ミー」の12インチの催眠的感覚は文句なしな作品。
***
今夜はさほど寒くないのが救いですね。
ただでさえご多忙の折、他人から「もらい風邪」移されないように、キケンマスクマンには近付かないようご注意ください。